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「まぁ…お会いした、いうことはあまりないんです」
「そうか」
「顔くらいは見たことあるんやけどね…」
「うん」
「…薄情やろうかね、やはり…いまみよさんはどないしてはるんやろかと、先に思い付くのはそんなことで。
 江戸に出掛けたときなんかも…まぁ、察したんですよ」
「そうだろうな。
 …戒名でいうと、みよさんの父上はどうやら…寺の家族として弔って貰えたようだ。大居士なんて、思いが伝わる」
「戒名云々はわかりませんが、それは節々に感じますよねぇ、字の柔らかさとか。あそこは良いところやったね」
「な。
 薄情ではないと思うぞ。まぁ、「清く」となると」
「はいそれがとても怖く」
「まぁ、仕方ないな。あそこは禅宗だから許して貰えるかもしれないけど」
「…先に言うておきますが、大丈夫やで。わては行きません」

 確かに、一瞬それは朱鷺貴の頭に過ったことだが。

「男の意地ですよ。みよさんにも…伝えました。大変なんもわかるんやけど、手紙を送ることにします」
「そうか…」

 何もそうせずとも、と思わなくはないが、これはこれなりに志と…やっと持てた柵だ。

 柵を捨て、と仏教では教える。
 だが、朱鷺貴の中で、翡翠はその概念を見事に覆した男だと感じている。

 初めから何も持たなかったのなら、そんなことを考える機会もなかったのだ。

 ただ。

「…何も出来ないという我慢も、修行なのかな」

 ぽつりと、そう思った。

「いつでも感じることだが」
「近江のことも思い出しますね」
「まぁ、そう…」
「こないな我慢をして無の境地に至るとは、はて、神さんいうんも薄情な野郎やね。ただの、身軽やないかて思いますよ」
「やはり、お前は面白い男だよ」

 いつか忘れ去ることが無の境地、解放と極楽だというのならば。

「…神様と気が合わないのなら、仕方ないことだよな」
「トキさんも充分おもろいでっせ。
 さて、トキさん。も一個気になってるんやないの?」
「ん?」
「藤嶋さん。あん人、じいさんとは」
「あぁ飛んでたな、そうだった。もーどうでもいいよ、あんなん。面倒だし」
「意地ですか?」
「そうとも言う」

 近頃、幹斎から一切の音信が不通だ。

 山崎の戦と称した。それは気に掛かっているのだが。
 まだまだ…あまりにも知らないことばかりだ。

 特に翡翠は言及もしてこず、「はてさて」と、穏やかな表情を浮かべる。

「少々、用事を済ませに行ってきますね」
「…おっさんか?」
「まぁ、はいそうです」

 忙しさが去った心の余裕のせいかもしれない。

 寝起きだ、少々眠さもあったのだが。翡翠がふらっと出て行ってしまったことに、また碌でもないなと思いつつも、まぁ、我慢が修行とは言えないものだしなと、少々障子の向こうを眺めた。

 まだ若い翡翠の勢いも、悪いものではないのだ、多分。
 自分は今では、なんと言えばいいんだかとあの傷顔を思い浮かべる。きっとあれは表情も変えず嘘も吐かない。

 世は今、構わず血生臭い。それは誰にもへばり、絡み付いている。この世のいつでも代わりがないこと。

 三界唯心さんがいゆいしん一即一切いっそくいっさいの教え。
 生あるものは死を繰り返し、その中の一つの“個”が自分であり、自分の中でしか広さ、世界は生まれない。
 全て個の所業の集合体だ。故に、一は他の一と混じり合わない。

 朱鷺貴はぼんやり、また寝転んで考えた。

 聞いたことがある。禁教では確か、この、何事も変哲がない「世界」という物は神が作ったのだという教えなんだと。初めは混沌だったらしい。

 どちらも、似て非なる考えだ。だがどうしても、神が世界を作ったという考えには同意しかねる。

 特に熱信もしていないが仏教徒故だろうか、始まりも終わりも神に任せてしまう禁教について。ならば今、世界が出来たのだとしなければ、自分の中では説明がつかなくなるから同意出来ないのだろうか。

 無論、説明がつかないから「無い」というわけではないだろうけど。自分はまだまだ何も知れていない。それは、知らずと始まっていたから。

 …もしも、禁教の言う「天地創造」があったなら、と更に考える。
 それは、果たしてペルリ来航からだったのだろうか。ならば、それに対する「終演」はいつ頃か。

 似て、非なる。

「朝茶もねぇのか、この寺は」

 ふいにかさっと襖が開き、朱鷺貴は振り向いた。
 やはり碌でもないものだ。

 藤嶋は部屋を見、「あれはどーした」と、どうやら寝起きは悪い質だと察する。

「知らねぇよ。挨拶もねぇのかあんたは」
「挨拶なら、」

 藤嶋は懐からかさっと手紙を取り出した。

 あぁそうかい、と朱鷺貴がまた背を向ければ「態度が悪いのはあいつに似たのか」と、構わずにずけずけと部屋へ入って来る。
 悪かったな、誰にも似てねぇよ。と無言で背を向けたままなのに、藤嶋はどうやら無言を貫き通す。

 これは相当面倒で厄介だなと、一度起きては「何、なんの用?」と気も折れた。

「…別に。お前、幹斎と連絡は取っているか」
「あんなの野垂れ死んだと思ってるが」
「薄情だな。お前それでも坊主か」
「…言いたいことがあんならさっさと言ってくれませんかね」
「別にねぇけど?お前寝起き悪くねぇか」
「あんたに言われたくねぇよ。こっち盆明けやっとの休みなんだが」
「そうだなぁ。里帰りも終える頃だよなぁ」

 …やはり気が合わない物言いだ。

「便りがないのは良い知らせとは限らねぇんだよ、あんたこそあのクソジジイと」
「残念ながら生きてるかもしれないが、」

 やはり知っているらしい。

「便りがないのは良い知らせつーのは、本当だぞ」
「…はぁ?」

 …皮肉にも反射的にそう返してしまえば、えらく得意気に「先人の言葉を知れ」と、藤嶋は手紙をヒラヒラと翳してきた。

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