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以前訪れた「八木さんの家」の襖を開けると、猫背の男が刀の手入れをしていた。
油と打ち粉の匂い、そして振り向いた沖田本人からは確かに、微かな風邪っ引きの匂いがした。
「…ん?」
「どうもこんにちは」
刀身を紙で拭った沖田は「珍し」と呟く。
「えっと……南條さんとこの、………薬屋さん」
少し吃っているらしい。
「名乗ってませんでしたね、先程気付きました。藤宮翡翠と申します」
「あぁ、そんな名前なんだ」
「元気そうやけど…確かに風邪っ引きの匂いがしますね」
「っははっ!ナニソレ」
そして刀身を飾った沖田は「局長?副長?」と聞いてきた。
「土方さんに用事がありまして。先程沖田さんが風邪を引いたと伺いました」
「はは、まぁ副長の薬、効かないもんね。
そうねぇ、ちょっと気候に慣れなくてさ。こっちは暑いね。
わざわざ来てくれたんだ」
「まぁ、寄ろうかなと」
そうだったのか。
明るい様子で沖田は言う。剽軽な調子もどうやら変わりはしないようだ。
飾られた刀がふと目に入る。帯刀があったんだなと感慨もあれば、何か違和感もあった。
「…その刀、」
話を振れば沖田は「うん?うんうん」と、まるで待ってましたと言わんばかりに嬉しそう。
「わては善し悪しやとか…それほど詳しくはないんやけども、」
朱鷺貴の錫杖刀を思い浮かべる。
「気のせいやろか、なんや槍みたい、真っ直ぐやね」
それと、何がどうかはわからないが…身幅だろうか、重そうに見える、ような。
「あ、うんそうそう。変わってるよねー」
「はぁ」
「藤原さんって人に、ちょっと安値で打って貰った。まだ使う機会がないんだけどさ。
あのね〜…わかるかなぁ、すっごく綺麗な有名な刀を見かけて、菊一文字則宗っていうんだけどー」
「え、」
ぱっと頭に浮かんだ体位に、翡翠は思わず顔をしかめてしまった。
どういうことだ沖田さん。何故突然そんな…。
しかし本人は陽気に構わず「流石に一万両と吹っ掛けられちゃって土方さんが困っちゃったからやめた」と続けた。
「…一万両!?」
「そう」
…身ボロの壬生浪、価値観が違う。そりゃあそうだろう…。土方の気苦労がこんなところで見れるとは…。
「あの宝刀はもう少し出世してからかな」
「…はぁ…宝刀…」
「…まぁこれ安かったんだけどさ、使いにくそうだなって局長に言われちゃった。
でも局長もなんかね…はは、あれ絶対騙されてんだよね、大分吹っ掛けられてたよ」
なるほど。彼等が土地に適応するのはもう少し時間が掛かりそうだな。
田舎者は餌食になりそうだ…先程土方に進言したばかりだし。
例えば義兄がそれに絡んだとしたら…竹光すらかなり吹っ掛けそうだ…。
大体が金のない刀鍛冶ばかりだ、世の中。
「まぁ、あまり騙されんようにね、沖田さん」
「斬れりゃいいよ。まぁ。
あとついでにじゃあ、新しいやつ」
沖田が当たり前のように、人相書きを渡してきた。
“土佐藩脱藩 天誅組 那須信吾 吉田東洋殺害容疑”
少し前、斎藤から岡田以蔵の人相書きを渡されたことを思い出した。
それも特に中身は詳しく読まなかったが、ふと急に、部屋の外からドタバタと忙しない足音がし始める。
「進軍だ近藤、」
それで沖田が外の方へ耳を澄ませたのがわかった。
「あちらは3,000の兵を集めるらしい、近藤!」
近藤さんって局長なんじゃなかったっけか。
そう過った瞬間に、「どうしましたか芹沢殿」と聞き覚えがある近藤の声がした。
芹沢殿。
義兄が以前、大阪賭博の件で名前を出した“大将”。そういえばそんな名前だったかもしれない…。
「先程報が入ってな。関白の鷹司輔煕が朝敵共にそう進言したらしい」
「関白の……」
話振りからしてどうも、その芹沢という男と近藤の声色には温度差がありそうだ。
「…しかし、我々は本日、長州の残党を待ちそれからと」
「ええいごちゃごちゃと、こちらは早く情報を手に入れたんだ、今行かずどうする!」
「関白など、我々が単独で動いて良いものでもないし、トシ…土方副長もある程度情報を掴み」
聞いてはならない話だろう、あれ、どうしようかなと沖田を見やれば沖田は「あー…まぁ、」と気まずそうにした。
「…遠くのお坊さんにはわからないよね?」
「…あい、そうやねぇ…」
沖田はまるで「参った」とでも言いたそうにポリポリと頭を掻き、溜め息を一つ吐いた。
そして、「悪い人じゃないんだけどなぁ」と呟き立って襖を開け、「どうしたんですか」と二人に声を掛けた。
デカっ。まぁ、そういえばそうだった。
「あぁ、おき……」
まるっきり浪人のような体の、難いの良い男と見事に目が合う。
これが、芹沢という男か。
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