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「では、すみません。お先です!月曜日に宜しくお願いします!」

 と、平原さんは嫌味なく自然と帰っていった。

 残業はどんなに雰囲気がよくても、なんだか後ろめたくなること、あるし。
 実は自分もこうだったのかも、気付かなかっただけで。やっぱり、仕事は嫌いじゃないな。

「……凄く良い子ですね、彼女…」
「…うん。あんなこと言ってごめんりっちゃん。素直に凄いな彼女。
 でも…ふふふっ、」

 社長はとても嬉しそうに笑った。

「いやー…、君の、秘書初日を思い出しちゃったよ。また雰囲気が違うけど、君も凄く一生懸命でキラキラしてたなぁ」
「必死というか、通り越してビビってましたよ俺は…あんなに肝は座ってなかったです」
「…いやはや、彼女も裏で泣いているかもしれないよ?君はどうだった?」

 あぁ…。

「泣いてないですね。それどころじゃなかったです、色々気持ちが大変で」
「気持ち?」
「今もですけどね」

 あ、そうだ。

「……社長、ひとつ良いですか」
「ん?何?」

 思い出したうちに言っておこう。もうあんまり時間もないし。
 律は髪を少し流し、項を見せて「付けましたか」と、冷徹に言った。

「あぁうん、そうみたいだね」

 …このジジイっ。

「…こんな子供みたいなこと、なんでするんです?あんたこんな人でしたっけ?」

 社長は律の珍しい剣幕にポカンとしながら「うんそうだよ?」と、まるで当たり前のように言うのだから、律も少し…脱力してしまった。

「平原さんに言われた?もしかして」
「風だかなんだかで見えてしまったと言われました」
「あちゃー」

 何故か少し嬉しそうなのがホントに腹立つな。

「…彼女さん年下ですか?と」
「めっちゃ年上だよね〜。あの子となんて丸々二回り」
「…なんかもう良いです、ハイ。
 社長、行きましょうか」
「あ!もしかして今呆れたんでしょ!」

 何故かそれも声が弾んでいるのだから、もうよくわかんないなと「そーです、合ってます」とぞんざいになった。

 しまいには「あはは!行こ行こ、雑談!」と、こっちまでぞんざいだ。
 確かに共通認識だけど、今からクライアントのトップと話すテンションじゃないだろう。

「ははー、くだらないからさっさと終わして籠ろっ。おー、そういう目標が出来るとなんだか耐えられそうだな」
「…今まで嫌だったんですか?」
「そりゃ好きじゃあないよねぇ。フレンチってたまにが良いし」
「そうだったんですか…言ってくれれば和洋折衷取りますよ」
「そうじゃないよ、どれもあるじゃん。そうじゃなくて」

 やっぱりよくわからない人だなぁ。
 ただ…知らなかったな。そういうところ。

「まぁ、そんなところも心地よかったんだけどさ、」

 取り敢えず、朝のような、空気まで圧迫され殺されるんじゃないかという不機嫌さは全くどこかへ飛ばされてしまったらしい。

 社内の空気が変わるというのは、非常に良いことだ。あまりに同じだと、澱んでしまう。

 …それには、自分が飛んで行かなきゃならなかったらしいな。やっぱり辞表は正解だ。辞めるとなったら「可愛い後輩」という、少し名残惜しいものを置き土産にすることになってしまったが。

 是非とも彼女の成長は見守りたかった。たった一日がいつもの一日より濃厚な気がする。

 社長はそれから、とても機嫌がよかった。
 正直、テンションが高すぎて、付き人としては相当ヒヤヒヤするくらいで。

 そのくせ当人は、

「優秀な部下ですねぇ」

 と、まごまご喋るメタボ社長に「優秀!そーなんですよははははは!」とこんなペース。却って嫌いアピールが出来ている…のか?

 メタボ社長はまごまごまごまごと、何を食ってもまごまごしていて機嫌も読みにくい。

 これ、ご破算になりそうだな…ここまでこじつけたのだからかなり良い案件なのに、機嫌は読めなくてもわかる、明らかにメタボ社長は引いていた。

 素がサイコパスだな…と眉間を揉んでいれば気を張りすぎて時間感覚もなかった、いつの間にやら両者は立ち上がり、あろうことかドン引いていたメタボ社長の方から握手を求めてきていた。

 いやぁ…打診はそちらからだったんですが…なんという積極性、と捉えるべきなのかと、朝の平原さんを思い出す。

 社長はそれでどうやら我に返ったらしく、一瞬ピクッとなったのが見て取れた。
 手を見つめる時間が快いときよりも僅かに長い。

 うわぁ、なるほど汗ばんでそうだなと見ていれば、社長は普通に爽やかな笑顔で返していた。

「…では、両社の社運向上を祈って」

 手が離れてからメタボ社長が背を向けた瞬間、社長がスーツで手を拭いたのは律にしかわからない。
 律はメタボ社長の姿が見えなくなるまで、頭を下げ続けていた。

「…はーぁ、」

 社長の溜め息で漸く律は顔を上げられた。

 ころっと表情を変えた社長が「りっちゃんなんか食べる?」と、前掛けナフキンですら手をごしごし拭いているのに苦笑でしかなく。

「…嫌だったんですか?社長…」
「いや、とても良い案件でビックリしているよ。社長にマナーがないだけで」
「まぁ…はぁ…」
「でも、ああいうパターンは社員が使えたりするよね、俺に嫌味をかましてくるくらいだし」
「…それはきっとそうでしょうね。あそこは仕事は丁寧だと有名ですから」
「良い案件取ってきたね、りっちゃん」

 またころっと子供のような顔をして「流石だね!」と社長は喜んでくれた。

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