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 自分は意図せず遠回りをしてしまう方らしい。

 暫くして、例のハプバーで彼氏を手に入れた。
 またもやそれは、女が一端となり破壊されてしまった。

 ……いや、本当はそれもただの漂着先でしかない。

 ある日の仕事帰りだった。

 電気も点いていない自宅に、晃彦あきひこは寝ているのか、それとも飲みに行っているのだろうかとリビングの前に立ったとき、すぐ側から「あぁん、あぁん、」と、女の声がしたことに、頭が真っ白になった。

 真っ白すぎて普通に扉を開けてしまい、そこで目潰しを食らったような衝撃を受けた。

 溶け合う空気。

 ショートヘアーの女が、ソファーで裸体を反らし上下している。

 虚ろでキラキラした目とかち合った瞬間、彼女は一瞬にして素に戻り、「きゃっ、」と、まるで敵を見つけた小動物のように身を潜めてしまったのだ。

「あぁ、律?」

 晃彦のダルそうな声。

 生臭い空気の中、困惑してキョロキョロする女の子に対し、晃彦はにやっと笑って「どーきょにん、俺の恋人」と、彼女へ言葉を乱雑に叩きつけた。

「…は?」
「丁度良いじゃん。三人なんてどう?」

 は?

 それは一切合切こちらと目を合わさない晃彦が、つまり彼女にした問いだったのだけど、自分がまず「いや、」と口を吐いた。

「…ごめんね、帰ってきちゃっ」
「ちょっと待ってどういうこと!?」

 彼女は半狂乱になった。
 …そりゃそうだな。

 怖いくらい、冷えている。

 ただただ兎に角、何故か脱力に近い自分の心境が不思議だったが「ごめんなさいね」と言い捨て、律は背を向けて去ろうとしていた。

 しかし次には「ちょっ…、なんで!?」と、まるで我に返ったような晃彦の声が、女を置き去りにし自分を引き留めようとしてくる。

 それはこっちのセリフだよと振り向き様に、反射で晃彦の手を振り払っていた。

 信じられない、という表情にはどうやら、寂しさのような色もあったことに、これは完全に終わったな、と、どこか冷静に思った自分がいた。

 それはとても…寂しい。

「…律、」
「…服くらい着てよ」

 思い返せばかなりシュールな絵面だ。
 それだけ晃彦も切羽詰まっていたんだと理解するのは後からのもので。

「…怒らないのか、」
「…は?」
「何も……」

 あぁ、そうか。
 これで本当に終わってしまった。

「…彼女、寒いと思うよ。
 晃彦、ごめんね、無理だ」

 考えそうになってしまう。晃彦の深淵というやつを。

 そんな思いはもうしたくなかった。
 だから、その場から逃げるように、その日からテキトーにビジネスホテルに泊まったけど。

「………っ!」

 部屋に着く頃には自分は立っていられなかった。暫く玄関で歯を噛み泣いて、それでも収まらず発狂しそうなくらいの情動。

 翌朝に起きたのは玄関で。

 そんな喪失状態で会社に行って心配されないわけはなく。
 だけど誰からも黙っていて欲しくて、暫く黙々と目の前の字面とばかり向き合っていた。

 仕事中はそれでなんとかなった。

 終われば「ハプバーにでも行こうかな」と言葉だけは浮かんだけれど、それに至る体力もないし、あの頃の数日に大した記憶がない。

 子供を叱るように、言ってやればよかったのか?
 いや、きっといずれにしてもダメだ。晃彦が試験に落ちてから少しおかしかったのも、自分は気付いていたのだから。彼は頑張りすぎてしまったのだろう。
 これほど立ちはだかり、ぶち壊せない頑丈な壁ともなると、最早勝てなかったと流してしまった方が、まだ傷付かずに済むと思えた。

 それは正解だった。
 多分、挫折に近い喪失感。

 律が引っ越し先を決め荷物を取りに戻った際、「待って、待ってくれ、聞いてくれ」とすがる晃彦に、終いには押し倒されめちゃくちゃに犯されたのだが何より、その晃彦がボロ泣きしていたことが、完全に自分の心を粉砕した。

 ドロドロとした粘っこい、絡み付いてくる黒くて良くないもの。
 すがるのも辛い、気付くのも辛い。

 突き放すのも辛かった、ただこれは「自分は何も出来なかった」という自分よがりな物ばかりで、憎んですらやれなかったと、この心情の暗さに気付けば暫く立ち上がることも出来そうにないと、虚無感に襲われた。

 本当はそういった小さく細かい綻びに、自分の悪さが一番絡んでいる。それは、男女、という簡単さではない。人間としての問題だ。

 虚無に空いた穴には必ず何かが流れ込んでくる。それは大体が碌でもない物。

 あの日のことこの日のこと、垂れ流されるなかでやはり、不意に濁流として晃彦との幸せだった時間ばかりも不思議とリピートされてしまえば、身体は正直、力を込める込めない以前の自然さで涙が零れる。

 考えることをやめるくらい、あの頃は疲れていた。漸くハナちゃんママの言っていたことの一つが身に染みて。

 地に立てたとしてもそれは粉々の屍で、恐らく傍目から、ふらふらに見えたのではないか、今なら振り返る。

 少しくらい、「畜生俺の何が悪かったんだか!」と思えるようになってきた頃にも、どうなってもいいと、溶けて泥になったそれが付き纏い、引き摺って足跡になっていたのだ。

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