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灰色の空気が冷たい。息を吐く度に白さが立ち込める。空はそろそろ太陽が沈む頃なんだろうか、灰色だからわからない。
こんな時間に起き出して、寝起きで外を徘徊すれば急に日常的になって、頭が冴えれば少し楽しみが湧いてくる。
高梨陽輝はコートのポケットに手を突っ込んだ。ひんやりとした鉄の感触と煙草の箱が手に付く。今日はちゃんとなにか手土産を用意しなければならないな。そう思って鉄を引っ張り出す。エポスの横型の懐中時計。そろそろチューニングして貰わないとならない。
きっと彼は嫌な顔をするだろう。エポスのハンターケースでスケルトン。しかも手巻き機能付きと言えば日本の技師に嫌な顔をしないやつはいないだろう。
目的地の途中にあった酒屋に寄って珍しい酒を見つけたのでそれを購入した。これなら怒るまい。
酒屋を出たとき、つい癖でまた時計を見てしまった。ついに止まった。ホント、ブランドなんてあてにならない。
都会の喧騒から少し離れて静かな道を歩く。ここまで来れば大丈夫だろうと、ラッキーストライクを一本取り出して火を点けた。この、喉にひりつく感覚がこのタバコは良い。
しかし吸い終わる前に、目的地である『シラサワ時計店』に辿り着いた。まだ明かりは点いていてカーテンも掛けられてない。これはヤバイ。さっさと火を消そうと思ったが、ちょうどそんなとき、店主の白澤紫苑が、暖簾を外しに時計屋から出て来てバッチリ目があった。露骨に嫌そうな顔をされ、挙げ句無視して店に引っ込もうとするから。
「待った!」を掛け、急いでケータイ灰皿に煙草を捨てる。
「ウチもう閉店なんですが」
「お土産買ってきたから!な!」
そう言って手に持っていた酒を翳すと、やれやれと言わんばかりに顎でくいっと、中に入るように促された。
麻布に濃い紺色の着物がより彼の肌白さを際立たせた。彼はよく着物を着る。業界で若手と言う皮肉への精一杯の抗議らしい。珍しく和時計も置く数少ない時計店の中に、その着物姿はよく似合っていて印象的だ。
こうして店に溶け込むこの景色がわりと居心地を良くさせる。
「なんだ?」
「つれないねぇ。はいこれ」
そう言って時計を渡すと、驚いたような顔をした。
「まだ持ってたの?」
「あぁ。
年期モンだからもう止まっちまった」
この時計を見て紫苑は、何を感じるだろうか。想像をすると少し満たされる自分がいた。
「もう寿命じゃないかこれ。確か稔さんからの…」
「ああ」
予想に反して、嫌そうな顔と言うより少し切なそうな顔をした。
「直せる?」
「多分…すぐ必要?」
「まぁ早い方がいいな」
「わかった」
「面倒事で悪いな」
「ホントだよ…。スイスから部品とか発注しないと」
「その点は大丈夫。俺を誰だと思ってんだ?」
そう言えば今度は嫌そうな顔をして、
「闇ブローカー」
と軽口を言って薄く笑ってくれた。
「いや、違ぇよ!」
「取り敢えず夕飯だな」
と言って時計を修理台に丁寧に置くその指と視線に妙に熱があるように見えた。丁寧に、慈しむような。
この時計は俺たちを繋いでるんだなと、ふと思った。
「何してるんだ?上がらないのか?」
そう不思議そうな顔で言うので、思わず笑ってしまった。
素直に言ってくれたらいいのに。天の邪鬼と言うかなんと言うか。
「飯なら俺が作るよ」
そう言ってやれば紫苑は「わかった」と言って作業台に座り、先ほど渡した懐中時計を眺めた。
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