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後ろ姿を見ても彼は小柄な方だ。なんと言うか線が細い。
丁寧に開けられる時計。その細い指のペンダコがわりと好きだ。紫苑は手先が器用だ。
熱中し始めたからにはしばらく声を掛けても聞こえないだろう。そう思ったが、
「これは…」
と呟いたので「どした?」と声を掛けて背後に立つ。
「やっぱり一流ブレンドだけあるなぁ…手が掛かる」
と言いつつなんだか嬉しそうで。だけどどうも、手が進まないようである。ふと振り返り、見上げるその目がひどく透き通っていて感情が読み取れない。わからないから取り敢えず髪を鋤くように撫でると、パシッ、と音を立てて手を振り払われた。
紫苑はそのまま無言で立ち上がり、台所へ向かう。やはり、機嫌を損ねたらしい。分かってはいたが神経を使う。こうなれば次の話にいくタイミングは慎重にならなければなるまい。
「で、今回は何?」
だが予想に反して、その話題を提供してくれたのは不機嫌面の紫苑の方だった。そのぶっきらぼうさに、思わずにやけそうになるのを堪えた。
「まさか時計を直すだけじゃないだろう?」
「うん、まぁね。
ちょっと依頼を手伝って欲しいんだけど」
「どんな?」
「とある山奥の民家なんだが、昨日家主が亡くなったんだと。で、家主が骨董品マニアというかなんというか…。
遺族が倉を漁ってみたらまぁ数々の時計やらなんやらがたくさん収納されていたらしい。その査定と修理を頼まれた」
「つまり?」
「まぁ時計はお前の分野かなって」
「なるほどね」
「お前も好きなのあったら持ってっていいぞ。俺も少し貰おうかなと」
「うーん…」
そう言って腕組みをして、何か考えているようだった。
「遺族はそれを引き取れと?」
「まぁそんなとこ」
そう言うとまた考え込んで米を研ぎ始める。水に晒される手は相変わらず頼りない。
「取り敢えずお前、庭から野菜取ってきて。ネギと大根」
「へい、かしこまりました」
今日はどうやら鍋らしい。
無駄に広い家だ。廊下を歩きながら思う。この家にひとりで住むやつの気が知れない。まぁ名店の三代目ともなれば仕方がないが。
シラサワ時計店は戦後に建てられた名の知れる時計屋だ。初代店主、つまり紫苑の祖父である白澤青鷹がスイスへ出兵して間もなく終戦。現地で時計に魅入られ、そのまましばらく本場で時計を学び、帰国したらしい。
しかし帰国して開いたのは和時計屋。今は廃れた文化になりつつあるのでさすがに和時計専門ではなくなった。
陽輝の祖父、稔は、たまたまこの時計屋に寄り、すぐさま気に入って弟子入りした。父親はよくここに連れてこられたらしい。自分もまた、父親によく連れられてきた。
紫苑と陽輝は幼い頃からずっとお互いに関わりを持ち続けている。陽輝の父親が時計界から退いてもなお曖昧ながら関係を持ち続けているのは、単純にこの場所が好きだからと言うだけではない。
陽輝は言われた通り、ネギと大根を庭から収穫した。どうせなら他のも刈ろうかと思ったが、多分まだ紫苑は機嫌が悪い。余計なことは止めようと決めた。
ふと見上げると、今夜は三日月だ。またなんでこんな日にあの時計は止まったんだろうか。
ここに来る口実でもある。そしてあの時計は二人の呪縛だ。あれがなくなったら、俺たちはどうなるんだろうか。
多分歪だ。お互いに。
ただ、考えると堪らなくなる。時計を受け取ったときの紫苑の表情、そこから読み取れる感情に俺は密かに嬉しさを感じるんだ。俺だけじゃないんだと目の前にするから。だがそれと同時に罪悪感が押し寄せる。
止まった時計、狂った歯車。いつからこんな関係になったのか。それには明確な答えがある。それを託した俺は結構最低だ。
だけどそれが動かないのは、お前の予想以上に不安なんだよ。言いたくても言えなかった。
どこかで、解き放ってやりたいような気もする。もういいんだよと。それもまた言えない自分も、紫苑も、臆病なんだろう。
罪の意識とその共有。そんな関係があの日から続いているとしたら。やはりそれは歪だ。苦しいが、嬉しい。なによりもまず自分の歪んだ気持ちが関係を持続させてるのだとしたら、酷く傲慢だ。

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