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ホテルのすぐ側、黒い軽バンの前で、見慣れた黒スーツの男がタバコを吹かして待っていた。
「はいごくろーさん」
何の感情も込めずに助手席を開ける黒服にバッグを預ける。
後部座席にそれを放った彼は乱雑にガタンと扉を閉め、運転席に乗り込んだ。
「あ、はい。18,000円」
アカリは集金袋を出そうとしたが、彼は素っ気なく「どーだった」と受け取らないままハンドルを握る。
「やっぱ返ってきちゃったな」
先程客から渡された2000円札をポケットから出して眺め、呟いた。
「使いにくいもんなそれ」
「まぁね」
「俺が中学くらいの時のだぞ」
「俺はよくお年玉で貰った」
「へー」
「ねぇ桜木さん、どっか停まってくれない?」
「なんで?」
「あの人普通にヘテロだった、素質アリの。名刺すら渡してこなかったの」
「お年玉貰ったんだろ?それなりによかったんじゃねぇの?ミレニアムだぞそれ。なんで掴まねぇんだよ」
「ねぇ、」
「悪いけど珍しく次あるから。茶くらいは買ってきてやるよ、あとゴムちゃんとある?」
「…はぁ?」
アカリが桜木をジロッと見ると彼はニヤリと笑い「五反田さんだ」と言った。
「…マジで?」
「数少ない金曜日の太客だろ、喜べよ」
「…まぁ、丁度良いや。イッてなくてムラムラしてるところだったし。コンビニ寄ろ」
「いいなぁ、お前は楽で。あっちこっち行かずに済む。金曜に二件なんて」
「お茶引きで悪かったね。じゃあ今日はあんたなんて必要ない」
「そうだな」
へっへっへと嫌味に笑う桜木に腹が立ち「ムカつく、」と悪態を吐く。
「なんで俺に言うんだよ」
「…五反田さんなら最初に入れろっつーの」
「俺に言うなよオーナーに言うかNG出せよ。まぁ、お前のような年寄りのお茶引きには無理だろうけどな」
「これでもミレニアムでやらしてんだからねあの下衆野郎は。あと何年で年季明けなんだっつーの」
「年季とか何時代だよ!いーじゃん稼げんだから」
「変態しかいないんだよ、」
まだ桜木は笑いながら「なんでそんな恨まれてんのお前!」とからかう。
話をしてもイライラするだけだと思ったが、それでもやっぱり嫌なものは嫌だと、不安になるのだから仕方ない。
ダッシュボードのガム入れからセルシンを探し当てた。
それに目敏く気付いた桜木が「待てっつーの」とコンビニを指差す。
「茶と言わず水買ってくっからよ。噛むなそれ」
「…うるさいわ、」
じゃぁ、と手を引っ込めた変わりに桜木の手を取り少しだけ握ったのだが、より不安になった。
止めておけばよかった。
バシッと払い退けると「おー怖」とうるさい。
「機嫌悪ぃなぁ」
「急に下がった、あんたのせいで」
「俺じゃねーじゃんって」
コンビニで停車させ「はいはい」とさらっと頭を撫でてくる。
これがイライラするのだ、いつも。
「あとなんかいるかー?」
「……バイアグラかラッシュ」
「売ってねぇよコンビニにも。バカじゃねぇのかお前。まぁいいわ」
出て行かれてしまえば、目の前の距離でも不安になる。
…別に仕事が嫌いな訳じゃない。ただ、心身共に疲れるのだ。それはそれなりに誇りのようなものでもあるが……。
いや、綺麗事だ。あいつの言った通り26にもなって逃げられずにいる、ただの上塗りだ。
バカみたいな理由だった。
別に接客もセックスも嫌いじゃない、あの人ホントにちゃんと家族と向き合えるかなとか、考えるくらいには。
ただ拠り所が欲しい。それが爆発したんだろうし。
そんなもの手伝えるわけがないのだ。
ただちょっと。ほんのちょっと。
桜木はすぐに帰ってきた。夕飯でも買ってきたんだろうが余計なお世話だ。
お前が自分で食うんだろ、というスタンスで受け取らずにいれば「はい」と、本当に茶とコンドームしか渡してこない。
薬を飲もうとホットの茶の蓋を開けようとすれば、何も言わずに手を出してくる。
なんなんだ、これくらい開けられるわと開けた瞬間に茶は桜木に掻っ攫われてしまった。
「灯、」
は?
桜木は茶をこれ見よがしにごくっと飲みやがる。
本当にこいつはクソだな。
「物欲しそうに見てんじゃねぇよ」
桜木がそう言った瞬間、視界が塞がれた。
ついでに口も塞がれて、熱い舌が絡み付いてくる。
途端に力が抜けた。止めて欲しい。こんなもんじゃないからと少しだけその気になった頃に離れてしまう。
ほらそうじゃん、と不貞腐れそうだったのに、彼はガム入れを漁り茶を含んでまたそうしてくる。
薬くらい、自分で飲めるけど。
息苦しくて泣きそうになると、次には普通にハンドルを握り「五反田なのに新宿」と、面白くもない事実を突きつけてきた。
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