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美智佳は即死だったそうだ。
『茜ちゃん、美智佳が……っ!』
おばさんの泣き声を聞いて自分でも、血の気が引いていくのがわかった。
あのおばさんが声を震わせているなんて。
すぐに家から飛び出して、美智佳、美智佳、と心の中で呼んでも、あの穏やかな笑顔は浮かぶのに、返事はなかった。
がむしゃらに走っている最中、ふと浮かんだのは美智佳の元夫、いけ好かねえふわ髪のクソみたいに胡散臭せぇ笑顔と、臨月の美智佳の腹だった。
あいつ、子供はどうしたんだろう。
何年か前、あたしには複雑な心境だった。子供を抱っこしてと言う美智佳の嬉しそうな一言が。
「あー」
子供は容赦なく、色が違かったエクステをぐっと引っ張って。
「…あはは、ごめんねこいちゃん!珍しかったみたい!」
思い出して…おばさんに言われた病院の前で一人…少し立ち尽くしてしまった。
…南病院。
美智佳の子供が生まれた、場所。
いつだって、こっちは何も覚悟しているわけじゃなかった。美智佳はそういう女の子。
まるで地面に足もつかないような気持ちでふらふらとしたままに、あっさり霊安室まで案内されてしまった。
おばさんの泣く声が一つ、響き渡っている。
白い光。
こんな、異空間に。
…美智佳は言っていた、「お母さんはあんなだったのにさ」と。
「孫が出来たら別人みたいよ。学〜学〜って。こんな優しい顔するんだってびっくりしちゃったんだ」
そんなもんなんだろうか、とその時は思ったけど。
気圧され足がすくんでしまいそう。
入り口あたりに立っていた二人、スーツの男のうち一人があたしに気付き、「どうぞ」と声も出さずに手で合図してくる。
全てが信じられなくて、やっぱり浮き足立つような、魂のない感覚。
白い部屋の中に入ると、台に棺桶が置かれていた。
あの素っ気なかった美智佳の母親が、棺桶の前に雪崩れ込んでしゃくりあげている。
これが現実かわからない。
…子供はどうしたんだ、子供も何か、もしかしてと、少し早足でおばさんの元へ急ぎ震える肩を掴むと「美智佳が……っ、美智佳がぁ…!」とおばさんは狂ったように繰り返した。
明らかに異質だ。
何もかもがまだ呑み込めず実感もない、怖いけれど、ふと棺桶を見ると戸は閉まっていた。
こういうのって、棺桶にすでに入ってるものだっけと、血の気のない頭で考えたとき、「あの…」と、男の声がする。
先程の黒いスーツの男だ。
白い手袋をしている。
「ちょっと……見ない方がよろしいですよ」
そして男は、「私納棺師の高杉と申します」と名乗る。
「…あちらは刑事さんです。
本来であれば、葬儀屋が同席、説明させて頂くのですが…」
納棺師は泣き崩れたおばさんを気遣うように眺める。
確かに違和感があった、ドラマとかでは霊安室って…遺体と対面していた気がする。
つまり、それがこうなっているということは、そんなに酷いということだろうか。
「相手が大型車両でして…即死だったようです」
刑事も口を開いた。
…なにそれ。
そこに本当に美智佳がいるというのだろうか。
頭が真っ白になりかける。
ふと、「学は…」と真っ白の中、一言が口を吐いた。
そうだ、あの子供はどうしたんだ。
「…美智子の子供も……どうしたんですか?」
「あぁ、学くんですね。
美智子さんが咄嗟に…歩道に押したみたいなんですね、目撃者さんが言うには。
先程検査の結果が出たとお医者さんから伺いました。
一応、転んだ衝撃もあっただろうと検査したそうですが、意識はちゃんとはっきりしていて問題もいまのところなかったと聞いております。膝に大きめの擦り傷は出来てしまったようですが…。
今日は遅いのもありますし、様子を見てみた方が良いと、いま入院されてます」
…よかった。
と、思ったが。
「意識がはっきりしてるって……。
もしかして、その…瞬間を、」
刑事の顔が曇る。
ただ、落ち着いた声で「いまは落ち着いて…先程眠れたみたいです」と言った。
急に頭に血が登った、ような。
あたしは咄嗟に「何号室ですか、」とどちらかに食い入って聞いてしまっていた。
「小児病棟の208です」とだけ聞き、身体が、勝手に動く。
我ながらおかしいとも思える。いま、美智佳の顔すら見れていないと言うのに。
美智佳にまだ何も不自由がない頃。
初めて学を見せてくれたとき、美智佳はとても幸せそうだった。命を掛けてよかったよと。
あたしはそれで漸く諦めがついた、こんなに幸せそうならと。
切ないのに暖かい気分だったんだ。あの旦那に不信感も…嫉妬もあったとしたって、だけどこんなに幸せそうならと。
……あいつ、結局今すらここに来てないじゃないか…!
おばさんが呼ばなかったのかもしれないけど、結果、こんな重要な場所にいない。
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