3


 再び交番に戻り制服に着替えていると、署長は「どうだ」と聞いてきた。
 …ありのままを話したらここで終了してしまうとわかっている。正直、まだ手放したくない。

「…そもそも人通りもあったのに通報すらなかったですからね…少し難航気味で、あまり進展はありませんでした」

 あの、睫の長い眠そうな顔。そして、満喫で吐いていた際に擦った細い身体の線を思い出す。

 本当はなんとなく真相は見えている気がするが、まだ確証がない。
 あの男は本来…もしも例えば母親の「ヒモ」「彼氏」であるならば、あそこにいる存在ではないのだ。

 けれどやはり署長も鋭い。

「もしも児相が絡む案件ならこっちどころか、県警もだ。交番では丸っきり関与が出来ないぞ」

 確かにそうだ。あまり伸ばさずサクッといかねばならない。

「…そうですね」
「昨日の報告書を見た限りだがな。
 お前、随分正直に書いたな」
「…勘ってやつ以外に何もないので…あの場に居合わせればわかりますよ、あの緊張感」
「そもそもあの日夜勤でいた二人はどうしてたんだ」

 そこは言わないでおいた。多分署長も聞く気はない。
 署全体の出世に関わるに決まっている、勤務時間内に休憩室でセックスしてましたなんて。署長の首が飛んでしまう。

 そしたらここは解散だ。俺は一体どこへ飛ばされるやら。

「たまたま俺が拾っただけです」

 ちらほら、小学生が所の前を歩くのが見え始めた。
 そろそろ高校生も下校時間だろうが、そういえば何部なんだろう。ていうか相手にしなかったが、バイトとか言っていたよな。

 …さて、どうやってまとめようかなとパソコンを睨む。

「お前がいないときは俺も付近住人に聞いてみ」
「ちゅーざいさん」

 署長を遮る声、制服の芳沢春雪がひょこっと顔を出した。
 はっとしたら嬉しいような、…安心したような気持ちになった。

 署長も奥から彼を覗き込んだのがわかる。

「本当にいたね。こんにちは」

 髪は、不自然じゃなく、きちんと整えられていた。
 穏やかに笑った彼は、本当にどこにでもいる高校生…にしては美形だが。普通の子をやっているんだと確認が出来た。

 署長が黙って茶を淹れようとしたが「あ、大丈夫です」と芳沢春雪は断った。

「今日はお礼を言いに来ただけなんで…」
「…まぁ、座った」
「あと、スーパー行かないと。帰って…ご飯係だから、俺。母さん、夜勤だしさ」

 頭を下げ「じゃ、また…」と、芳沢春雪は本当に去って行ってしまった。

「…あれが、その少年か」
「…ええ」
「一年じゃそんなもんか、鞄も制服も新しく感じたな」
「…流石署長。全然気付かなかった」
「女の子かと思ったわ…なるほど」

 まぁ俺も最初はそう思った。

「例えば母親が18時出勤だったとして…報告書にはもう一人いそうだったと書いてたよな」
「…母親が通っているクリニックの担当医に聞いたところ、どうやら母子家庭らしいです。なので、夜は誰もいないはずですね、本来」
「非行をするには絶好な家庭環境だが、お前は何か気になっているのか」

 あの男については、まだ何も書いていない。

「…んまぁ。いやぁ夕飯ならあの子がやらなくても良いんじゃないか、とか。毎日なんですかね」
「んー……じゃあまぁ、勤務内なら19時頃に変わる。何事もなければ20時には帰って来い。こっちも、何事もなければ呼び出しはしない。引き継ぎもやっとく」
「わかりました」

 …自転車の取締ばかりを命じられるよりは断然良くなった。
 この案件が上手く行けば無法自転車よりも印象が良くなる、ということだろうな。でなければこれほど手を掛けられないだろう…。

 でもそれは、代理ミュンヒハウゼンとあまり変わりがない気がしてくる。ちゃんと来てくれた素直なあの子の笑顔に俺は今何をやっているんだろうと考えさせられる。

 17時頃から日報をまとめながら、一件だけ落とし物の届け出があった。
 近所の小学生が、片方だけのスニーカーを持って現れた。

「ありがとう」
「見つかるといいね、きっと今大変だよこの人」

 きっと、このスニーカーの持ち主は見つからない。大抵こういうので見つかった例がないから。

 半年後、この子だってきっと「いらない」と言うだろうこの靴の持ち主は今、多分、どこかを徘徊しているわけではない、捜索願が出ていないから。
 本人もきっと、気付けば新しい靴を買いに行くだろう。

 こんな当たり前を子供たちは気に掛ける。

 19時になり、予定通り芳沢家へ赴く際、前方に見覚えがある派手な服装の女がバス停の方へ歩いていくのが見えた。
 20時出勤だとすれば8時間勤務だとして、休憩を入れ9時間、帰りは大体6時頃だろうか。なら確かに、昨日あの時間に会ったのは理解した。

 今は息子のみなわけかと、始めに窓を覗いた。
 明かりはきちんと点っているが、人影がないような気がする。

 どんな名目の聞き込みにしようかなと考えドアにまわると、風呂場の明かりが点いていた。

 物音と共に「ほら」と風呂場から聞こえる声は少年のものではない、男のもので。

 これは、きたかもしれない。

 「もっと行ける、もっと」「じゃぁ、手ぇ付いて」と、何を話しているかまではっきり聞き取れたあたりで、俺は芳沢家のチャイムを鳴らす。

 途端に、風呂場の音が消えた。

 もう一度チャイムを鳴らすと、今度はわざとらしくシャワーの音がし始める。

- 18 -

*前次#


ページ: