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「不履行になりそうだね。
 ちょっと、手を貸してくれないかな」

 今度はそう来たか…と思ったが、彼は俺の手をただ握るのみでふっと目を閉じ「…少し眠れそう」と、そのまま俺に寄り掛かって来た。

 …変な空間だな。本当に寝たのか、この状況で。マイペースなのか、変わっているのか…。

 橋の上で血塗れの少年を保護、でも取り敢えず始発の時間くらいには起きて家に帰さねばと、アラームを夜勤用から当直用にセットし直す。

 少しして少年の温かい手が離れたので、頭に枕を敷いて寝かせ、俺も仮眠を取ろうと、電気を消して目を閉じた。

 …虐待だとか、その程度の可能性しか浮かんでこない。明日の朝、署に立ち寄りもう一度捜索願を探そう。
 虐待だとしたら、腕以外の見える位置には傷が見当たらない。自傷をする子供を虐待する意味とは?と、答えは見出だせそうな気がする。親はこの子を病院に通わせ、本人も薬を飲んでいるわけだし。
 学校には行っていないかもしれない。

 考えているうちにふと、少しだけ夢を見た。

 場所はここ、アラームが鳴り寝惚けたヨシザワハルユキの上に俺は馬乗りになっていた、そこでアラームが鳴りビクッと起きる。

 はっと見れば少年はびくともせずに眠っている。

 …え?起きないの?

 まぁそうか、薬を濫用していたなと「君、ちょっと起きて、」と揺すれば眉をしかめ「…気持ち悪い、頭痛い」と訴えてきた。

「もう少し待って……、」

 これは仕方ないなと、水を買ってきてまた起こしたが、眉を寄せたままの少年は「ありがと」と、覚束ない足で起き上がり「吐いてくる…」などと仕方がない、歩けもしてないしと、一緒にトイレへ付き添った。

 嘔吐えづいて波打つ彼の薄い背を擦るが、どうやら吐くものはないらしい。
 水を飲んで水を吐いて、涙目の少年は「…ごめんなさい、」と謝り、理性か、無理に立ちふらふらするので「無理すんな無理すんな」と声を掛けながら、病院かな、と考える。

「…行きつけあるんだよな、救急車の方が」
「いい、やめて。………大丈夫だから…あぁ、送って」
「…それはいいんだけど…」

 覚醒はしてきたのか、部屋に戻ると少年はちぐはぐにブランケットを畳み、帰る準備をし始めた。
 何が最善なのかと考えているうちに部屋から出れば、彼は血の気の引いた顔のまま真っ直ぐ立った。

 会計して考え続ける。病院といってもこの時間は受付前の夜間診療だろう、やはり救急車くらいしかないよなと。

 帰りは一言も喋らず、それでも歩けてはいたのでなんとか家まで…と、ただ、やはりたまにしゃがみ込むのでその都度背を擦り、「本当に大丈夫か」とか、「まずは病院に行くか?家近いから車出すぞ」だの意味がないことばかりしか言えず。
 彼もその都度無理に立ち「大丈夫帰る」としか言わない。

 彼の家だという…少し古めのアパートの前までは来れた。
 彼はしかし、今度は意思があった。立ちたくない、という雰囲気で深くその場にしゃがみ込んでしまった。

「……帰りたくないのか」

 やはり、家庭環境に問題がありそうだな。

 彼は否定するように頭を軽くふり、そしてすぐに蟀谷こめかみを押さえる。

「…帰りたくないんだろ、それ」

 立ちもしなければ頭も上げなくなってしまった。
 どうしたもんかなと思っていれば「ハル?」と、背後から女性の声が掛かった。

 振り向けばいかにも派手な…夜の、という女性が俺と少年を交互に見ている。
 真っ青な顔で振り向いた少年は女性に「おかえり…」と言った。

 念のため女性に手帳を見せると「ちょっと何してんのよハル!」と、彼女が凄い形相で寄って来たので、一度手を翳しそれを制する。

「先程そこのコンビニでふらふらしていたのでつい。すみません俺の」
「コンビニ!?万引きかなんか」
「違います。ほら、」

 咄嗟に、少年から預かったり渡したりを繰り返していた水のペットボトルを見せた。

「あぁ、なんだよかった、」

 恐らく母親だろう女性は驚くほどコロッと、突然ボロボロと泣き始め少年をガバッと抱き締める。

 …なんだ、これは。

「ハル、よかった。ごめんね怒鳴っちゃって、お母さん心配で」

 …異様な光景にしか見えなかった。

 少年の表情は見えないが、死にそうな声で「ごめんね母さん」と、母親の腕にぐったりと頬を充てている。

 少年の頭を撫でくり回す、いかにも献身的な母親の様を目の当たりにし、大丈夫かなと浮かんでくる。
 母親は化粧の剥げた顔でまたコロッと、今度は満面の笑みで「ありがとうございました」と俺に言ってきた。

「…は」
「送ってくれたんですよね?貴方がいなかったらウチの子、今頃倒れてたかも。この子ちょっと身体弱くて!」

 …まるで子供のように笑う彼女。さっきからずっと違和感しかない。

 俺が唖然としていると、顔を伏せながらも少年は俺に「何も言うなよ」という鋭い視線を向けてくる。
 しかし、その目には諦めのような感情も混じっているような気がした。

「さ、ハル帰りましょ、遅いし。ありがとうございました」

 包帯の巻かれた腕をぐっと握って立たせさっさと帰ろうとする母親につい、「あの、」と、少し引き伸ばしてみようと考えた。

「はい?」
「息子さん、腕痛いと思いますが」

 そう言った俺に少しだけ驚いた表情をしたのは、少年の方だった。

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