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口を濯いだみるるんも、「マネさんなの?ありがとう助かった…」と、少し辛そうだ。
平中くんを見ると、新しいシャツに着替え、ルイボスティーを飲んでいる。
「いや、彼が」
と言った瞬間だった。
何かがぽーんと、弧を描きこちらへ投げ込まれた影が視界の端に映り、春雪は反射的に動いていた。
頭に衝撃が走る。
「きゃっ、」と怖がるように身を縮めたみるるんと、顔をはっと手で覆った茂木さんを見て、あぁ、何より自分があまり水分取っていなかったなと、春雪は見事にその場へ倒れ込んだ。
「…西賀さん!?」と驚く平中くんにすら睨みを利かせた監督が、ずんずんと迫って来るのがわかる。
それに「やだ、何、怖ぃ、」と怯えるみるるんと「監督、」と前に出た茂木さんを見て「ダイジョブデス…」と、まず茂木さんは女性だ、何かあったらと思い、春雪は這いつくばって立とうとしたが、どうも手がいうことを…痺れていた。体勢が立て直せない。
監督は「てめぇ、」と他は誰も目に入っていないようだった、迷うことなく春雪の肩を引き、馬乗りになってくる。
くらくらする…耳鳴りじゃない鈍痛…。
監督が春雪の胸ぐらを掴み、拳を振りかざした…瞬間、走馬灯のように景色が浮かぶ、却って目すら閉じられない不思議。
思い出す、ああ、耳鳴りが蟀谷を引っ張る、あの、男を──
「はい撮った〜!」
長嶋くんの声がした。監督はぴたっと動きを止める。
振り向いた監督の向こうで、長嶋くんがスマホを見せつけているのが薄らと見えた。
「監督の暴力事件ね、残念ながらペットボトルは…これが投げられたやつ〜」
と、側に転がったお茶を撮り、長嶋くんがぴっと録画ボタンを止める。
「何イライラしてんのか最初からわかんなかったけど、もう無理だね、でもありがと、俺たちこれで爆ハネす」
監督は春雪から離れ咄嗟に長嶋くんのスマホを奪い取り、「っざけんじゃねぇ!」と、あろうことかそれを後ろへ放り投げてしまった。
「撮った!?今の撮ったか武田さん!」
焦ったようにマネージャーへ言った長嶋くんに、長嶋くんのマネージャーは「ばっちり」と、遠くからスマホ画面を見せている。
春雪の意識があったのはそこまでだった。
身体中がひんやりとしていることに気付き、目覚める。
多分寝かされているのだろうが、眩暈がする感覚。
どこが冷やされているのかいまいちわからなかったが、多分びしゃびしゃ。
額の濡れタオルと、すぐ側で首元の保冷剤をすりすりしてくる平中くん。
平中くんはどこかを見ながら「あー、場所は墨田区の学校で」と、よく見れば春雪のスマホから電話をしていた。
頭痛にも気付き始めると、色々なところから忙しなく話し声がするのもわかるようになってくる。
震えていたみるるんが「マネさん!」と地べたに座り込み声を掛けてくる。
平中くんはそれで春雪と目を合わせ、「あ、目ぇ覚ましたみたいです」と電話の向こうに伝えていた。
「救急車は最初に呼んだので…もう来るかなと。GPSの方がいいですか?それとも病院言われてからの方が…」
状況を理解した。春雪は平中くんの膝に乗せられ、恐らく平中くんは芳明に電話をしている。
監督は?と頭を上げようとすると、「まだ動かない方がいいよ」と平中くんは言った。
忙しなく平中くんのアイフォンも鳴り、「あぁ、救急車から来たんで切りますね」と、春雪にスマホを…返そうか、まだ迷っている様子だった。
みるるんは俯いて泣きながら春雪の手を握り「ごめんなさいごめんなさい、」と謝っているのだが…感覚がなく力が入らない。多分、震えがきているなと、頭では冷静に理解出来ている。
平中くんがルイボスティーの蓋を開け、春雪の頭をゆっくり持ち上げながら「吐きそうなら吐いて」と、口元に持ってくる。
春雪はそれを飲み、「あぃがと」と、出した言葉の舌足らずさに驚いた。
それでも「みる…ぅんさん、」名前なんだっけな、「怪我、ない?」と聞いている自分。
「…西賀さんのお陰で大丈夫です、すみません。立花を助けて頂いて…」
茂木さんが心配そうに覗いて言ったので「はい…」と返事をしつつ、「あーゆー…時、茂木さん、じょせぃ、から…出ちゃ危ない」と、縺れながらもゆっくりと伝えた。
拙くも、喋れば頭もまわってくる。
「怖い、思い……、させました。
かんとく、と…ながし、くんは…」
「…いーからあんたは黙って自分の心配しろ。救急車と旦那は呼んだし長嶋さんは器物破損の手続きするって、監督はもう車から出て来ねぇ!」
どうやら担当の子に怒られたらしい。
つい「すません」が出て、平中くんを更にイラつかせた…というより、他の二人に見えていないだろう。
平中くんはとても悲しそうな表情で「…謝んなよ、」と言った。
「取り敢えず!」
一言で、お茶が口から溢れるのではないかというほど飲まされた。多分、熱中症だ。
それから救急車と芳明が同時に来て、色々な経緯もあり、救急隊員は春雪を担架に乗せ、意識確認やらをしてきた。
頭がまわってきてふと思った。平中くんに「旦那」とか、はっきり言われたじゃん、と。
奥では病院へ連絡を取る救急隊員の声がする。
救急隊員が「墨田西病院です」と芳明に伝えると、救急車のドアは閉まった。
芳明はどうやら、車で後ろから追ってくる手順になったらしい。
救急車には芳明の変わりに平中くんが同乗し、隊員から状況を聞かれていた。
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