1


 死んだはずの父が、実家のソファで寝ていた。
 「今は私が独占してるから退いてよ〜」とソファの背凭れから父に声を掛けても「やーだよ、はは、俺んだし、俺が買った…」と寝たフリをしたパパに「はは、てゆーか生きてんじゃん!じゃーコーヒー入れようか!」と元気になったママ。
 まぁいっかと私は座りにくい、けばけばした、あの冬から変えていない絨毯の上に座り息を吐いてコーヒーを待った。
 やっぱり、パパは起きていて、寝転がりながらテレビを見ていた。
 二日目に起きた時にはパパとママが二人でそのテーブルを持ち上げ、「ほらお前は絨毯を取って、新しいの敷け!」とパパに指示をされた。少し、座り心地が良くなったリビング。
 三日目、ママがパパの毛繕いをしていると言った、「あれ、頭のとこ、シミ出来てるね」と。
 パパはまたソファに寝転がりながら、最近出来た仮の仏壇の下にあるフルーツバスケットを眺め、「ほら、あれだよ。お前食いきれねぇのにいっぱい買ってくんだからさ」とママに言って。
 私は思い出し、そのフルーツバスケットからバナナの房を取り出した。確かに何個か、皮には黒いシミがある物もあって。
 「体力つけんにはバナナだよバナナ」私はこのへんで思い出してきていた。あの日のパパはバナナを食べて行かなかった、前日飲みすぎて吐いていたくらいだったし、とママが言っていたことを。
 ダメなやつもあった。私は切ない気持ちでバナナをパパにもママにも一本ずつ渡していた。この後、どうなるのかはわかっていたから。
 私はバナナの外れをひいてしまったけれど、「あー、シミ多い方が熟してるって言うからさ」とパパは言う。パパのも少しだけ、ぶにょぶにょだった。
 四日目の朝、パパは下からぼとっと、溶けてしまった。ママと二人で唖然としているうちに、パパは言った、「はは、まぁそういうことだ。じゃあな!」と。

 ここで起きた。全部夢だった。

 あれから一年、パパの夢をたまに見る。
 けれど毎回、元気だった姿の夢しか見なかったのだけど、だから変な感じがした。
 私は勿論、ママも死に目には間に合わなかったのだと思う。
 猫みたいな人だったなと思う今日この頃。

 ママは夜、病院に呼ばれた際にパパの側で一時間も居座りねばり、パパを呼び続けたそうだ。だから、死亡届けは12/26になっている。

「病院に呼ばれた」

 と私にSNSのメールが入っていたのは12/25の23時くらいだった。
 私が気付いて「パパが死んじゃった」となっていたのは26日が回っていた。私はその頃、普通に友人とケーキを食べていたし、プレゼント交換もしていた。

 気付いてママに電話をすれば、ママは泣きながら疲れきった声で「大丈夫全部やっとく、やっとく」と、それしか言えなかったようだ。始発で帰るねとしか伝えられなかった。

- 1 -

*前次#


ページ: