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 翌朝、始発で実家の最寄り駅で落ち合い、ママの車に乗り連れて行かれたのは葬儀場で、真っ白なパパと対面したのだ。

 歴史が好きなパパ。そういえばずっと誕生日は覚えられなかった。8/17。
 これは8/18日の政変の前日だし、パパの影響で好きになった歴史。そして「幕末」の出来事なのにどうして倒れるまで覚えられなかったんだろうかと不思議なものだし、死んだ日すら「キリストの誕生日か次の日か」という印象深い日に死んだのだ。

 それが、去年の話。

 私はパパと、4歳頃に出会った。
 シングルマザーだったママの彼氏。その人はある日突然「こうちゃん」から「今日からパパだよ」と、私とママと一緒に、ボロアパートからメゾネットに住み始めパパになった人だった。

 つまり、その「パパ」と私には血の繋がりがない。
 養子縁組やらの話はあったが、タイミングがなかなか合わなかった。
 ママすらもそうで、パパとの結婚生活は実に2年と半年で「除籍」となってしまった。
 夢に出てきた例のソファも、漸く買った分譲マンションのリビングにあったもので、つまりは長年連れ添ってはいたのだ。

 パパは享年は57歳と、現役世代だった。しかし倒れたのは54歳で、きっかけは歯医者の麻酔でアナフィラキシーショックを起こしたことだった。

「俺はお前らが死んでも生きてるからな。120まで生きんだ」

 どうやら、人間の細胞は120歳までだから、だそうだ。
 アナフィラキシーショックも、信じられないことに2回もやってしまって、どちらも入院し、ダメな薬剤も特定した。
 まぁ、それだけでもロックでファンキーな人だと思うし、そういえばパパは18歳で一度、バンドマンとして上京をしている。

 1回目のアナフィラキシーショックの際にパパは話していた。死ぬかもしれねぇな…いや、待て待て、いまはまだダメだ。あいつらがいる、と起きちゃったのだそう。私は始め、ママから「アナなんたらで倒れた!」と聞いた際、喪服を探したものだ。

 それから、サボっていた運動を再会しバナナを食べて再び歯医者に行ったらしい。今度は違う麻酔を使うとのこと。
 私はかなり非難をした。しかしママはずっと「アナなんたら」認識だったし、パパも「死なねぇもん」と、そんな調子だったのだ。

 二回目もアナなんたらは起きてしまい、やっぱり救急車で運ばれたが、生きていたし意識もあった、家に帰り普通に仕事を再開するくらいには。ただ、憔悴は前よりも、見ていて感じられた。

 反省をして歯医者は諦めたのだが、意外なことに、ものもらいが出来た、痛い、と眼科に行きその目薬を刺した瞬間、本当にぷっつり切れてしまったようだった。

 それから2年、パパは寝たきりで動けも喋れもせずに生きたことになる。

 重度のアレルギーとも来ればどんどんどんどん使える薬が減り、最後は寝たきりのまま、栄養剤だけで2年も生きていた。やはり、人間には限界があるようだ。

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