裏長屋の段 三


 ころっと変わる流の表情を思い出す。
 風呂屋の帰り、店主と流と行き違った。流がぐったりと、少し店主に寄り掛かり、店主が支えて歩く様。

 その頃には泣き止みちゃんとしていた花も最初は気付かなかったようだ。月明かりで、まるで現実味のないものに思えるような翳を感じたからだろうか。

 背中合わせになって漸く気付き、「流さん、お仕事だったのかしら…」と振り向く花に「ほうら真っ直ぐ歩きなさい、危ないから」と部屋に戻る。

「流さん、お仕事忙しそうですよね。いつも寝るのも遅いみたいだし」
「そやねぇ…」

 その後、権平と花がそれぞれ寝入る頃に流は戻ってきた。
 流が後に就寝するのはいつも通りの事で、物音も立てずいつの間にか、という感じなのだが、その日は違った。
 敷いておいてやった布団へバタッと、寝入ろうとする音。珍しい。

 「…流さん?」と花が少し身体を起こそうとしていたが、流は背を向けたまま「大丈夫」と蚊の鳴くような声で言う。

「起こしてごめんなさい…」

 異変を感じ、権平は様子を見に流の部屋へ入ったが、流は起き上がりもせず怠そうに、火照った顔で見上げるのみ。

「あぁ、水汲んでくるな」

 「ありがと」と小さく言った流と、やはり起きたらしい花が「大変、風邪かしら…」と気遣う様子。

「お仕事…少しお休みになられた方が…風邪が続いてしまってませんか?」

 権平は身体の弱い流の対処には慣れていたが、花では確かにそうなるだろうと理解が出来る。

 心配をする花を他所に、「毎度のことなので…」と流はそれから襖を閉めてしまう。

 桶に水を汲み、権平は静かに襖を開ける。
 襖を背にした丸い背、ただ枕を抱くように熱に苦しむ流は僅かに権平を眺める、その瞳は潤んでいて、息も荒い。

「…あの、」
「うん」

 権平は特に言及もせず流の側に座り、濡れた手拭いを額にあてると、流の身体がビクッと波打つ。

「よしよし」

 背を摩ってやると身体は熱く、ゾワゾワするように身を捩らせている。
 すぐに温くなってしまった手拭いをよく見ると、血が着いていた。

 何事かと権平が覗き込もうとすると、観念したとばかりに仰向けになった流の鼻から血が出ていた。
 それが喉に流れ苦しそうに噎せたので「ええ、ええ。横になりなさい」と、鼻を拭ってやりながら促す。

 …あの男はこの子を際限なく、最早傷を付けるように弄ぶ。一体この、まだ10代の若者にどんな手管を使ったのかなど、考えるだけでおぞましい。
 夜長、流が真庭の部屋から帰ってくると、大抵ぐったりしている。ただし、今日はいつもより酷い。

 はあはあと、鼻血を吐き涙を流し「もう……立ち上がれない…」と言う声の弱々しさを悲しく感じる。

 触れられたくない事もあるだろうし、心配を掛けたくないのだろうとも感じ取れるのだから、やるせなくなる。

「…流」

 知っている。彼は、花を想い夜更けまでコツコツと、コケシでない、人形を掘っていると。その表情をちらと見る度、権平も若い頃を思い出すのだ、許嫁だった女にあげようと、帯に刺繍をしていた頃の気持ちを。

「…人形の服を思い出してな…。
 まぁ、作業着を少し拵えよう…かと、」

 この場には関係もないし意味もない言葉ばかりしか吐けない実情と心理の乖離。

 鼻から流れ込んだ血に詰まり咳をする、その背を摩る。
 権平は、暫くそのまま流の看病をした。翌日やはり寝込んだようで、襖は開かないままだった。

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