裏長屋の段 二
真庭がこの店を買い取ったのは確か二十歳程で、役者で言えば花盛り頃だ。
役者で儲けた金でまずは店主、小地主と成り上がっていった。
役人を金で買ったという噂もあったが、前の大地主はそもそも商売に向いていなかったのだ、今となっては。前の大地主が真庭に入れ込んでいたとも聞いた。
呉服屋時代のここは、仕入れ値やらなんやらと、とても民衆に寄り沿った店ではなく、そもそも街道自体の客層が武家や上級の役者やらと、今とは全く異なっていた。
流行りの歌舞伎やら何やら、急速な文化の変化に着いていけなかったのだろう。|見世《みせ》の配置が一気に古臭い印象に成り下がり、どちらかと言えば「金持ちの通り」という認識が広まっていた。
それに風を吹かせたのが真庭だった。
真庭のそれは流行り、若さや勢いでどうこうというものではない、天性の勘が頗る冴えた人間だったのだと思う。
「しかし、歳の割に鈍らないよなぁ」
「そうやね」
「見たかい?あの優男。あの着物も使い捨てになっちまうんかな?」
「下世話な話やで、佐助はん」
店の提灯を消す。通りに残った灯は飲み屋や役者小屋。
本日分の賃料を渡され、それぞれが裏長屋に帰った。
権平はふと、たまには先程流を見送ったように、自分たちの衣服くらいは作った方がいいかもしれないなと思い立った。
最近何回か、花は佐助に教わりながら番台に立つようになった。質屋の看板として天蓋を作ったのみならず、自らも名物となりつつある。
物騒な者もそうでない者も集まる分、若い娘を金がどうだという場所へ置くのは如何なものか…とまだまだ懸念はあるのだが。
質屋というもの自体、売り手は金貸しや金庫に近い名目だが、物を売りに来ているに等しいし買い手は安価なものを求めているのだし。
それに便乗し独自の商売をしているだけなのだと、権平はやり掛けの仕事を少し置いておくことにした。なんせ、そもそもこの店の形態で言うなら、受け取った瞬間から前倒しの仕事なのだ。
今日は良いきっかけになった。花もここに来た日の服と、あと1枚か2枚、それと普段着しかない。
せっかちでなく仕事でもない裁縫。
裁縫自体に好きも嫌いも考えたことがなかったが、さあさ自分たち、いや、2人の為にと着物を眺めると、権平は今までにない不思議な感覚に至った。
恐らく嫌いでは無いから、生まれた頃からここに居続けているのだと、権平も若さに感化された気がした。
…そう言えば、流に人形の服を頼まれた時。あの時も似たような感覚だったかもしれない、今の方が「嫌いでは無い作業」という意識が強いけれど。
なんなら、少し楽しいと感じた。
あぁ、流はいつも質草を手にする時、妙に嬉しそうに作業に取り掛かる。
あぁ、流はいつも、こんな物の見方なのかもしれない。この瞬間の自分とは違って、今のところ顔を見ることがあまりない赤の他人、「客」というものに対してだとしても。
自分は流よりも物を知り長く生きている。だが、仕事の方向が違う。確かに職人として、より良いものをと仕事をしている。
嫌いでは無いというのは、つまりそういうことなのかもしれないと、手始めとしてまずは畳まれた作業着を手に取ってみた。
…よく見ればこれは婦人物だ、しかもそうか、彼は木を削る、よく袖を縛っているせいか振袖部分、腕付近が衣擦れするようだ、薄くなっているし縫い目部分の糸も解れている。一層振袖部分を切ってしまおうか。
二着目はもう、酷いものだ。そうだったのかといくつか着物を品定めしているうちに、花の声がし、帰ってきたのだと知る。
「おかえり」
どうだったのかと聞こうと思えば、花はめそめそしており、流はそれを宥めるようにその背をさすり袖口で顔を少し拭ってやっていた。
「…どないしはった?お客さんにどやされ」
「あ、いいや、違うんです」
優しくも少し困った表情の流に「はて?」と聞こうにも「う、梅川さんがぁ、」と泣く花。はて、梅川とは誰かと問おうかとすれば「冥途の飛脚の話です」と流が答えた。
「冥途の飛脚?」
「今日の演目でした。花さん、悲しかったようで…」
「あのですねサイホウさん!」
飛びかかる勢いの花は「忠兵衛という男の人がね!」と語り始める。
「題名が斬新やなぁ」と花を引き取り思い出し、権平は流に「そうや流、店主が呼んどりましたえ」と要件を伝える。
流は少し口角を下げ「はぁ、わかりました」と、声の高さは変わらねど、少し沈まりすぐに出て行った。
足重な背。出て行く際に一寸見えた表情はまるで、能面のように何も無いものに変わっていた。
「花さん、風呂屋にでも行きましょか。汗もかいたやろうし、お顔も洗いましょな」
道中、冥途の飛脚の話をされた。題名通りのものだった。まるで夢見心地な花の背は熱く小さい。
しかしそれが実話だというのだから驚きだ。夢のような実話。
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