散り花の段 三


 …どうやら…そうですね、完成しなかったのですね。そら、そうなんでしょうね。

 ここまでではそう…忠臣蔵では大序を越え序も過ぎた頃でしょうかね…。
 では「破」として…ちなみに私は「急」を見届けたく思いますよ?貴方が、ここに来た理由…ここは、質屋ですから。


 花が早く寝静まった頃、いっそと、それでも帰らない流の元…表に、初めて向かってしまったことが、よくなかった。

 丁度……少し熱っぽい表情で奥の、真庭が寝起きする部屋から流がぼんやりと現れ…着物を羽織った真庭がいた。真庭は権平を見ると眉を寄せ不機嫌そうに舌打ちをする。

「水をとにかく飲みなさい」

 流と目が合う……その目はそれから先、権平には忘れることが出来なくなった。

 思えば、ここが分岐点だったのだと感じる。
 
 ……あぁ。そうだ、今更だ。
 今更情も何もを知っていた、どうして中途半端にこうして…妙な、胸のざわめき程度でここへ来てしまったのか。
 わかっていながらも目を瞑っていたではないかと、後悔することになるのにと、ハッキリ忘れられない表情だった。

 「何」と煙管を出す真庭に「…いや、」と俯けば「そうだよなぁ?」と嘲る口調で真庭は言う。

 ぐっと襟を掴まれ、頭を壁に打ち付けられた。
 まるで感情も籠らないような冷たい目付きの真庭を見たのは、その時が最初で最後になった。

 役者として名が売れ、まだまだやっていけるはずの真庭が、家名も立場も捨てここにいる理由。
 この通りに金持ちしか通わなかった頃の……。

「お前が両親や店を売ったのと、なんら変わらないだろう?」
「…そうやね、あんたが弟の嫁を捨てたんと、なんら」

 ピクっと眉を寄せた真庭は「誰のことだ?権平」と、煙を掛けてくる。

「…確かに、いまや様変わりしているこの通りで知る人も少ないやろうが、あんさんの嫁なんて、ここにいないやないか」

 ……歌舞伎一門の不祥事。
 有耶無耶で表では出てきてない話。

「……宗家家名を売ったのも…弟の嫁が失踪したのも同じ時期やて、」
「はっ、」

 払うように床へ投げられた。

「何を言い出すかと思えば。弟はあの山主だが何を言っている?悪いが喧嘩なんて儲けにもならないもの、買いたくないんだが」
「…弟に対してもそう、あんた、なしてそういうやり方しか出来んのか、なして皆や…自身ですらもそうして手折るようなやり方しか出来んのか」

 全てに傷を付け磨損にしてから捨てる方法でしか示せないのか。
 …酷く歪んでいて、自分勝手だ。

「つまらない偽善だな、権平」

 頭を踏みつけられ、「っ…」と声が出ない。

「だからお前はこうなってんだよ。美化して挙句の果てに正当化しやがる。他人が考えるほど他人の意思に意味なんてねぇよ」

 その割には随分とムキになっていると感じた後、ふっと起きたのは店先だった。

 どう取っ組み合いになったのかは覚えていないが…花が作った天窓の色しかわからないほどには視界がぼやけていて。
 その日から年々この目は悪くなっていった。
 朝、見つけた佐助が言うには「頭から血が流れていた」そうだ。恐らく打ち所が悪かった、というもので。

 その日、一本後ろの通りにある医療所で手当を受けて考えた。

「…また派手にやられたもんだね」
「…すまへんなぁ」
「医者にもそろそろ限界ですよ。今、目は見えていますか」
「……明らかによくはなく…これは」
「喋れるだけ良かったもんです…暫し寝ていきなさいな」

 真庭林蔵…過去の芸名は“松村まつむら扇一郎せんいちろう”。
 本当は三味線方宗家“市原いちはら”家のお家騒動。

 真庭が弟の嫁を寝取り、それでお家が栄えたようだったが、後にその嫁が稽古場の裏口にある井戸で発見されたという事件があった。噂では真庭が役人に金を握らせ、表に出なくなった話らしい。
 事件から僅かばかりで兄弟ともに歌舞伎を辞め家とも離縁したというのだから…と、昔の店では密かに周知されていた話だ。

 市原宗家の弟は事件の後、行方がわからない、とはなっている。

 木工細工を扱うようになってから…つまりは流がここに売られてきてからだ。
 後ろの山主から木材を発注するようになり、その弟の行方がわかった、しかしその山主自体は「弟」とハッキリ名乗っているわけではない。

 「竹河」と名乗る彼は山の麓でひっそりと商売をしている。主には“三味線修理屋”だそうで、それ故に潤沢な木材が手に入るようになっていた。

 まだ流が番台に慣れていない頃、質草の三味線を吹っ掛けられた際、店に弟が現れたことがある。

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