履物屋の段 三


 しかし少年は思った以上で、子供とは思えない程に物分りが良かった。

 三日もすれば、両親は二度と自分の前に現れないと当たり前に受け止めたようで、何事もなく、まるで前からそこに存在していたかの如く、環境が板に付いた。
 彼の器量や心持ちはとても、大人には勝てないと権平は複雑に思えた。

 流行りの雪駄等を作るような家柄だったからだろう、少年は次の日には真庭から樫の木と彫刻刀を渡され、木工細工を担当するようになる。

 真庭の質屋は、丁稚が作った品も模造と記し販売をしていた。きちんと記したとしてもつまり、贋作も平気で売るような店だったのだ。

 どこか心の有様を封じたような素振りの少年は担保の七日間、奥の部屋へ呼ばれ、安紙でコケシ・・・のような物を絵に描き、権平の作業場の襖一枚隔てた隣で木を彫り過ごしていた。

 始めこそおっかなびっくりとする様、木を削ることもままならなかったが、元々本当に手先も器用だったようだ。

 コケシが生々しい形になる頃には、担保、流質期間などという言葉を誰しもが忘れていた。
 当日、やはり客は戻ってこず、担保放棄され、ながれと呼ばれるようになる。質流れと、皮肉ったような呼び名だった。

 皆、似たような境遇だからかもしれない。例えば権平は元は呉服屋だった。経営難で今に至る。
 生きてきた今までも、名を名乗ったことが少ない。認識された記号がそのまま名前のように扱われる。そういった待遇に誰も疑問すら抱くことがなかった。

 その自然さでいつの間にから権平は流から、裁縫をする“サイホウさん”と呼ばれるようになっていた。

 親しみやすいし何より、とても子供らしい。ひっそり気に入っていた。
 自分と流の関係を語るのにはそれで充分な程の“名”という記号。普通では無い最中に見出した、数少ない和やかな思い出。

 それが権平と流の出会い。

 その流が作っていたコケシは、コケシではないとわかるものだった。真庭がそれを命じた…貞操観念が崩れるような何かがあったと容易に確信が出来る出来栄え。

 彼は、当時江戸の花街で重宝された四ツ目屋の張り型の模造品を作っていたのだ。
 権平もたまたま、張り型の実物を一度だけ見たことがある。

 陰間かげまが年期を明ける際によく、着物を売りに来る。その中に紛れていたことがあった。

 あれは精巧に成人の逸物を模していて、それを何個も何個も作り、贋作ではあるが上等で新品。安値だが売れた。
 それが流の最初の功績だったが、木製品は日用品ばかりが多いため、多少高くとも売れる。彼が店から重宝されるのも、存外早かった。

 真庭を阿漕な男だと称したが、物を新品同様に治すことが出来、客に満足して貰えればそれなりにやり甲斐も生まれるものではあったのも、確かではある。

 職人の修復、もしくは模造品に彼は彼なりに拘りを見出し、純真、清廉潔白といった心持ちで品物と向き合うようになっている様に見えた、あの頃は。

 しかし、その純粋な気持ちすらも踏みにじられているということすら、彼は知らないまま…なのかもしれない。

 流はいつか、ここから更にどこかへ消えるだろう。それはわかっていた。

 権平も流もただただ、ただただ若かったのだ。

 しかし子供が売られてきたのは、何も流だけではなかった。

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