履物屋の段 二
店主はからんと袖から一枚の小判を出し、笑みを浮かべた。
「い、いえ、あの…こんなには、」
「この子は、鰻、食べたことあります?」
真庭は、履物を持った子供に優しく手を回し改めて顔を眺めては「凄いなぁ、歌舞伎役者だ」と、蛇目の笑顔で親元に金をチラつかせる。
「隣の両替屋に行く前に、少々茶でもいかがですかな?」
真庭は真意が見えたと言わんばかりに子供を抱え立たせ、硬直する親も構わず横を通りスススと、店を出て行った。
異例であり、止める間もない。
うだつの上がらぬままの母は、店主の背を「待て」とも言わず俯いたまま、震えた手に金を握って着いて行く。
その震える拳の結末を、権平も誰しも、その場の雰囲気で理解はした。
真庭が子供のみを連れ帰ってきたのは夕暮れ過ぎ。
「事情はわかったな、仕込め」と言い残してまた奥へ引っ込む真庭と、残され、真っ青な表情で俯く子供。
やはりそうかと、権平はギュッと握られた子供の両拳に優しく手を添え「冷えるやろう」と、修復が完了していた担保放棄の羽織を肩に掛けてやることしか思いも付かず。
「茶ぁでも入れましょか。少しの間、よろしゅうなぁ」
茶を汲もうと立ち上がる権平を見上げた子供の両の瞼は少し赤く、茶色く薄い光。穢れを知らぬ目をしていた。
「…………」
それだけで伝わる子供の恐怖心に、権平はただただ「今日のことは忘れなさい」と、柔ら気に言うしか、やはり出来ず。
子供の両親は茶屋から戻らなかった。子供のみを連れ帰る真庭の悪趣味な手法を非道だと捉えつつも、誰も仕方がない。
恐らく両親は己らが提示した銀一匁程を今、溶かしている。それは、担保放棄と同じことだ。
この子供は金になるからここにいる、ことに他ならない。
当時、真庭はここら一体の大地主だった。向かいの茶屋も、真庭が昔馴染みから買い取った店だ。
少年がその場で売られてしまわなかったのは、不幸中の幸いなのか、まだ担保期間だからか…。
真庭は、阿漕な商売をする男だった。
本来、流質期限は担保の品物に手を付けずに置いておく。しかし、品を預かる代金として一日ずつ利息は発生していく。
期限が過ぎたら修復し質札の利息より高く売るのがこの商売。担保を拒否されれば最早こちらの物なのである。
流質期限とは言ったが、真庭の質屋にはその概念はなく、期限内でも質物に手を付ける。だから、始めから“修理代”込とし、高額で貸付け、更に利息を上げていく。
質屋に来る客自身も「売りに来た」という認識は強いだろう。担保拒否など、本来の質屋ですらよくあることだった。
貸した金は返って来ない、恐らく真庭の根底にはどこかそれがあったのかもしれないと、今なら思う。
「歌舞伎役者」と称された可愛らしい少年の七日先を考えれば、権平は自然と「腹は減ってないかえ」と慈悲深く気遣うしかなく。
さっきまで姿もなかった知らない大人に驚く、いや、恐怖の方がしっくりと伝わってきたが、少年は辛うじて首を動かした。
それは肯定か否定かの意味もわからぬ、まるで震えたような仕草。
「……腹が減ってはなんぼやで。わてもぼちぼち夕餉やさかい、な?」
この少年の心中にせめて光が射せばと思ったのだが、彼は俯いたまま「父ちゃんと母ちゃんが裸になって…」と真実を呟く。
「今日日蕎麦でも食べましょか。何日食うてないん?わての奢りはそれくらいで…鰻はいつか」
溜息を殺しつつ、権平は佐助に「蕎麦でええ」と伝えればやれやれと子供を眺め、「そうだなぁ」と佐助も呟くことしか出来ぬ様。
「その子は手先が器用なもんで…店主がこれをな」
佐助がふと出したのは、来てすぐ、少年が誇らしげに差し出していた履物の束だった。
「…鰻でも食って」
「いや、恐らく…」
「それが、店主がもう、頼んだようで…」
いくら卸してもいない日用品とはいえ、流石に鰻には程遠い。
権平の心中は例えるなら、小骨がざらつくような喉の痞。こんな時には偽善など磨損以下、なんぼも価値がない。
意味の成さない戯言でも吐かねばやっていられなかったのかもしれないと、今更にでもありありと思い出す。
多難とは言えど、まだ権平はこの頃、若かった。
「…お茶で割りましょか。名古屋らへんやと、そうやって食うんやで?」
「へぇ、そりゃ美味いんかい?」
「いや、わからん。わては金しか使わへんかったから」
「そうかい、そうだったなぁ」
鰻屋から届いた丼に茶を注し少年に出してやったが、光物には慣れがある。少年は丼を、厠で全て吐き出してしまっていた。
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