無色透明色彩


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 カメラ越しに見える、カーテンの影。

「あーあー。すっげーなありゃ」

 隣でイヤホンを耳にしボイスレコーダーを弄る同僚も「奇声だよなこりゃ」と同意をする。

「ここまですげぇとカメラも頼んだ方がよかったかもな」

 渋々と一眼レフを置き、双眼鏡とイヤホン、席をそれぞれ交代した。

「お盛んなもんだ」
「女は30後半からって言うが、にしてもヤベェよな」

 「電気消さない派なんだな」と、双眼鏡を覗いて言う。

「相手方は声すら掻き消されてる」
「バレてねぇよな?やっぱ、カメラも仕込むべきだったかな…」
「確かに、これじゃ証拠には弱いよなぁ」

 ふう、と一息吐きダッシュボードに手を伸ばそうとした時だった。

「お兄さん方」

 急に掛かった声に、少し身構える。

 相手は…。
 目蓋とまつ毛の間、その延長線上の輪郭あたりに小さなホクロがあるスッキリした顔立ちの男。特徴的だ、しかし全く見覚えのない。
 そんな男がどうやら、ラフな格好である。

 これは不自然だ。
 
 ヤジと判断し追い払おうとしたが、その風貌に似つかわしくもない黒い手帖をチラっと見せられ、一気に車内の空気が冷え込んだ。
 仕方なしに「はい…」と、自然とイヤホン、双眼鏡を伏せながら窓を開ける。

 一応、違法駐車ではないが……職務質問はされそうか。

「お宅ら、そこの調査中?」

 男は対象の方を指して言う。
 一瞬詰まった隙に「すみませんね、こちらも捜査中で」と言う表情は読みにくい。

 …これは正直に言うのが吉ではある、が…こちらも仕事だ。一旦退散した方がいいだろうか。

 考える絶妙な間で「探偵ですよね」と、相手から話を振られてしまいまた行き場がなくなってゆく。まるで、外堀を埋めるような手口。

「…あー、警戒しないでください」

 男は車を軽く覗き込み、黒い革財布と何も書かれていない領収書を見せてきた。

「色々見逃します。人件費と…情報も買いたい。言い値で構わない、ご納得頂けたらこれにサインしてくれませんかね?
 秘密保持契約書も渡します」

 正規ルートとブッキングしてしまえばこちらは引かなければならない…が、依頼人とも“秘密保持契約”くらいは交わしている。

「…えぇっと…」

 男はスっと「これも機密事項で」と名刺を出してきた。

 男の名刺には「特別取締官 海江田安慈」とある。取り敢えず肩書きはわかったが…。
 …なんだ、それは?
 ついつい顔と名刺を交互に見てしまった。

 海江田という優男は涼しい顔を伏せタバコを取り出し「そちらは何日目ですか?」などと聞いてくる。

「…三日ですが」
「あ、俺らの方が先ですね。
 率直に言うと民間会社だろうから、手を引いた方が安全ですよ。これは根深い」

 海江田がチラッと、駐車場の端をまるで促すように見る。
 嫌々とそちらを見れば車にはもう一人、運転席からこちらを眺める人物がいた。

 …まるで、こちらの意図は二の次だが、確かにグレーゾーンだ。完全に自分たちの方が不利だと悟れば、海江田は手の平を見せてきた。
 どうやら本当に資料を要求されているらしい…。

「ま、お宅の株も上がるはずです。書類は明日届けますが…保証しますよ、お宅はクリーンであるという評判も得られるでしょうし、こちらに明け渡してさえくれればいつもより金も弾むでしょう。
 まぁ、俺がその資料を眺める間、上司と連絡を取ってください」

 言われるまま、依頼人の情報を渡した。
 仕方なしと上司に電話をしながらも例の部屋を眺める。

 海江田は当たり前な態度で資料を眺めながらボイスレコーダーを聴き始めた。

「……もしもし、タグチ所長。イシダです。
 現在張り込み中でしたが、その……行政が入り込んできまして……どうやら今回の依頼、明け渡した方が良さそうです。
 …はい。確かに対象者の様子も少し変──」

 話しているうちに、対象者が急に後ろへぶっ倒れる影が見えた。

「え……」

 困惑も追いつかないまま、海江田はパッと書類を返し「救急車を呼んでおいてください」と素早く指示をしてきた。

「我々は別で・・警察を呼びます。お宅はこの場から立ち去ってください。後に救急隊及び警察から話は行くでしょうが、お宅らの話のみをお願いします。
 後に正式な形で伺います」

 ご苦労様でした、と労う際に探偵から名刺を貰い受け、自分の車に戻る。

 探偵の車は指示通り、踵を返して去った。

「どうし」
「マルが奇声を発してぶっ倒れた」

 海江田が「もしもし、事件です」と通話をしながらドアを開ける側で、相方は上司の番号を呼び出し「もしもし坂下です」と報告を入れる。

「特別捜査官、海江田カイエダ安慈ヤスチカ坂下サカシタ俊介シュンスケと申します。
 場所はかざ…かぜみどり?かざみどり?風に緑、ハイツ11棟の404号室です。
 こちらで張り込みをしていたところ、世帯主の妻、斎藤美香が奇声を発し倒れたのが見えました。救急隊は手配済みです。
 あ、我々は今から2…いや、4課の方に赴きます。こちらの所長にも現在進行形で連絡を取っていますので迅速に話が行くかと思います。
 30分程度で着くかと。連絡は夫、斎藤一海へ。それでは」

 矢継ぎ早に電話を切ると、坂下が「やっすいな〜」と茶々を入れつつ車を発進させた。

「カザミドリよりお前の名前の方が読めねーよ。演技下手かよ」
「実際あんま日本語上手くねぇんですよ」
「はいはい。しっかし、やっぱ黒か…お前のハイエナ根性すげぇや。
 うーん、それならそれでやり方考えないとな」
「……こっからは俺が行っていいですかね?センパイ、家庭あるし」

 煙草に火を点ける。
 「吸うなっつーの」と言われたが、窓を全開にして煙を吐いた。

「間違いねぇんだよな?」
「ないですね。も〜グリズリーみてぇな喘ぎ声でしたよ」

 先程交換した探偵事務所の名刺を渡しておく。

「…浮気で済んだらよかったのにな」
「今更でしょ」

 ぼんやり、引越しの手順を考えた。

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