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冷たい目で兄は「弟の竹河榮治だ」と役人に告げる。
「こうして話すのは久しぶりだな。祝言を挙げたと聞いた。
祝儀がまだだったな、少し待ってろ」
…この男は何を言っているのかとただ睨むも、兄はまともに私の表情すら見ていない。
筵の側にいる役人と目が合い、中を確認する。
…引き裂かれた跡のある、菊の刺繍が入った青い着物。3日前、幸が楽屋へ挨拶回りをすると言って出て行った時の着物だった。
遺体は青白く、しかし顔も…形がわからない。本当に3日間もこの井戸に沈んでいたのか…しかし、それなら誰か、すぐに気付きそうだが…。
「……ひでぇもんです。
こちらは、お宅の女房で間違いは」
一度楽屋に引っ込んだ兄がすぐに戻り「そいつの女房は俺ん家にいるんだ」と、役人に金を見せ、そう言った。
「3日ほど前に礼参りに来てな」
兄は役人に1枚の金を渡し、それから私にも「気持ち程度だが」と渡してくる。
更に、案内役にもそうして金を渡しながら「よく出来た嫁さんでな」と続ける。
「害虫避けにと最近、俺の行き帰り側にいてくれてな。
弟も俺も稽古中で籠ってることが多いが今日は弟と時間が合わなかったもんで、丁度良いと令返しに本家に呼んでいたが、給仕させちまってるかもな。俺としてはこの通り独り身なんで助かるんだが、少々申し訳なく思ってたところだ」
「…そう…なんですか?」
「その金は要らぬ誤解を招いた手間賃だ。手向けとして…」
役人の手にじゃらっと六文を出し「その故人にはお悔やみを」と言った。
「榮治、これで嫁さん、買ったよ」
「兄様、どういうことですか」と…声が震えた。
「どうって?義太夫宗家と役者の婚礼なんて、不自然ではないだろう?」
少しヒリ付く空気の中、役人が「えっと、この方は」と問うのを遮り兄は「これ以上故人の冒涜はしたくない。今語ったのが真実だ」と言い切り、目では私に「来い」と語る。
「……扇一郎さんも夜道にはお気をつけくださいね」
金1枚ごときと……肩書きで従う役人にも腹は立つが、兄は扇子を広げボソッと「あちらの宗家にもそう伝えておく」と言った。
「……どうして、」
「15で嫁いですぐの娘がお前の不始末で皿屋敷等、笑える話じゃないだろ」
確かに、そうだが。
「…それで兄様が私から妻を寝取ったなど、結局は火事場に風を吹かせるような話じゃないですか」
「だから金握らせているんだろ。これで俺は買い物をしたに過ぎない」
「……この世にいない娘を買おうなど」
「その金を受け取ったからにはお前は嫁を売ったんだ、なんの火も立っていない松村に。
市原も竹河の次男より、同じくらいに規模のある松村に娘を売った方が良いだろう、その方が金が鳴る」
「そんな…っ。
あぁはなっても、幸は私に」
「尽くしたろうな?だがそれは短絡的だ、一部分しか見ていない。
周りを見て考えろ。こんな打算的な、しかも孤立しつつある分家、すぐに潰れるよ。お前はこれを機に縁切りされておけ」
「……貴方は昔からそうだ、人の心が」
「そんなもの、役者に求めるな」
その夜を境に、私は松村扇一郎と兄弟を止めることになった。
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