spinnengewebe5




立体機動装置のワイヤーがうまく張れず木から落ち、背中から地面に叩きつけられた。
ぐっと変な声が出て息が止まるかと思った。

手の感覚で腰から装置を外し、大きくため息をつく。

身体を起こすのが億劫で仰向けのまま、木々の隙間に映る灰色の空を見つめる。
また、ため息が出た。

訓練に身が入らない。戦場ではこんなミスは絶対に許されない。
正式に団員となってからも初歩的な訓練をしているのはまふゆくらいかもしれない。同期の中で成績は悪かったし、特別な能力もない。せめてみんなの足手まといにならないようにと続けてきたが、今はもっと――もしまふゆがヘマをして危険に晒されれば、リヴァイが救おうとするのではないか。どんなにリヴァイが強くても、まふゆに気を向けた一瞬の隙に戦況が変わったとしたら。常に不安がつきまとっていた。

もう二度と、自分のせいで誰かを犠牲にしたくない。あの時まふゆがあんな所で遊んでいなければ両親は死なずに済んだのに。
兵士になろうと決めたのは、意思というより救われた命でやらなければならない義務。親の仇、そして誰かの助けを借りなければ生きられなかった弱い自分に手を差し伸べてくれたすべての人たちに恩返しをしたい。目の前で親を失い頭の中が真っ白になった時、導いてくれた大きくて力強い手を一生忘れない。
そのためだけに生きて、考えるのをやめた。自分のこと、明日のこと、考えれば恐怖で足が竦んで動けなくなってしまう。失うのが怖いから、もう何も欲しくなかった。
リヴァイのことに限らず、逃げてばかりいる。
リヴァイはきっと気がついていて、バカだクソだというのだろう。

こんな自我のない、空っぽの自分を求められるのが理解できなかった。

だがまふゆにはできることがあると知り、躊躇いを捨てた。

――寂しかったんだ。
ずっと、孤独だったんだ。
どうしてもっと早く気づけなかったのか。
重たいものをたくさん背負って、いつも毅然と前を向いて立っていなければならなくて、胸の内を明かせずどんなに苦しんでいたんだろう。
少なくともまふゆが傍にいれば、リヴァイが独りで闇に沈むことはない。吐き出したい気持ちは全部まふゆにぶつければいい。

ただし、新たな問題がある。


愛してくれ――


苦しそうに囁いた声が耳に残っている。

左手を宙にかざし、鈍く光る指輪を眺めた。

「……なんだってかまわないって、言ったくせに」

ぽつりと愚痴が零れる。傍にいる意味はリヴァイの望むものとは違ってしまうけれど、どんな形でもいいと言っていたではないか。

答えを出せたと思ったらまた難題だ。

まふゆは誰かを好きになったことがない。
愛なんてもっとわからない。

世話になっていた村では、仲の良い恋人同士がいた。
いつでも二人だけの世界にいて、他のものは目に入っていないんじゃないかというくらいいちゃいちゃしていた。お互いを強く想い合っているのが伝わってきて、とても幸せそうに見えた。
好きになるって、恋人ってああいうものなんだな、と幼いながらに思った。

「…………」

愛するとなったら、恋人っぽくしなければならないのだろうか?
想像だけでこそばゆくてぞわぞわする。この間、半分ヤケで抱きついた時も顔が沸騰しそうに恥ずかしかった。なぜか裸で抱き合うより恥ずかしいと思ってしまう。

でも。
ひょっとして、ベタベタしていたらそのうち本当に好きになって、愛せるかもしれない――

「それだ!」

と、飛び起きた瞬間、向かい側の木に寄り掛かっているリヴァイの姿が目に入った。

「…頭打ってますますおかしくなったか?」

腕を組んだままいつもどおりの表情で平然と言うが、まったく気がつかなかったまふゆにしてみればかなりの驚きだった。

「なんでそんな所に?! いつからいたんですか…?」

「訓練場に入るのが見えたから、特訓の成果を確かめてやろうと思った」

「あ、ありがとうございます……。でもなんかス」

「――それ以上言うなら口を塞ぐ」

「それっぽいって自覚あるんですね…」

「俺も初めて知った。けっこうしつこくて、執着する男だとな」

自嘲気味に言いながら近づいてきたリヴァイが片膝をつき、身を屈める。
顔を上向かされ、そっと触れる唇に忠告どおり口を塞がれた。

「悪かったな、なんだってかまわなくなくなって」

皮肉を浮かべて笑っている。
まふゆの独り言もしっかり聞かれていたわけだ。

顎を引こうとすると今度は噛みつくように口づけられて、舌が深く入り込んできた。息が苦しくなったところで解放され、まふゆの唇を拭った指先が離れていく。
リヴァイはまふゆの隣に腰を下ろした。
まだ熱を持った感触が残っている。なんだか熱が全身に広がりそうだった。
呼吸を整えてから、無言で座るリヴァイの横顔をちらりと見る。
以前のように、誰かに見られたらとか話題を作らなければとか、無駄に焦らなくなっていた。
しかし別の理由で落ち着かなくなる。ベタベタを実行に移す絶好の機会だ。が、部屋ならともかく公共の場で抱きつくのは抵抗がある。
村にいた二人が他に何をしていたか懸命に思い出す。寄り添って肩を抱いたりキスしたり…そうだ、手をつないでいた。それならまふゆでもできそうだ。
こっそり下から手を伸ばしてリヴァイの手を掴もうとしたが、その手の甲にちょっとした切り傷のようなものがあるのが目についた。

「手、どうしたんですか」

疑問が先に口から出てしまって、タイミングを逃した手を素早く引っ込める。
振り向いたリヴァイは何のことだかわからないというようにまふゆの顔と自分の手を交互に見て、

「……ああ、あれか」

今気づいたように小さく呟いた。

「少しばかりやりすぎて引っ掻かれた。まぁ、悪いとは思ってねぇけどな。なにしろ俺に手を焼かせる最悪の魔物だ」

毎回リヴァイと同じ任務につくわけではないから、その時どんな状況で闘っているのか知らない。
少しだけ、心配になった。

「やりすぎって、兵長が強いのはわかってますけど、そんなバケモノ相手に無茶しないでください」

「……人のことより自分の心配をしろ。さっきのざまはなんだ」

「すみません…」

「俺に謝ってどうする、お前自身のためだろう。徐々に伸びてると思ってたが、気持ちを切り替えられねぇならやめろ。時間の無駄だ」

「…はい」

単なる失敗ではなく、集中できていなかったことまでばれている。注意されているのに、さすがの洞察力だと敬意を抱いてしまう。
するとリヴァイが忌々しそうに舌打ちした。
真面目に聞けと怒られるのだと思った。

「お前は何のために訓練するんだ?」

「何…って…」

「力をつけるためでも、身を守るためでもねぇ。他の奴らに面倒かけねぇように、ってところか」

「……」

「俺のことにはやたらと一生懸命だが、自分はどうでもいい。どうなってもいい――そう言ってるように見えて、お前が巨人に突っ込んでいくたびぞっとする」

別に、どうなってもいいとまでは思っていない。死ぬのは怖い。逃げるのが得意だから、その恐怖からも逃げているだけだ。ある意味無心で闘い、機械的に目の前の敵を倒す。闘っている最中の記憶もあまりない。

「俺の大事なものを粗末に扱うのは許さねぇ。だから俺のために、死なねぇよう闘え」

「…兵長のために?」

「そうだ。俺のために全力を尽くせ」

まふゆをじっと見つめる眼差しは、好きだと言われている時と重なって見えた。

俺のためだと傲慢さを装っていても、痛いほどに伝わってくる。
まふゆの身を案じている。まふゆがリヴァイを思うのと同じように。

無理にベタベタしようなんて思ったのは間違いだったと気づく。そして同時に、やっぱり自分はばかなんだなと思った。今までだってリヴァイはこうして愛情を向けてくれていたのに、本当の意味を理解していなかった。愛すること、愛されることを意識したせいで、まふゆの気持ちが変わったのかもしれない。
目に見える形だけが愛するってことじゃないんだ。相手を想う気持ちがすべてを動かすんだ。

「……わかりました」

リヴァイが安心していられるくらいになれば、助けられることもないはずだ。
言葉どおりリヴァイのために、まふゆの今までの願いと変わらない。

「いい子だ」

「……」

満足そうに言うリヴァイの声が甘く聴こえて、急激に照れくささが込み上げる。
瞬く間に顔が赤らむのがわかって俯いた。

「……クソまふゆ」

――あれ?

ふと、先程の思いが甦る。

同じ?
どうして同じだと思ったんだろう。

愛情からくるリヴァイの思いと、ただ心配なだけのまふゆと。

「まさかそんな顔が見られるとはな。好きだの愛だのより子供だましがお好みか…どこまでも手を焼かせやがる」

『俺のことにはやたらと一生懸命だが――』

言われてみれば必死だった。
孤独など感じさせたくない。傍にいると決めたからにはできるだけの望みに応えたい。まふゆのために、必要のない危険に巻き込みたくない。
いや、もっと前から。
リヴァイの言葉ひとつひとつを受け止め、悩んで迷ってあれこれ考えて、気がつくといつもリヴァイのことばかり思っていた。

「……おい」


――相手を想う気持ちがすべてを動かす――


「前言撤回だ、クソガキ。俺の前で他の事考えられるとは余裕じゃねぇか」

いきなり肩を振り向かされ、はっとする。
そしてリヴァイと目を合わせた時、確信した。



それは、大事な人、だから。



「――――」

ふっと力の抜ける感覚だった。

「…どうした?」

「なんでもないです。用事を思い出したので失礼します」

まふゆは立ち上がり、置きっぱなしの装置を引ったくって駆け出した。

「待て――」

追いかけてくるリヴァイの声を振り切って。






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