月が綺麗ですね


(ドキサバ→テニラビ)





待ちくたびれた。
いつまで待っても電話はかかってこない。snsにメッセージも入らない。
そろそろ限界だ。
合宿に来てからまだ一度もつぐみの声を聞いていない。
我ながらバカみたいなプライドが邪魔して自分からかけることができない。
夕食後の自主トレを一通り終え、休憩を取りながらも携帯の画面ばかり確認している。
だが通知はない。

もしもの時を考え隠してある写真。撮らせてくれと言えず、つき合っているのに隠し撮りした。
そればかり眺めている。
なぜなら奇跡的に素晴らしい写真だからだ。
隠し撮りなのでつぐみの目線はカメラを向いていない。しかし、日吉を見上げる表情は恋する乙女全開で、赤面するほど可愛い。客観的に見て初めて気づいた。いつもこんな顔で見つめられていること、それを独り占めしている幸せに。

と、その時。呼び出しのバイブレーションが響いた。
つぐみの名前が表示されている。

飛び上がりそうに逸る気持ちを抑え、精一杯の平静を装ってタッチする。

「……もしもし?若くん?」

遠慮がちなつぐみの声がする。
それなのに。

「バカ!かけてくるなって言ったろ」

そう言いながらベッドを飛び降りて、部屋の外へ出る。
違う。こんなことが言いたいんじゃない。

「うん……ごめんね。ずっと我慢してたんだけど一言だけでいいからどうしても声が聴きたくなって」

悪くなくても謝るのはつぐみの悪い癖だ。

「今忙しかった?」

「別に。ベッドで横になってただけだ」

言いながら、廊下の隅のソファに腰を下ろした。

「ちょっとなら大丈夫?」

「まぁ、ちょっとならな」

穏やかな優しい声を聴いていると、合宿ではない場所に瞬間移動した気分になる。

「ちゃんと夜寝れてる?」

「フン…まず言うのがそれなのか。保護者かなにかか?」

「え?何を言ってほしいの?」

「…何も。会いたいとか言われても困るしな」

「そんなこと言わないよ」

「わかってる。念を押しただけだ」

「若くんは練習に熱中しすぎて夜もろくに寝ないんじゃないかって心配してたんだから」

「規則正しい生活は基本だ。それを怠って強くなれるはずないだろ」

「そうだよね。なんか、いつも通りの若くんで安心した。じゃあ体に気を付けて、邪魔してごめんね」

「待て。自分だけ喋って切ろうとするな」

「あ、うん。なぁに?」

「…いや…これといって特に話題はないんだが…」

「そう」

「……」

無理矢理話題をひねり出そうとしたが、もともと会話好きでもない上に焦った頭は回らない。
怪談話ならいくらでも出るのに…などと思いながら、久しぶりの電話でつぐみの嫌がる話をするほど馬鹿じゃない。というか傍にいないのに話しても面白くないし、今怪談話をする意味もわからない。
頭がだいぶ混乱しているようだ。

「…一緒に行ったジェラート屋さん覚えてる? リニューアルオープンするんだって」

「そうか」

映画の帰りに寄った店か、とあの日の景色が脳裏に甦る。
ホラー映画の後だからちょっとだけつぐみのご機嫌取りをした。

「帰ってきたらまた行こうね」

「……映画もな」

わざと小さくつぶやいた。

「なに?」

「何も言ってない」

「あのね……」

「なんだよ?」

「あんまり声聴いてると会いたくなっちゃうからそろそろ切るね。電話つき合ってくれてありがとう、若くん」

「別につき合ったわけじゃない」

「うん。そういうところ大好き」

ブツッ。

「あっ、」

言い逃げで通話を切られてしまった。

「あいつ……やりやがったな」

大好き、って。

「ったく、恥ずかしいこと言いやがって……」

何故今なんだ。二人きりの時に言えばいいものを。
反応したくても、いきなりで何もできなかったではないか。
不完全燃焼のような、やりばのない感情はどうすればいいのだ。
かけてくるなと言われて実は怒っていたのかもしれない。わざとやったんじゃないかと疑いたくなる。



仕方なく、気分を持て余したまま部屋に戻ることにした。

「おっ。お帰り〜」

にやにやした切原とこちらには無関心そうに携帯を操作する財前が待ち構えていた。
切原の顔をみればわかる。やはりばれてしまったかとため息をついた。

「顔が紅いぞ」

「…っ」

「そんなあからさまに、なんかありましたって顔されてもなぁ。…おもろいけど」

見ていないような顔をして見ている財前は本当に侮れないと思う。

「さっきのあれ小日向だろ?まだ続いてたんだ。あんたひねくれてるからとっくに愛想尽かされたと思ったぜ」

「余計なお世話だ」

「しかしせっかくかけてきてくれた彼女にあんな言い方するかねぇ〜。あの調子じゃ振られるのも時間の問題かもな。うちの先輩たちもけっこう小日向気に入ってたくらいだから、帰った時にはもう他に彼氏できてんじゃねーの」

「切原、日吉の彼女知っとるんや?」

「そういや財前はあの時合宿来なかったんだっけな。色々面白かったぜー、ネタには困らなかっただろうな。悪の秘密結社とかUFOとかお化け屋敷とか」

「ちゅーか俺より日吉の好きそうなネタやんな。ま、合宿はともかく俺も日吉の彼女見てみたいわ」

「あの時青学の不二さんが撮ってくれた写真、持ってくりゃよかったぜ。つぐみん可愛いよ、つぐみん」

「ふん、残念だったな。勝手に盛り上がってろ」

「なんやなんや、大事な彼女俺に見せるのも惜しいんかいな」

興味なさそうな顔をしていた財前も切原につられるように乗ってくる。

「うるさい。どうせネタにする気だろ。あいつは見世物じゃない」

「と、いうようないい感じの言葉をなんで本人には言えないのか俺にはわからねーぜ。絶対喜ぶのに」

「切原何言うとんねん、俺らの知らんとこで好き好き言うてイチャついとる可能性ありやんか」

「ふん、ばかめ」

日吉は学習していた。ここでムキになって言い返せば相手の思う壺なのだ。

「いやいや。想像つかねぇししたくもねぇけど。言われてみりゃ確かに、あの短い合宿期間にちゃっかり口説いてるくらいだからな」

「――誰が口説くか!あっちからきたんだ!」

「ほぉー、そうなんや。んで日吉も満更やなかったと」

「ちぇっ、俺のとこにきてくれれば優しい彼氏が大事にしてあげたのになーって、今からでも遅くねぇかもな?」

「つき合ってられるか。もう寝るぞ」

好奇の眼差しで見ている二人を振り切り、ベッドへ上がった。

「あーなんだよ、もっと聞き出したかったのに」

「もうちょいうまくやらな」






日吉は、消灯後のベッドの中でじっと天井を見つめていた。

せっかくかけてきてくれた彼女にあんな言い方するかねぇ〜
帰った時にはもう他に彼氏できてんじゃねーの

切原の言葉が気になってなかなか寝付けない。確かに、もう少しやわらかい言い方があったかもしれない。
つぐみとつき合い始めてから、気持ちの表現が少しだけうまくなったように感じていたが、それでもデートの後はいつも後悔している気がする。もっと優しくすればよかったと。
気になり出すとじっとしていられなかった。

寝入っている海堂を起こさないように、夜更かし切原と財前に怪しまれないように、そっと部屋を出た。


静まり返ったロビーは少しの物音も大きく反響してしまう。足音は絨毯に吸収されるもののなるべく音を消すように歩いていくと、常夜灯の薄暗い灯りの中に月明かりが差し込んでいた。
大きな窓辺に近づくと夜空がよく見えた。
周りに人がいないことを確認してから、つぐみの番号を押した。

呼び出し音が数回鳴って、つながった。

「もしもし、俺だ」

「若くん?どうしたの?何かあった?」

「何もあるわけないだろ。さっきお前がへんな切り方したから文句言ってやろうと思っただけだ」

「ごめんね。そっちから切られるのが嫌で先に切っちゃった」

まさかそんな理由だとは思わなかった。呆れたようなほっとしたような。

「なら同時に切ればいい」

「あ、そっか。じゃあ次からそうしようね?」

「何がそうしようねだ。勝手な奴め」

と言ったところで今更ながらにはっとする。自分こそ、つぐみの都合も考えずにもやもやした勢いで電話してしまった。

「……今、かけて平気だったか?」

「もちろん平気だよ。でも若くんは眠くないの?」

「目が冴えて眠れないから電話したんだ。お前は泣き虫だからな。俺に冷たくされた、とかいって泣いてたら後味悪いから確かめたんだ」

「…心配かけたくなかったのに、結局かけちゃったんだ。若くんがテニスに集中できるように邪魔したくなかったんだけど…やっぱり電話しなきゃよかったな」

「――違う」

「…え?」

「本当は俺がお前の声を聴きたかったんだ。だからありがたかった。それを…言えなかった」

「――――」

「な、なんだよ…そこで黙るな」

窓ガラスに映る自分の姿が恥ずかしくなって思わず背を向ける。

「ごめん感激してた。今の言葉、心配されるよりずっと嬉しいよ」

つぐみは今どんな表情をしているのだろう。涙声に聴こえるのは気のせいだろうか?
自分の目で見て確かめられないのが残念でしかたなかった。

その時ふと気がつく。
背中に浴びる月明かり。

「おい。そこから空見えるか?」

「うん、今窓開けるね」

雑音が聴こえる。

「月が綺麗だ」

「あ、満月だ。同じ月見てるのかな?ほんと綺麗だね」

「死んでもいい。…ま、まぁ本当に死ぬ気は一切ないがな」

「待って。死ぬってどういうこと?ほんとは何かあったんじゃないの?」

「違う。何もない。ルナティックの話だ。月の狂気にやられたんだ」

ずり落ちそうになる携帯を握り締めて言い訳を考える。
月の狂気。まあ、間違ってはいない。

「てことは何かに変身するの?」

「するわけねぇだろ」

「わかった。どす黒い衝動に支配されるんだね?」

「されない」

「あ、それはいつものことだった」

「…お前、ちょいちょい失礼なんだよ。帰ったら覚悟しろよ」

「うん。楽しみに待ってる」

卑怯な奴め。
そんなの反則だろ。
会いたいなんて言葉より効く一撃だ。

会いたい。今すぐに会いたくてたまらない。

今やるべきことはテニスだ。
下剋上を果たし上へ上へと昇り詰めるんだ。
そのためにはテニスに集中し、余計なことに囚われている場合じゃない。

「若くん?」

「なんだよ」

「そろそろ切らないと寝る時間減っちゃうよ。明日も忙しいんでしょ」

「わかってる」

「いっせーのせーで切ってね?」

「ちょっと待て。勝手に決めるな」

「もう。じゃあ、いちにのさんね」

「言い方の問題じゃない。人の話聞けよ」

「何が問題なの?」

「急いで切る必要ないだろ」

「あるよ。話してたらいつまでも切りたくなくなっちゃうもん」

「なら切らなければいい」

「若くん、そんな無茶言う人だったっけ?」

「それくらい言うさ。お前も言いたいことがあるなら言えばいいだろ。変に気ぃ遣って遠慮されると苛つくんだよ」

「…明日も電話していい?」

「いいに決まってるだろ」

「明後日もしていい?」

「ああ」

「その次も?」

「しつこい。いちいち聞かなくても勝手にかけろ」

「私のこと好き?」

「す…って、何度も言わすな」

「何度もなんて。全然言ってくれないじゃん」

「お前が聞いてないだけだろ」

「聞いてない時に言われても…」

「とにかく、言わねぇ。…寝るぞ」

と、今度はこっちから切ってやった。明日もかけると言っていたからできた行為ではあるが。

そこで携帯から目を離し、顔を上げてなにげなく見ると、自販機の前に財前が立っていた。

「なっ……お前、いつからそこに居た?」

目が合った瞬間、血の気が引いた。

「喉乾いたんで、飲み物でも買お思て下りてきたんや。そしたらな、今まで聴いたこともない優しい声がしてな。最初誰かわからんかったわ」

優しい声などと言ってまた動揺させるつもりだろうがその手には乗らない。

「しかもな、全然俺に気づかんで喋っとるし。あんな様子も初めて見るわーなんて思うとったら声かけるタイミング逃してな」

「…で?何が言いたい?」

「ん? ……今夜は月が綺麗やんな?」

「う、うるさい…!」

「まあまあ。日吉の気持ちはようわかったわ。この世の春ってええなぁ、一曲作れそうや」

「やめろ!」

「なぁ、俺喉乾いててん」

「…奢ればいいんだろ」

仕方がない。弱味を握られたからには多少は我慢しなければ。
自販機の前まで行き、携帯をかざした。

「2本で勘弁したるわ」

「クソッ、足元見やがって…」

ガチャガチャと音を立てて出てきたペットボトルを取り出すと財前は満足そうな顔をして言った。

「おおきに。俺はなんも聴かんかった、見ぃひんかった」

「そうだ。それでいい」

「ほな、せっかくのいい雰囲気ぶち壊すのも悪いし先戻るで」

「もう遅い」

ぶち壊されたどころか萎えてげんなりだ。

「大丈夫や。もう一回月見上げたら思い出せるて」

「いいかげんにしろ…!」


財前の姿が完全に見えなくなってから、振り向いて空を見上げた。
月は変わらずに輝いている。

なぜだか、つぐみの楽しそうな笑顔が目に浮かんだ。





202303004


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