伝心(ハロー、ハロー、どうか届けこの想い)
気がつけば彼女を目で追うようになっていた。
無人島に二人しかいない女子だから目につくだけだ、そう思っていた。
能天気な辻本と違って、小日向は暗い顔ばかりしてすぐ落ち込む奴だ。
だが、家族が行方不明となれば誰だって不安になるだろう。最悪の事態も想像してしまうかもしれない。
やたらと部員を手伝いたがるが、とろくて余計な仕事を増やしている。
まぁ、頑張ろうと一生懸命やっているのは認めてもいいが。
虫がいるくらいあたりまえなのに嫌がる。雷は怖がるし怖い話は怖がるし。
いや、怖い話を聞いても平然としているより面白くていいか。
でしゃばらないし無駄にうるさくもない。
最初の頃こそ毎日泣きそうな顔だったが、周りに気を遣わせているとようやく気づいたのかそんな顔も見せなくなった。…見せなくなった、だけで人のいないところではつらくて泣いているかもしれない。と、なぜか気になってしまう。あんな面倒くさい、世話の焼ける奴など放っておけばいいのに。氷帝学園ともテニスとも何の関わりもないのだから。
自分はいつからこんなお節介になったのだろう。ふと考えてすぐに思い当たった。きっと、うるさくも優しい部員たちのせいだ。入部したての頃、すべてに対して反発していた日吉を、注意しつつも温かく見守ってくれたあの人たちのおかげで変わったのだ。自分のことばかりでなく周りの気持ちも考えられるようになった。
「手塚さん、お水どうぞ」
力仕事はテニス部員の担当だ。トレーニングにもなってちょうどいい。その代わりといわんばかりに今日も彼女は忙しなく動き回っている。
「ああ、すまない。ありがとう」
「私がお役に立てるのはこれくらいなので」
「お前はよくやってくれている。あまり頑張りすぎず、適度に休むように」
「はい、ありがとうございます」
意外だったのは見るからに堅物の近寄りがたい手塚に懐いていることだ。特別な用でもない限り話しかけようとは思わないのが普通だと思っていたが。
「あ、日吉くん。お水どうぞ」
日吉に気がついた小日向が近づいてくる。
「悪いな。…しかしお前、よく手塚さんに気軽に話しかけられるな」
「あ、すごい人らしいから気安くはなしかけちゃまずい?」
「そういうことじゃない。話しかけにくい雰囲気とかないのか?」
「どうして? 手塚さん優しいじゃない」
「優しい?!」
またまた意外だった。テニスプレイヤーとしての評価とは別に、自分にも他人にも厳しく怖い、老けていて中学生に見えない、くらいしか聞いたことがない。
そして……なんだろうか。胸がもやもやするこの感じは。
「そんなにびっくりすること?」
「——なんや、お嬢ちゃん。ずいぶん手塚がお気に入りなんやな」
出た。どこで見ているのか何かと話に割り込んでくる忍足はわざとやっているとしか思えない。
「その言い方だと手塚さんに失礼じゃないですか?気を遣ってもらってるだけです …どうぞ、忍足さんもお水」
「おおきに。せやけど、手塚もこっち見とるで」
「忍足さんが大きな声で喋るからですよ」
「…聴こえるように言ったんだ」
「ん?なんや日吉?」
「別に。何も言ってません」
「お嬢ちゃん。日吉の前で他の男あんま褒めない方がええで」
「どういうことですか?」
「忍足さん!変なこと言うのやめてください」
この人はいつも人をおちょくるような態度で、それに乗せられているのが悔しい。
「侑士、またちょっかい出しとるんか。やめとき言うてるやろ」
受け取った水を飲んでいると、謙也と白石がやってきた。
皆、何かと小日向の周りに集まる。
「謙也さんと白石さんもお水どうですか?」
「あー助かるわ。いつもおおきに小日向さん」
「なあお嬢ちゃん、ずっと気になってるんやけど、謙也が謙也さんなら俺のことも侑士さんて呼ぶべきやろ」
「あ…でも忍足さんで慣れてしまって」
「なんで謙也だけ特別扱いなん?」
「え、別にそんなつもりじゃ…」
「なっ…と、特別っ?!なにいうとんねん侑士のアホ!」
言われてみればなぜ謙也だけ名前で呼ぶのだろう。と、ふと疑問に思う。
区別するためなら、忍足の言う通り侑士と呼ぶのが普通じゃないのか。
謙也の必要以上に慌てた様子も気になる…
「声裏返っとるで、慌てすぎやろ。ほんまになんかあんのか」
「謙也は天然やからしゃーないとして、侑士くん、君、わざとやろ。後輩に嫌われるで」
「別にええよ。男に好かれても嬉しくないし」
本当にこの人は人の神経を逆撫でするのが上手だ。
「謙也みたいな一見下心なさそうでアホ丸出しなのはお嬢ちゃんみたいなタイプに受けがいいんや。俺や白石と違って変に警戒されへんしな」
「ちょお待ち、なんで俺が君と同類にされるんや」
「俺な、一番悪いんはお嬢ちゃんやと思うねんけど」
「えっ?私何かしてしまいましたか?」
「気にせんでええよ。小日向さんが思うとるような悪いことちゃうから。約一名、さっきからめっちゃ機嫌悪いオーラ飛ばしとるけど、そういうとこ気づいてやらんとな?」
白石がちらりと日吉を見た気がした。
「……!」
なぜ見たのだろう。忍足じゃあるまいし、なんだか見透かされているようで居たたまれなくなる。
「一名って誰や。俺か?俺なんか?なあ?!」
「謙也はもうええわ。そろそろいくで」
白石は謙也を引きずるようにして離れていった。
「ほな俺も行くわ。またな、お二人さん」
微妙な空気の中に残されてしまった。
何もしていないのに気まずい……
「日吉くんはこの後も作業?」
「あ、ああ…」
「私はもう少しお水配るから、またあとでね」
小日向は特に気にした様子もなく広場の方へ向かった。拍子抜けするくらいあっさりと。
「——あかん」
「?!」
いきなり後ろから囁かれて、驚いて振り向くと忍足がいた。
気配も何も感じなかった。てっきりいなくなったと思っていたのに。
「なっ、なんですかあんた!あっち行ってくださいよ!」
これだから本当に忍足は苦手なのだ。
「お嬢ちゃん全然意識してへんかったやん。そんなんじゃほんまに手塚や謙也に行ってしまうで」
「何の話ですか。俺には関係ありませんね」
「ほぉ〜そうか。謙也がスピードスター言われてるのは知っとるやろ? あれ実はな、女にも手が早いっちゅう皮肉も含まれるんや」
「そんな人に見えませんがね。忍足さんじゃあるまいし」
「ま、俺の従兄弟やからな? 無害な顔して近づくのがあいつの手なんや」
「…………」
確かにそうか。従兄弟だから似るというわけではないが、同じ血が流れているのは間違いない。
「手塚に関しては、普段お堅い分ちょっとの優しさが素晴らしいもんに見えるんやろな。錯覚する女は多いらしいで」
なるほど、と頷きそうになって首を振る。
「そうですか。俺にとってはどうでもいい話ですね」
「せいぜいがんばりや」
「だから…」
口を開きかけたが、忍足は今度こそ背中を向けて去っていった。
日吉が薪割りを終えた頃には陽が傾いていた。暗くなる前にあと一回くらいトレーニングをするかと考えを巡らせていると、視界の隅に人影が映った。
謙也と小日向だった。二人でなにやら話しながら林の方へ歩いていく。
こんな時間からどこへ行くのだろう。
そう思うと同時に叫んでいた。
「小日向!」
「ど、どうしたの日吉くん。そんなに大きな声出して」
勢いで出た声が怒鳴っているかのようで、小日向が驚いている。
そういえばこいつは怖がりだったなと思ったがもう遅い。
一方の謙也はなぜか笑顔だった。
「おお、ツンツン王子のお迎えや。いつになったらデレるんやっちゅー話や。ほな、俺は行くわ。また明日な」
「えっ?お手伝いは?」
「ええんよ、そんなん。俺一人でできるし」
割り込んできた日吉に文句も言わない謙也の反応が予想外だった。譲るのがあたりまえといわんばかりに入れ替わりで去っていく。これではまるで日吉が嫌な奴みたいだ。
「謙也さん!」
小日向の呼びかけに謙也は手を振る。
「…悪かったな、せっかくのところ邪魔して」
「せっかくってほどじゃないけど。謙也さんがいいって言うなら無理に手伝わなくてもいいや。日吉くんはどうしたの?私に用があるんでしょ?」
名残惜しそうに"謙也さん"と呼ぶ小日向にイラついたが、自分から呼び止めたのを思い出しかろうじて抑えた。
「そ、そうだな。忘れてた。テニスボールを拾いに行くんだが手伝ってくれないか?」
咄嗟に理由が思いつかなかった。
「うん、いいよ」
わざわざ呼び止めてまで頼むような話じゃない、冷静に考えれば不自然なのだが小日向は気にした様子もない。
大丈夫なのかお前は。騙されやすいんじゃないのか。
どうでもいい心配をしてしまう。
「暗くなる前に見つけないと見えなくなっちゃうね」
「…ああ」
探せばひとつやふたつボールが見つかるかもしれないが、今やる必要のないことをやらされているとも知らず一生懸命草むらの中を探す小日向を見ていると、罪悪感に襲われた。
「おい」
切り上げる口実を思いついた。我ながら名案だと思った。
「ん?」
「今から、俺のことを名前で呼べ」
「えぇっ?!ど、どうしたのいきなり?」
「別にいいだろ、特に親しくなくても謙也さんって呼ぶんだったら俺のことも名前で呼んだって」
「そ、そうだけど…」
どさくさにまぎれて、謙也に対して一番気になっていることを探ってみたが動揺も見られず否定もしない。
「ついでに、俺もお前を名前で呼ぶからな、つぐみ」
安堵で気を良くしたついでに思いきって呼んでみた。
「ええっ?!」
「なんだよ。いちいち驚きすぎなんだよお前」
「だって突然なんだもん、そりゃびっくりするでしょ」
「決まりだからな」
「若くん」
「なっ、なんだよ」
「ちょっと練習してみたの」
自分で決めておいて動揺してしまった。呼ぶのも呼ばれるのも、思った以上に心臓に悪いものだ。
「別にくんはつけなくても…いや、お前の好きでいい」
今が夕暮れでよかった。きっと顔が紅くなっているだろう。
なんてことないふりをしつつ、心の中にあった思いを言葉にするのにどれだけ勇気がいったことか。内心ドキドキして緊張しまくっていたとつぐみが気づくはずもない。
「つき合ってもらったのに悪いが、戻ろう。じき陽が落ちる。また今度でいい」
「え?もういいの?」
「ああ。お前もその方がいいだろ?暗いとおいてけさんが出るかもしれないぞ」
「やなこと言わないでよ。やっぱりその話知ってるんだ?千歳さんのおいてけ怖かった…」
新たなライバルが出現したようだ。
「怖がるのは俺と居る時だけにしろ」
「そんなの無理だよ。だったらずっと傍に居てくれないと」
「…ふん。しょうがねぇから居てやるよ」
「う、うん…ありがとう」
「帰るぞ」
日吉はそう言ってつぐみの手を取る。
時には勢いも大事なのだと学んだのだった。
「若くん!」
つぐみが悪気のない笑顔で呼ぶ。
しかし人前で呼ばれるのは恥ずかしい…
向日と忍足がにやにやと日吉を見る。
「日吉、お前けっこうやるじゃん。知らない間にあの子と仲良くなりやがって」
「なんや。日吉も謙也みたいに呼んでほしかったんや?なら素直に言えばええのに」
「違いますよ、単なる成り行きです」
「ほぉ」
「若くん!」
「青いってええなぁ、お嬢ちゃん」
「えっ?」
「おい侑士、邪魔すんなよ。ああ、こいつのことは気にすんな」
向日が忍足を遮る。二人とも面白がっているには違いないが、こういう時は多少ありがたい。
「お、お前ばかなのか?そんなに大きな声で何回も呼ばなくたって聴こえてる」
今思えば本当にただ謙也を名前で呼んでいただけで、深い意味はなく、照れや躊躇いもないのだろう。
それがわかり、気分が晴れやかになっている自分に気づく。
「あ、ごめん。嬉しくてつい」
「嬉しい…? なにが?」
「名前で呼び合うなんて仲良しみたいじゃん」
「…ふん、やっぱりばかなんだな。みたいじゃなくて、そのつもりなんだよ。いや、仲良しってのはちょっと違うか…」
つぐみにつられて口にした瞬間、まずいと思った。
目の前には三人の笑顔、うち二人はにやにやと薄気味悪いが。
「ふふっ」
「いいもん聞けたな」
「惜しい、もうちょい踏み込まんと」
「もう、全員あっちへ行ってくれ…! 俺にかまうな」
照れくさいけれど、たまにはこんなふうに騒ぐのも悪くない。
202350529
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