あと五センチで君に恋をする
あと五センチで君に恋をする
ドキサバ
つぐみは昼食後の洗い物当番になった。炊事場の拭き掃除までを終えて、ようやく一息つけると思ったところに同じ当番の伊武が近づいてくる。
「小日向」
なにかと伊武にボヤかれることが多く、またうっかりやらかしてしまったかと身構えてしまう。
「ねぇアンタさー、わざとじゃないんだろうなって想像つくけど一応忠告しとく」
「えっ?何を?」
「気になる人がいるんだったら、その人とだけ仲良くしとけばいいんじゃない。俺たちに気ぃ遣ってばかりいなくていいからさ」
失敗を指摘されるのかと思ったが、そうではなかった。しかし何を言われているのかわからなかった。
「変な奴に八つ当たりされるとこっちもいい迷惑なんだよ、同じ部屋なんだから。まったく面倒くさいよなーなんで俺がこんな世話やかないといけないんだよ」
「ごめん、意味がわからない」
「あーアンタってそういう人だよな。0.5ミリだけあいつに同情するよ」
つぐみはただ伊武の顔を見つめているしかできなかった。
すると伊武が深々とため息をつく。
「じゃあ言い方変えるよ。日吉が八つ当たりしてうっとうしいからアンタなんとかしてよ」
「八つ当たりってどうして?ていうかなんで私?」
「たぶん小日向が俺とか神尾とかに優しくするから。あと手塚さんとも妙に親しげだし、四天宝寺の人たちともよく喋ってるし…」
よく見てるんだなぁと感心しつつ、山側に女子一人だけというのは思った以上に目立つのだと実感した。ならば元気な彩夏はあちらでもっと目立っているかもしれない。
「——言っとくけど別に小日向のこといつも見てるってわけじゃないからな。自然と目に入るっていうか…」
「うん」
「うん、ってそんなあっさりさぁ……まぁいいけど」
伊武は何か言いたそうな口ぶりだったが、何も言わなかった。
「え?それで私は結局どうすればいいの?」
「日吉を特別っぽく扱ってみるとか?」
「なにそれ」
「いやわかんないけど。たとえばどうでもいいことであいつに頼ってみるとか、つまんないことで褒めておだてるとかすれば機嫌直すかも」
「…伊武くんて優しいんだね。日吉くんのためにそこまで考えてあげるなんて。そのまま伊武くんがしてあげればいいのに」
「なっ…、だからそういう話じゃないんだって。本来小日向が考えるべきことなんだよ。あ、俺に言えって言われたとか言っちゃだめだからな。火に油注がないでよね」
「う、うん…」
飲み込めないままいっぺんに言われて混乱しそうだ。とにかく、怒っている日吉を宥めればいいのだろうか。本来つぐみが考えるべき?
「なんかアンタ心配だなぁ……って俺が心配する必要ないか」
話していた伊武が急に背中を向ける。
「じゃ、そういうことで。小日向がどんくさいせいで遅くなったんだから後片付けよろしく。面倒くさいから俺はもう帰らせてもらうよ」
「えっ?」
突然脈絡のないことを言い出す伊武に聞き返そうとしたが、さっさと行ってしまう。入れ替わりで日吉が近づいてきた。
「小日向、何やってんだ」
「えっ?何も…」
「今なんか押し付けられたんじゃないのか?」
「ううん、違うよ」
「……」
「なんで怒ってるの?」
「別に怒ってない。お前が伊武をかばうならそれでかまわない」
明らかに不機嫌な顔で日吉が言った。
伊武の言葉が聞こえたのだろう。だが伊武が誤解されるような言い方をしたのはきっと日吉のためだ。なぜそうなるのかはわからないがそうなのだ。言いたいが、言うなと言われたので言うに言えない。
「きっとあれだよ、伊武くんは機嫌が悪くて私に八つ当たりしたんだと思うの。そういうの誰にでもあるでしょ?」
「ま、まあな」
「でもさ、全然関係ない人に八つ当たりはよくないよね?関係ある人ならいいわけじゃないけど」
「…ああ」
「だよね。言いたいことがあるならはっきり言えって、日吉くんいつも言うもんね」
「そのとおりだよ。だから、次から何か困ったことがあれば他の奴じゃなく俺に言えよ」
「ん?」
あまりにもさらっと言われたので、あやうく聞き逃すところだった。
「…小日向、お前人の話真面目に聞いてるのか?」
表情も口調も変えずに言った日吉を見て、つぐみは自分の勘違いかと思ったのだ。
「聞いてるよ。だってどさくさにまぎれて言うから、都合よく聞き違えたのかと思って」
「どさくさにまぎれてないし、たぶん聞き違いじゃない」
「それなら今更だよ。私いつも日吉くんにしか頼ってないもん」
「よく言うぜ。何かあるとすぐ手塚さんのくせに」
「そりゃ手塚さんはリーダーだからいろいろ相談するよ。もし海側だったら跡部さんに言うし」
「いろいろ…? ふん、ならこれからは手塚さんを頼れ」
「どうしてそうなるの。今、俺に頼れって言ってくれたのに」
「…なんだよその顔、いじけすぎだろ」
別にいじけたつもりはなかったが、そう見えるならそうしておこうと、つぐみはあえて否定しなかった。
「すぐいじけるよな、まったくしょうがない奴だぜ」
「……」
「おい、小日向。仕方ねぇからさっきのは取り消してやる。手塚さんだけじゃなく俺も頼っていい」
言い方はともかく根は良い人なのだと思う。若干お人よしに思えるくらい、困っている人を放っておけないところとか。
「うん、ありがとう」
「…ああ。ところで、俺はこれから夕飯の食材集めに行くんだがお前も来るか?」
「どこへ行くの?」
「きのこを採りにいく」
「……きのこ好きだね」
「悪いか。来ないなら俺一人で行くからな」
「あ、待って。図鑑取ってくる。手塚さんに言われたでしょ、図鑑忘れちゃだめって」
「手塚さんはもういい。なら俺もいく。お前はとろいからまた誰かに捕まりそうな気がする」
「大丈夫だよ。日吉くんと出かけるって言うから」
「…それはそれでなんか嫌だな」
結局、日吉に押されるようにして二人でロッジへ戻ることになった。
「…あれどう思う?」
炊事場の後ろの茂みに隠れていた伊武が、隣にいる神尾に聞く。
「どう見ても痴話げんかだな」
「いちいち振り回されるこっちの身にもなってほしいよ、まったく。…あいつら、どういうつもりなんだろうな。あんなにいちゃついてて自覚ないとかありえないんだけど」
「それにしても、深司もけっこうお節介なんだな」
「は? 聞いてなかったのかよ。日吉に八つ当たりされて迷惑なんだって」
「…素直じゃねぇのは日吉といい勝負だろ」
「何やってんだ神尾、さっさと帰るぞ」
「へいへい。…自分のことには鈍感なのか?」
伊武の後ろ姿を見つめながら、意地でも認めないだろうなと神尾は思った。
2024.8.12
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