灰色ドロップ
財前は遅めの昼食をとるためにレストランへ向かった。
時計を見ると午後1時30分を過ぎていた。
店内にはちらほらと選手の姿が見える。なにげなく目をやると、奥の席に日吉と鳳が向かい合って座っていた。
財前は料理の乗ったトレーを持ち、彼らから少し離れた席に腰を下ろした。
斜め前の高校生たちに隠れながら日吉の顔が見える。近すぎると見つかって警戒されるだろう。わざわざこんなことをするのは、鳳といる時の日吉が気になったという悪趣味な理由だ。
日吉の表情は普段と変わらない…無関心だった頃ならそう見えただろう。けれど今は、わかってしまう。鳳が何か言うたびに少し照れ臭そうに表情を崩したり、じっと見つめる眼差しには甘い感情が含まれている。財前には決して見せない顔。
――ああ、見るんじゃなかった。
「さっきからなんなんだ?百面相でもしてんのか?」
ふいに、斜め前の席にいる鬼が視界に割り込んできた。
「まあまあ鬼。彼にも複雑な想いがあるんだよ、きっと…ね。でも意外だったな、財前くんはドライな子だと思ってたけど」
入江が含みのある言い方をしてくる。どうも見られていたらしい。変に察しが良いというか、勘ぐるというか、心の中を見透かされている気がして、本当にこの手の人間は苦手だ。
しかし百面相…そんなに顔に出ていたのか?
「そういう自然な感情表現、勉強になるよ」
「失礼します」
財前は立ち上がった。これ以上いると入江が何を言い出すかわからない。
「ああ、逃げられちゃった。…鬼が声かけるからだよ、黙って観察しとけばいいのに」
「あ?俺が悪りぃのか?」
とんでもない。心の中で鬼に礼を言って、トレーを片付けた。
あたりまえのように二人でいる時間が増え、財前はそれを心地良く感じ始めている自分に気がついた。
「この間、ずいぶん楽しそうやってん」
「……この間?」
日吉が怪訝そうに目を向ける。
「食堂で二人でいるとこ偶然見たんや」
「ああ…。別に昼くらい一緒に食べてもおかしくないだろ。脅しのネタにはならないからな」
「ネタやあらへん」
理不尽なイヤミを向けられる意味など、日吉はわかりはしないだろう。その言葉に含まれる感情がなんなのかも。
跡部に対しては執着ともいえるほどこだわるが、自身が執着されることには鈍感なのかもしれない。
鳳とはどういう経緯で今の関係になったのかふと気になった。
「…どうも鳳と熱量違い過ぎに見えるんやけど、ほんまのとこ押し切られただけちゃうん?」
「……最初はな。あいつがあんまりしつこいから断るのも面倒になってきて、半分ヤケクソだった。まぁつき合うとかいったって今までとたいして違わないだろうと思ってた」
「…でも違った?」
「変わったのは俺かもしれない。あいつの声が聴こえないと落ち着かなくなった」
「いやいやいや。目の前でそんなノロケられても」
「?!誰がノロケ…っ」
日吉の腕を引き寄せて強引に口づけた。自覚なしにノロケる奴が一番性質が悪いのだ。
「人の気も知らんと堂々と言うてくれるわ。てか自分ちょろすぎ」
「…、なんなんだよいきなり」
「……嫉妬や。ただの嫉妬」
「お前、たまに意味不明なこと言うよな」
「……ほんまにわからんの?」
「本当ってなにが」
期待するような反応はなかった。白々しくとぼけるほど器用とも思えない。
ついでとばかりに日吉を押し倒した。
「このまま、俺の方にも流されてくれへんかなと。ま、ええわ」
「……ちょっ…と、待て…」
財前の身体を押し退けようと小さな声が響く。
「どないしたん?」
「なんでいつも俺が弄られてるんだ?お前、自分がヤリたいんだろ。さっさと挿入ればいいじゃないか」
自分が気持ちよくなるためだけの行為。好き合う同士のそれとは違う。日吉の言うことは間違っていない。
「それはまあ…そうなんやけど…」
「なら今日は俺がしてやる」
そう言って手が財前の下半身に伸びた。
「ちょお、やらんでええよ。なんか、されるのって情けないやん」
力で押されると負けそうなので、その前に日吉の手を押し戻す。
「……その情けないことを俺にはさせるのか」
下から睨まれる。
本当の理由は二つある。最初は嫌々やらせるのも面白いと考えたが、彼との行為をなぞっているように思えて気持ちが萎えた。
もうひとつは、今されたらたぶん保たない。以前の余裕がなくなっている。
それこそ本当に、財前が避けたい情けない姿を晒すことになる。
「日吉はええやん。情けないの慣れとるやろ」
「どういう意味だ!」
と、声を張り上げた日吉が次の瞬間驚いたように見つめてきた。
「なんや?」
「…別に…ただ、財前も笑うんだなと思っただけだ」
「笑う?俺が?いつの話や」
何を言い出すのかと思えば。
「今だろ。自分でわからないのか?」
笑ったかどうかなどいちいち意識しているわけがない。
「そら可笑しければ笑うやろ」
「同室になって初めて見た気がするんだが」
「そら可笑しくもないのに笑わんし」
「…今、そんなに可笑しかったか?」
「ええやん、どうでも」
覆いかぶさって、言葉を封じるように唇を食んだ。
そのまま舌を這わせてキスをする。
「……ちょ、ちょっ、ちょっと待て」
「何回待つねん」
「いや、なんというか、いつもと違うから調子狂うんだよ…っ」
「…? 何がちゃうん」
「何って……いや、なんでもない」
ふいと目を逸らした横顔が紅く染まっていた。
なんだかよくわからないが照れているようだ。財前はすかさず便乗する。
「いつもとちゃうのは自分やろ」
彼を思い出す隙も与えないくらい口づけを繰り返した。
「ちょ、ちょっと……っん」
また何か言おうとするのを遮って舌を絡ませた。
「待っ…、」
「ずいぶん焦らすやん。もう待たれへんて」
言いながら、シャツの中に滑らせた自分の手が汗ばんでいることに気づく。
日吉に悟られる前に指先を唇に変えた。
「…あかん、アタリかも」
いつもと違う――そう言われて自覚はないが、確かに何かおかしい。
日吉にはわからないだろうが実はやたら高揚しているとか。
ガチャ
その時、ドアの開く音が響いた。ドキリと心臓が跳ね上がる。
「あれー、日吉…はいねぇのか。つまんねーの。誰かいねーかな」
切原の声だった。反射的に声を出しそうだった日吉の唇に指を押し当てる。
切原もよくわかっているようだ。財前と海堂は興味がなければ完全に無視を決め込むが、日吉なら渋々でも相手をしてくれる、と。
すぐに出ていったらしくドアが閉まる音がした。
「今日はえらい早よ帰ってきたな」
仕方なく、日吉の服を直す。
中途半端な身体のまま服を整えたが、やはり少し落ち着かない。
「生殺しやんな、こんなの」
言いながら財前は内心ほっとしていた。今日、このまま続けていたらまずかったかもしれないと思う。
この先どうするかは薄々知っているが、最後の一線だけは避けていた。超えてしまったら後戻りできなくなる――脅しだ取り引きだと繕った言葉が意味をなさなくなる予感がする。
もう時間の問題だということは明らかなのに、認めたくない自分がいる。
身体を起こした日吉がベッドを降りようとした。
「ちょお、待ってや」
「なんだよ」
その顔は火照って紅く染まり、唇は濡れている。
「えろ。そないなえろい顔晒してどこ行くつもりや」
……事後、丸出し。
一人で抜いたと疑われるかも。
と呟く。
「えろ……?!」
財前が指摘すると、羞恥が加わってさらに紅くなった。
「しばらくおとなしくしとった方がええで。…見せたないし」
日吉の身体を抱き寄せた。
意外にも、抵抗はされなかった。
心臓がどきどきと脈打つ。突然ドアを開けられた時の衝撃がまだ収まっていないのかもしれない。
2024.12.12
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