1私の話をしよう。

私には両親が居ない
物心付いた頃から”パパ“と”ママ“という存在が居なかったので
”両親“がどういうものか、どんな感じなのかって全く分からなかった。

ーなまえちゃんは、パパもママも居なくてかわいそうね。ー

そんな言葉も、最初から居ない存在に悲しいという感情も無かったので
なんで自分は“かわいそう”なのか理解できなかったし
”親の愛情“って言う感覚も意味不明だった。



ただ、“あの子は親の愛情に恵まれなかったからああなった。”
って言うのは何となく、自分でも“確かにそうだな”と理解できた。

2歳から5歳の頃まで私は施設で育った。
無口で、周りに馴染めずいつも一人だった私にやたらと構ってくる10歳年上の、絵に描いたようなガキ大将というか、施設一番の問題児というか、
まぁそんなクソガキと言われるような奴にやたらと可愛がられた記憶がある。

お前は弱いから俺がケンカを教えてやる!

世界はオレたちに優しくないから強くなれ!

当時の私には、ピンとこない言葉だったが
”世界は私達に優しくない“って言うのは、後々痛いほど身をもって知ることとなる。

そんなクソガキとしょっちゅう連んでいれば、自ずと自分も中々のクソガキへと成長を遂げた。

頭に血が上りやすく、ケンカっ早い性格も。
口汚い言葉遣いも、言うなれば今の私を構成する基盤となっているのは全てあのクソガキに影響を受けたからである。

私の個性が発現したのは4歳の誕生日の日だった。
急に、尋常じゃない量の”記憶“が脳内に雪崩れるように入り込み、
その日見たもの、会話の内容、会った人達の顔からどんな服を着ていたか、
視界に入ったものの全てが鮮明に、まるで俯瞰で撮った写真を何枚も何枚も見るかのように記憶として蘇るのだ。

当初大人達は私の個性を“瞬間記憶”と言っていた。
所謂“シャッターアイ”というやつだ、視界に写したものを写真として記録するかのように
全てを記憶してしまう。と言うのが大人達の見解だった。

しかしそれは私の思いがけない一言により、“瞬間記憶”と認識された個性を覆してしまった。

「”他人の個性“も記憶すれば”自分“で使える」
そう言って私は施設の大人達の持つ個性や、園内の個性が発現している子達の個性を
まるで自分の個性かの如く使用出来た。

いままで、こんな個性を見たことがない。
施設園長のその言葉を受け、年々増していく悪ガキ具合…
まるで”世界の全てが自分の敵“と見受けられる様な態度、そして”自分を認めて欲しい“
という承認欲求を満たすかの如く、クソみたいな悪戯で施設の大人達を困らせていた私の
その個性の出現に事態を重く見た大人達は、私を個性の管理・研究を行う施設の様な、病院の様な…まぁそんな様な所へ連日連れまわされた。

結果、付けられた個性名は“記録媒体”つまるところ、私自身が全てのものを記録として保存してしまう謂わばメモリーカードの様な存在。

眼で見た物から、味、匂いまで。個性が発現してからその全ての記憶が脳内にあり
そしてその全てを思い出せるし、今日見た町の風景を描けと言われれば視界に入っていた限りの全てを写真をプリントアウトしたかの如く正確に複写できた。

そして他人の個性まで、記録してしまうその能力。
新たな個性を植え付けていくかの如く、それはまるで禁忌のような
この、超常社会の”常識“を全て覆してしまうくらい“危険”と判断された。

“個性特異点”の出現か。と大の大人達が慌てたように振る舞う姿は、当時の私にはとても滑稽に見えた。


万が一にも、ヴィランとしてこの力を”悪意“として使用される事があれば
この世界はとんでもない事になってしまう。

それが大人達の出した”答え“だった。



それからと言うもの、施設の大人達はまるで腫れ物に触れるかの様に私に接した。
悪戯をしても怒られなくなったし、何をしてもやたらと褒めてくる大人達が気持ち悪くて仕方なかった。

そしてやたらとヒーロー関連の物に触れさせようと、絵本やら、テレビ番組、当時人気だったヒーローがプリントされた洋服や、靴までも。
大人達は必死に、このヒーロはどうの、あのヒーローはどうのと煩くて堪らなかった。
ヒーローに関心を向けようとする魂胆が見え見えで、そんな必死な大人達に益々嫌気がさしていったのである。

ニコニコと私に接するすべての大人達の、腹の底が見えない笑顔がとてつもなく怖かった。


5歳の頃、例のクソガキの兄ちゃんと施設を度々脱走するようになった。
最初の頃は上手くいかず、しょっちゅう連れ戻されたが
その日は偶然が重なり、施設からかなり距離が離れた所まで私達は逃走し3日間も行方不明と言う形で警察や、プロヒーローまでも巻き込み、かなりの大事になってしまった。


“誰にも頼らなくたって、お前の個性と俺の個性があれば二人で強く生きていける!お前は俺が守ってやるからな!”

どうしようもないクソガキだったが、彼は誰よりも私の“ヒーロー”だった。

そんな束の間の逃走劇に幕が下りたのは、施設から脱走して4日目の明朝の事だった
施設から離れた3つほど隣の県のとあるヒーローの事務所に血塗れの私を抱えた彼が現れたのだ。
今にも死にかけている5歳の女の子と、泣きながら必死に助けを求める15歳の少年に、さぞかし驚いたことだろう。

すぐさま私達は病院へ搬送され、私は集中治療室送りとなった。
目が覚めたのはそれから2日後の事で、施設の園長と警察の人、そして駆け込んだ先のヒーロー事務所のヒーロも交え
事のあらましを聞かされた。

私の個性が、現在確認されている個性のどれよりも特異な為、今回の失踪に関してはかなりの大事になって居た事。

逃走中、安易に記録した個性を多用してしまった私は身体に負荷が掛かりすぎてしまいそれによって、病院に運び込まれた時は内臓がボロボロでいつ死んでもおかしく無い状況だった事。

ただ、記録していた“彼の個性”で一命をとりとめた事。

そう、医者に伝えられた。

その彼の個性は“超回復”の力、身体に負った様々なダメージを驚異的な速さで修復されていく個性。
自身にしか通用しない個性だが、私は彼の個性を記録し使用できたことが幸いした。

内臓に多大なダメージを受けてはいたが、根本に残る超回復の個性が働き、ゆっくりだが私の身体は再生していたらしい。

彼の個性で命を助けられた。そう感じた、やっぱり兄ちゃんは私のヒーローだと思ったのに
大人達はそんな兄ちゃんを責めた。
15歳にもなる、物事の判別もしっかりできるような少年が、まだ就学もしていない女の子を連れまわすとはどういう事か。
どんな大変な事をしたかわかっているのか、と園長や警察の人達は兄ちゃんを責めた。

そして兄ちゃんも、血を吐き倒れ今にも死にそうな私を震える手で抱き上げた時
とてつもない罪悪感に心を蝕まれ今までの傍若無人な手の付けられない暴れん坊だった事が嘘の様に
人が変わったみたいに大人しく、真面目に物事を考えるようになったと聞いた。

聞いた、と言うのはつまり。あの病院で目が覚めた頃には彼は施設から引き取られて居なくなっていたからだ。
引き取り先は私を抱えて助けを求めたヒーローだった。

後から聞いた話だと、彼がなぜ私にだけあんなに優しかったのか。
なぜ、私にだけあんなに構ってくれていたのか。世界は俺達に優しくない。と12歳にして
なぜ、そう考えに至ったのか。全て、今思い返せば理解できてしまった。

彼には家族が居た、父と母、そして2歳になったばかりの妹。
大変仲が良く、気前の良い母親は近所からも好かれる人だったと聞く。
そんな平和を絵に描いたような家族に悲劇が起こったのは兄ちゃんが10歳の冬の事だったそうだ。

12月25日、家族で出かけたショッピングモールにて。
たった3人の敵により、襲撃されてしまったそこはまるで地獄の様だったと聞いた
突然の大きな爆発により、3階建ての館内は1階から2階は壊滅状態、
かろうじて被害が少なかった3階フロアでの敵の個性による無差別な破壊行為
当初、直ぐに確保された敵の1人が”爆破が目的だった” ”自分一人でやった”と供述した事から
3階で行われた惨劇に、警察もヒーローも発見が遅れてしまい
結果、異変に気が付いた頃には他2人の敵は散々暴れた後、自ら命を絶ったそうだ。

近年稀に見る大惨事として連日テレビ番組はこの事で持ちきり。
数千人程館内に居たであろう一般市民、しかし
救出されたのはたったの“53人” その中の1人が兄ちゃんだった。

家族は全員死亡が確認されたと言う。


独りぼっちになってしまった彼は、惨事の傷も癒えぬ内に親戚中をたらい回しにされ
結果、施設に入所することになったそうだ。
家族を失い、頼れる大人も自分を拒否する。
彼は世界から自分は見放されたと感じた事だろう。

彼が入所し、間もなくに私も施設入りをした。
亡くした妹の面影を私に重ね、自分が守らなければ。という使命感の現れだったそうだ。



私が生死を彷徨い、眠っている間に施設を去ってしまった彼と再会する事になるのは、…だいぶ先の話。





彼が知らぬ間に退所し、直ぐの事だった。
天涯孤独で親の顔も知らない私に“実の祖母だ”と名乗る老婆が現れた。
その老婆の娘が、私の母に当たる人物だという。

今回の失踪事件が、警察内部からプロヒーロー、はたまたこの特異な個性により政府管轄の個性管理団体にも広く知れ渡るきっかけとなり
多くのプロヒーロー達にも捜索の依頼が入り、その際に配られた私の写真を見て
まさか、と思い施設に問い合わせをした老婆が、私の施設へ入所した経緯を聞いて確信に至ったという。

老婆もまた、プロのヒーローであった。

そして、私の両親も、プロヒーローだったそうだ。
しかし、ヒーロー活動の際に恨みを買ってしまった敵集団の襲撃に合い不運にも命を落とす事となった。
その時に行方不明となり、生死も不明だった私をずっと探していたと言う。

私は祖母と名乗るその老婆に引き取られ、それを機に祖母もヒーロー活動を休業と言う名のほぼ引退に近い状況で
私と二人、田舎で暮らすことになった。


祖母はとても破天荒な人で、引き取られた直後は懐かず、いつも逃走をしようとする私に
「力の使い方も分からない小娘が!野垂れ死ぬのが関の山だよ!!バカタレ!」と
容赦のない拳骨と、そして「私がアンタを鍛えてやる!世界に認めさせるんだよ、アンタって存在を」

私の可愛い孫娘をまるで敵と恐れる様に監視しやがって!見てな!この国に恥じないヒーローにアンタを育ててやるからね!
口癖のようにそう言う祖母は容赦なく、山に放り込んでは修行だよ!と滝に打たれたり
洞窟へ放り込まれたり、熊とケンカしてきな!と自分の身体の何倍もある熊に追い掛け回されたこともある。

小学生になり、毎日クソババア!!クソガキ!!と祖母とケンカしながらも
悪い事をすれば本気で叱り、褒める時は自分の事の様に喜びながら褒めてくれた。
そんな色んな意味で容赦なく接してくれる祖母に私も心を開き、祖母を信用するようになった。

生まれて初めて、家族のぬくもりを私は知り、生傷絶えない毎日だったが毎日が幸せだった。

14歳、その年の春に祖母は息を引き取った。
末期のガンだった。

私を施設から引き取る頃には、既に末期だったそうだ。

たった、10年にも満たない家族の時間。

私は、今度こそ、天涯孤独となった。





祖母の葬式には、名だたるヒーロー達が参列し警察署長から、国のトップまで。
今思い返せばかなり驚く顔ぶれだったが、その時の私にはそんな事に驚いている余裕もなくただただ静かに祖母の大口開けて笑う遺影らしくない遺影を抱え涙も流さず淡々と参列者を迎えていた。

“あの子が例の個性の…”  ”みょうじさんが亡くなられた今、あの力は脅威だ。誰が今後…”

“ヴィランにならないとも限らないだろ” “やはり国で管理するべき”

耳に届く雑音がうるさい。


喪主の挨拶、私はたった一言。

「世界は全く優しくなんてなかった」

と、涙を一つ ポロリと静かに流した。










「チヨさん、行ってきます」

「忘れ物はないかい?」

そう言って私を見送るのは修善寺治与さん。
祖母と暮らしていた時も偶に顔を出していた方で、聞けば治癒の個性で祖母のガンの進行を騙し騙し遅らせていた様だ。

この人が、私に家族と言う時間をくれたと言っても過言ではない、そんな人の下で、今はお世話になって居る。
チヨさんと祖母とは学生の頃からの親友らしい。

「うん!受験票も持ったし、ほら、ハリボーも!」
「そうかい、…しっかり暴れてきな!」

「ガッコ壊したらごめんねー!じゃぁ、いってくる!」



16歳、私はこの日。雄英高校ヒーロー科の入学試験に挑む。


“世界に、なまえ。アンタが“脅威”じゃなく“紛れもない正義”だって認めさせておやり!!”
おまえに“恐怖”を抱くのは、敵(ヴィラン)だけだ!

そんなヒーローに、わたしゃアンタを育て上げるよ!!



祖母の力強い言葉を胸に、私は今日ヒーローになる一歩を踏み出す。




オリジン

待ってろ、世界。