壱 あの世一の雑用係



 あの世には天国と地獄がある。

 地獄は八大地獄と八寒地獄の二つに分かれ、更に二百七十二の細かい部署に分かれている。
 二百七十二の部署の他には、あの有名な閻魔大王を初めとする十王が行う亡者の裁判を補佐する補佐官、亡者の生前の行いを全て書き記しそれを保管・管理する記録課、三人一組で亡者の魂を回収するため現世に赴くお迎え課、拷問器具を日々開発改良する技術課などの仕事がある。

 地獄に勤める者は総じて「獄卒」と呼ばれ、それらは鬼であったり人間であったり、はたまた動物や妖怪であったりするのだが、大抵皆それぞれ決まった部署に就いて、己の職務を全うする。

 が、ひとり、優秀であるが故にどこの部署にも属さず、雑用としてあの世中を奔走する獄卒がいた。

 ……これは、そんな彼のお話。


***


「朔さん! この資料閻魔庁までお願いします!」
「朔! 急に人手が足りなくなってな、明日数時間でいいから、等活地獄の拷問助っ人頼めるか?」
「ああ朔さん、ちょうど良い所に。ちょっと桃源郷までお使い頼んでいいかしら?」
「はいはい、資料は持って行くし、拷問もするし、お使いも行ってあげるから、とりあえずいっぺんに喋るのを止めてくれないかな!?」

 三人の鬼に囲まれた中央の鬼は困ったように大声をあげた。
 取り囲んでいた鬼たちはハッとした表情を浮かべると、すみません、おおっとすまない、あらやだごめんなさいねと口々に謝って彼らは一先ず口を閉じる。中央の鬼は仕切り直すようにこほんとひとつ咳払いをして、ひとりの鬼を指さした。

「別に俺は逃げないんだからひとつひとつゆっくりね。とりあえず君から。えっと……言ってた資料は多分それかな。閻魔庁の何処まで?」
「はい、今日中に記録課の隣の資料室までお願いします」
「わかった。次、等活の拷問助っ人は何時から何時?」
「朝九時から昼食休憩挟んで十六時までだ」
「あー……ごめん、十三時からは記録課に顔を出さなくちゃいけなくて……朝の三時間だけなら行けるけど、それでもいいか?」
「十分助かる、それで頼むよ」
「了解。それで次、桃源郷で何買ってくればいい?」
「仙桃と薬をいくつか頼みたくて……リストはこれよ」
「なるほど。これは何時までに何処に?」
「出来れば今日の十五時までに衆合地獄までお願いできるかしら」
「わかった。十五時までに持っていくよ」

 手帳にさらさらと明日の予定を書き入れ、貰った薬のリストを挟んで閉じた。懐に手帳をしまい、資料を小脇に抱える。そんな彼を見て、資料運びを頼んだ鬼が声をかけた。

「あの……助かりました! ありがとうございます」
「いいよいいよ。刑場は広くて移動するだけで時間食っちゃうだろうし。雑用は俺に任せて、君達は自分の持ち場に戻りな」

 中央の鬼は明るく笑って、元々別件で頼まれて持っていたのだろう、折れてしまった拷問器具たちを入れた大きな箱を背負いなおす。それじゃ、と三人に手を振り彼は颯爽と去っていった。
 その後ろ姿を見ながら三人の鬼は口々に呟く。

「すごいよなあ、朔さん。どんなに忙しくても嫌な顔ひとつせずに雑用を引き受けてくれるし」
「そうだな。それにあの人、あの世中で引っ張りだこだってのに、誰にだって平等だ。年上に媚びることもなく、年下を馬鹿にすることもなく」
「誰にだって優しいのよね。朔さん、優秀だからそれなりの地位に就いていてもおかしくないのに……」
「流石、"あの世一の雑用係"ですね……ほんと、憧れますよ」

 三人はうっとりと溜息を吐く。そして思い出したかのようにハッとして、いそいそとそれぞれの持ち場に戻っていった。


***


 "あの世一の雑用係"と評される男、朔。
 れっきとした鬼獄卒である彼は、もうすぐ獄卒歴千年になろうとしているのにも関わらず、決まった部署に就かずにあの世中の雑用を一手に引き受けていた。

 ある時はそれぞれの刑場で助っ人拷問。ある時は十王の傍で裁判補佐。ある時は記録課で書類整理の手伝い。ある時は技術課の材料調達。エトセトラエトセトラ……。どんな仕事でも嫌な顔ひとつせずに引き受け、その上手際も見事なものとくれば、皆頼るようになるのは仕方無いことであるのかもしれない。
 何人かが優秀な彼を自らの部署に招き入れようとあの手この手で勧誘したこともあったが、彼はどんなに報酬を積まれようと首を縦に振ることは無かったらしい。

 ある日、獄卒の誰かが彼に尋ねたそうだ。

「朔さん、獄卒歴千年の貴方がどうして雑用なんかやってるんですか? 朔さんみたいに優秀な人ならもっといい場所に就けるだろうに」

 すると彼は色素の薄い瞳を少し大きめに開いてきょとんとした顔を浮かべた後に、ふと遠くを見るように目元を緩ませ、

「俺はな、地位や名誉なんかより、皆が『ありがとう朔、助かったよ』って言ってくれる方が何十倍も嬉しいんだ。そーいう、嬉しそうな、ほっとしたような顔を見たいだけ。だから俺は雑用でいいんだよ」

 と言ったそうな。
 その時の屈託のない笑顔。あの世中が惚れた瞬間である。

 余談だが、朔の容姿は本人が思っているよりも整っている方であった。
 頭部の小さめな黒い二本角。清潔に整えられた短めの金髪。色素が薄い瞳と猫のようなつり目。太陽が無いため焼けることの無い白い肌。日々の雑用で自然と鍛え上げられた身体。むさくるしい印象を与える男の鬼獄卒の中では割と線の細いほうで(だからといって力が弱いわけでは決して無い。純粋な力比べならば獄卒の中でも強いほうである)、その上仕事が出来て、誰にでも優しいとなれば他人からそういった目で見られるのも仕方が無い。

 だが朔自身、色恋に全く興味がない朴念仁ではないが、自身に向けられる矢印にはかなり疎いようだった。実際何人かが彼に思いを告げようとしたこともあったらしいのだが、のらりくらりとフラグを無意識に折り続け、遂には相手から諦めてしまう。それが一種のテンプレと化していた。
 勿論、朔自身それには全く気付いていないのである。閑話休題。

 閻魔庁に着いた朔は、頼まれた資料を戻すために資料室へ向かっていた。閻魔庁へ着く前から荷物は多かったのだが、庁内でも様々な人とすれ違っては仕事を頼まれるせいで、荷物は増える一方だ。
 まあ、朔自身はこれが日常茶飯事のため、ほとんど気に留めてはいないようであった。軽快な足取りで資料室を目指す。

 目的の場所に辿り着くと、一先ず邪魔にならないところに背負っていた荷物を置いた。前に一度、荷物を背負ったまま書庫の踏み台に乗り、そのままバランスを崩して転落してしまったことがあったため、それ以来必ず荷物を下ろすように心がけているのである。
 戻す資料をいくつか手に取り、元あった棚に丁寧に戻していく。そしてまた別件で頼まれていた資料を手に取り、荷物一式を抱え直して資料室を後にした。

 次に向かうのは技術課。壊れた拷問器具の修理の依頼である。ノックをして技術課の扉を開ければ早速、見知った顔をひとり発見する。デスクで書類と格闘している様子の金髪の鬼に、慣れたように声を掛けた。

「こんにちは烏頭さん」
「おう朔。……相変わらず忙しそうだな」

 声を聞いて顔を上げた男は、朔を認識すると嬉しそうに二カリと笑った。
 彼の名は烏頭。技術課に勤める鬼獄卒である。地獄の中でもかなり古株の鬼で、朔が昔から世話になっている獄卒のひとりだ。

「今日はまだ暇なほうですけどね。……はいこれ。叫喚地獄から壊れた拷問器具預かってきました。」

 背負っていた荷物をがちゃりと置けば、「よくこんな重いモンいっぺんに持ってこようと思ったな」と呆れたように感心された。朔にとってみれば何度も往復するほうが手間だったから一気に持ってきた、というだけの話なのだが。

「んじゃ俺はこれで……」
「そうだ朔。どうせならついでにこいつを衆合地獄まで持ってってくれねえか」

 技術課を立ち去ろうとした朔をちょいと呼び止め、烏頭は近くにあった大きな鞄を渡した。

「壊れたから直してくれって言われてたんだけど、思った以上に時間かかっちまって……。お香にでも渡しておけばわかると思うから。一応、渡すときに『遅くなってすまねえ』って伝えておいてくれ」
「了解です」

 申し訳なさそうにちょっぴり眉を下げる烏頭。朔は二つ返事で了解し、その鞄を背負った。来た時よりは重くない。恐らく中身は鞭や針だろうと予想をしながら技術課を後にし、次の目的地を目指す。

 次は天国、桃源郷。その途中で他の地獄を経由し、頼まれていた資料やら道具やらを配りながら荷物を減らして先を急ぐ。桃源郷での買い物はリストがあったためかなりスムーズに済ませられた。
 その間も様々な雑用を引き受け、仕事を増やしたり減らしたりしつつ、大急ぎで衆合地獄へ向かう。約束していた時間が迫っていたのだ。


***


「朔さん」
「ああ、誰かと思ったら。鬼灯さん。お疲れ様です」

 衆合地獄でお使いの品と烏頭から頼まれた拷問器具を渡しているときに、ふと声をかけられた。
 声の主は地獄で最も知られた人物、鬼灯だ。

 額に生やした一本角、切れ長の目、短く切りそろえられた墨色の髪、背中に鬼灯模様があしらわれた見慣れた闇のように黒い着物。鬼灯は閻魔大王の第一補佐官を務め、的確な指示と冷静な判断で地獄を取り仕切る、鬼の中でもトップの鬼神だ。
 そんな彼が何故閻魔庁ではなく衆合地獄に……と思ったときに、ふと彼が金棒に風呂敷包みを引っかけて持っているのに気づく。

「鬼灯さんもお仕事ですか?」
「ええ、烏天狗警察へ。朔さんは相変わらず雑用を?」
「正解です。今さっき天国から帰ってきたところで」

 よくわかりましたね、と朔は笑った。その様子を見て、感心したように鬼灯は言う。

「本当によく働きますね。もうすぐ勤続千年でしたっけ。貴方ほど優秀ならば十王の補佐官やそれに近い重役ぐらいには就けるでしょうに」
「それ、皆に言われるんですけど、俺は一切そういう気は無いですから……。というか、そのことは鬼灯さんの方がよーく知ってるでしょ」

 笑って朔は返すが、鬼灯はそんな朔を見て何やら考え事をしているようだった。どうしたのだろうと顔色を窺ってみてもまずその能面のような顔からは表情が読み取れない。
 すると、鬼灯は唐突に口を開く。

「朔さん」
「はい、何です?」
「明日時間ありますか」
「明日ですか? ちょっと待ってくださいね……」

 何かあるのかと、懐から愛用の手帳を取り出してパラパラと捲り、スケジュールを確認する。

「えっと、九時から十二時は等活地獄で助っ人拷問、お昼を挟んで、十三時から十五時にかけて記録課の書類整理の手伝いなんで……十五時以降は空いてます」

 今のところは、と忘れずに付け加える。
 歩いているだけで仕事を依頼される朔は、前日に予定が無いからといっても当日はどうなるかわからないのだ。朔の開いた手帳を覗き込みながら、鬼灯はふむと考え込むようにうっすら相槌を打つ。

「じゃあ十五時に閻魔庁のお迎え課まで来ていただけますか」
「お迎え課、ですか」

 ぱちくりと、思わず朔はまばたきする。
 朔自身、鬼灯から直接仕事の依頼を受けたことはそう多くはない。しかも呼び出されたのはお迎え課。そういえばお迎え業務の仕事はあんまりやったことがなかったな、と朔は今までのことを軽く思い出す。お迎え課に就けるのは、その業務内容から鬼の中でもかなり限られた種族のみであるというのは、地獄の中でもそれなりに知られた話であった。

「別に大丈夫ですけど……いいんですか? 俺普通の鬼ですけど」
「構いませんよ。それではまた明日、よろしくお願いしますね」

 軽く一礼して鬼灯は行ってしまった。
 結局仕事の内容は教えてもらえなかったが、明日行けばわかるとのことだったのでまあいいだろうと朔はひとり考えを完結させる。無茶なものでなければいいのだが……。そんなことを考えながら朔も衆合地獄を後にする。
 次に向かうのは秦広庁。まだ今日の仕事は残っているのだ。