それを知るのは私だけ
「そういえば栞さんって、なんで現世で暮らしてるんですか?」
久しぶりに栞の店『胡蝶の夢』を訪れた朔は、カウンター席でいつものブレンドコーヒーを飲みながら栞に尋ねた。カウンターの向こうでグラスを磨いていた栞はきょとりと目を丸くする。
「あれ? 言ってなかったけ〜?」
「はい。一回も」
「ありゃ、てっきり言ったもんだと思ってたよ〜」
こりゃ失敬、と栞は笑う。そしてその理由を語り始めた。
「わたしが人間と妖狐のハーフだってことは知ってるよねぇ?」
「はい。確かお母さんが妖狐で、お父さんが人間だって」
「そ。それで、私の母さんは元々現世で稲荷の遣いとして働いてたんだ〜」
栞は磨いたグラスの具合を確かめながら話を続ける。
「でもある日ちょっと体調をくずしちゃってね。仕事を続けるのが難しくなっちゃったんだぁ」
「それで栞さんがその仕事を引き受けたってことですか」
「そゆこと〜」
のんびりと栞は朔の言葉を肯定する。だが朔はあれ?と首を傾げた。
「でも栞さんって今は喫茶店のオーナーですよね? 稲荷の遣いの仕事は……」
「やってるよぅ。正確に言えば、私は稲荷の遣い兼喫茶店のオーナーだね〜」
「兼?」
栞の言葉が上手く理解できなかったようで、不思議そうにまばたきを繰り返している。栞は磨き終わったグラスを傍に置きつつ、優しく補足した。
「朔くんは今の稲荷のシステムは知ってる?」
「ざっくりとですけど……地域ごとに配置された稲荷がその土地の死者を管理して、亡者の見張りをするんですよね?」
以前に鬼灯から聞いた話を記憶の隅から引っ張り出す。悪鬼だった茶吉尼と元々稲荷大明神である宇迦御魂に亡者の管理を要請し、今現在のスタイルに落ち着いたらしいとかなんとか。朔の言葉を聞いて栞はうんと頷いた。
「大体あってるかな〜」
「でもそれと何の関係が……」
朔はブレンドコーヒーに口を付けながら尋ねた。栞は手を止めることなく、何でもなさそうに続ける。
「私……というか私のお母さんがね、この辺り一帯の稲荷を統括してたんだ。まあ言っちゃえばボスってとこかな」
「ボス、ですか」
「そう。そのボスは亡者を地区をA地区、B地区っていうそれぞれの小さい範囲の亡者の管理情報を集計して茶吉尼天に提出するっていう役割を担ってたの。だからどこか特定の場所に腰を据えて、彼らの報告をまとめる必要があったんだ」
「そうか、それでこの店を」
「そういうこと〜」
なるほどと納得した様子の朔を見てにっこりと栞は笑う。ちょうどグラスも磨き終わったらしく、ふうと満足そうに息をついた。
「腰を据えて報告を待つだけって退屈でしょう? だからいっそ店をやろうって私のお母さんが始めたのがこの『胡蝶の夢』だったんだぁ」
「じゃあ栞さんはこの店の二代目オーナーなんですね」
「そうだよぅ。ふふ、二代目ってなんか響きがかっこいいねぇ」
ちょっと照れたようにニマニマと笑う。そんなことがあったんだと朔がブレンドコーヒーを飲んでいると、ひとりごとのように栞がぽつりと零す。
「ま、本当は私じゃなくて、凩さんがやる予定だったみたいだけどねぇ」
「凩が?」
急に出てきた意外な名前に、朔は思わず目を丸くした。
「ほら、凩さんって野干の中でも飛びぬけて優秀でしょう? 他の妖狐に引けを取らないくらい」
「まあ……そうですね。能力だけは、はい」
目を逸らしつつ朔は苦々しい顔で言う。そのあからさまな嫌悪の反応に栞はくすりと笑みを零す。
「だから声がかかったらしいんだよ。でも断ったんだってさぁ」
「断った?」
「うん。『面倒だから』って」
「たったそれだけの理由で!?」
嘘だろ!?と朔は思わず声を荒げる。対する栞は相変わらずのんびりとした調子で返した。
「そうらしいよ〜 本人も認めてたしぃ」
「はは、アイツらしいというかなんというか……」
朔は呆れたような表情でため息交じりに言う。そんな朔の様子を見ながら、栞はひっそりと微笑む。
(ま、本当は朔くんのことが心配で、地獄から離れるのが嫌だったっていう理由だけど……これを言ったら凩さん怒るだろうなあ。絶対言うなって念押しされてるし)
少し照れ交じりに念押ししてきた彼の表情を思い出し、ますます笑みが深まる。……本当に、変なところで不器用な親子だ。
そんな栞の様子に気付いた朔は不思議そうに尋ねる。
「どうかしたの栞さん?」
「あ〜ごめん、ちょっとぼうっとしてた」
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫大丈夫〜」
すると、カロロンと軽快にドアベルが鳴った。続いて明るい声が飛び込んでくる。
「こんにちは栞さん!」
「お久しぶりです〜!」
「あらあら快斗くん、それに青子ちゃんも! いらっしゃい〜」
「お、久しぶりだねふたりとも」
「朔さん!」
一気ににぎやかになる店内。
いつものお願い!と笑う彼らに、栞ははいはいと言いながら手際よく準備に取り掛かった。