午睡と将来と喫茶店
(スコッチ編よりもう少し前の時間軸です)
「うわー、やっぱりちっちゃくてかわいい!」
はわはわと梓が口元に手を当てながら目を輝かせる。朔は物珍しそうに、安室はその様子を見守るように、それぞれ視線を向けていた。
皆が関心を寄せているのは、常連客の女性の腕の中にすっぽりと納まる小さな赤子だ。よかったねえ、と母親の女性が柔らかく微笑みかける。当の本人である赤子は勿論その意味が分かるはずもなく、覗き込む周囲の人間からの視線が興味深いのか、その大きな瞳に光をいっぱいに受け止めていた。まるで澄み切ったビー玉のようである。
赤子にすっかりメロメロな梓を他所に安室が母親の女性に尋ねた。
「今いくつでしたっけ?」
「もうすぐ4か月だったかな」
「もうそんなに経ちますか」
「時間が過ぎるのってあっという間ですねえ」
しみじみとしながら梓がつぶやいた。すると赤子があう、と声を出しながら腕を伸ばす。いいですか?と軽く確認をとってから、梓はそっと赤子を抱き上げた。お尻と背中に手を回し、優しくその身体を支える。その手つきは慣れたように迷いがない。
「梓先輩上手いッスね」
「えへへ〜 この子は大人しいから抱っこしやすいんだ」
朔に褒められた梓が照れたように笑う。
「安室さんも抱っこしてみます?」
「はい、是非」
梓からそうっと赤子を受け取った安室は、これまた慣れた手つきで包み込むように抱き上げた。おお、と梓は感嘆の声を漏らす。
「やっぱり、安室さんは赤ちゃん抱っこするのも上手いですねー」
「そうですか? そう言っていただけると嬉しいですね」
赤子も心を開いているようで、きゃっきゃと楽しそうに笑っている。その様子を見ていた朔へ、不意に女性が話をふった。
「朔くんもどう? 抱っこしてみる?」
「えっ! いいッスよ俺は……」
「遠慮しなくていいのよ! 安室くんも梓ちゃんも何度も抱っこしてるし、朔くんに抱っこされたら、この子もきっと喜ぶわ」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
おずおずと赤子を持つ安室の傍に近寄る。その表情は戸惑いと緊張に満ちていた。そわそわ、くねくねと、何やら不思議な動きをしながら安室にそっと尋ねる。
「どっ……どう持ったら……?」
「あら、赤ちゃん抱っこするの初めて?」
「はい初めてッス」
女性に尋ねられ、ちょっと恥ずかしそうに朔は答える。あの世で鬼や妖怪の子どもを見る機会はあったが、その実その腕の中に抱いたことは無かった。生まれたての子どもに自分が触れることで、その純白さが汚れてしまうような心地がしていたためずっと遠慮していたのである。
それを聞いた安室が、そっかと優しく微笑む。
「じゃあ僕がちょっと浮かせるから、ここから手を差し入れてみて」
「……うッス」
慣れない手つきで、安室に言われるがまま赤子を抱き上げる。抱き上げた途端こっぴどく泣いてしまうのではという懸念もあったが、赤子は特に暴れるような様子も無く大人しく朔に抱かれていた。腕の中に収まった赤子を見て安心したように息をついていると、母親の女性が嬉しそうに笑う。
「そんな感じよ。朔くん上手上手!」
「そ、そうスか?」
向けられた言葉を素直に受け止めてへらりと笑った。だがその表情は完全にリラックスしたものとは程遠い。腕の中の赤子は特に気にしていないようで、世界を知らないその大きな瞳の中に朔を映し出していた。しばらく抱いていると、赤子の体温が触れたところからぽかぽかと伝わってくる。
「あったかい……」
ぽそりと朔は独り言ちる。なんだか意味も無く涙が出そうだった。赤子に見つめられ視線を逸らせないでいる朔がふたりでじいっと見つめあっていると、母親の女性はくすくすと笑いながら言った。
「朔くんも、いいお父さんになれそうね」
特筆する余地も無いほど、自然にあふれた言葉。
その言葉が朔の脳内に反響する。
(お父さん、かあ)
気付いたころからずっと仕事ばかりに明け暮れ、雑用係として地獄中を駆け回る日々を送ってきた。その生活に不満は無かったし、それはこれからもずっと続くものだと思っていた。
けど、そうとは限らないのだ。生きている限り。縁と巡り合わせに恵まれれば、自身の血を分けた赤子をこうして腕に抱くことだってありえない話ではない。いつの間にそんな当たり前のことを忘れてしまっていたのだろう。
「考えたことも無かったなあ……」
腕の中の赤子に視線を落としながらぼそりとつぶやいた朔の独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。
「寝ちゃったみたいだね」
「寝顔も可愛いなあ〜」
腕の中で静かに寝息を立てる赤子を見て梓はうっとりと目を細めた。
穏やかな、ポアロの午後は過ぎていく。