夏になると思い出す
警備員のバイトが終わり、自宅に向かう途中。大欠伸をしながら歩いていると、ふとどこかから朔を呼ぶ声がした。
「あ! 朔兄ちゃんだ!」
「ほんとだ!」
「おはようございます!」
声のしたほうを向くと、少年探偵団の面々が嬉しそうにこちらにかけてくる。その大荷物を見て、朔は今日の日付を思い出した。
「みんなおはよう。今日から学校なんだね」
「ええ、そうよ」
「あーあ、夏休み終わって欲しくなかったぜ」
元太は残念そうに言う。その身体はこんがりと焼けていて、首や腕のあたりにくっきりと日焼けの後が見えていた。朔はちょっと屈んで彼らと視線を合わせるようにしながら問いかける。
「夏休みは楽しかったかい?」
「うん! あのね、博士も一緒に海に行ったり、キャンプに行ったりしたの!」
「仮面ヤイバ―の映画も観に行ったよな!」
「はい! それからプラネタリウムと水族館と……」
それからそれから、と夏休みに行った場所が次々飛び出してくる。余程充実した夏休みを過ごせたようだ。
「あはは。それだけ楽しいこと満載だったんなら確かに、終わるのを惜しむ気持ちもわかるよ」
「でしょー?」
えへへ、と彼らは得意げに笑う。
「きっと子どもの頃の俺が君たちを見たら、すっごい羨ましがるだろうなあ」
「朔お兄さん、夏休みに楽しかった思い出とかないの?」
歩美の無邪気な問いかけに、朔はうーんと記憶の紐を手繰り寄せる。
「思い出かあ……」
***
時は今から千百年近く遡る。
地獄のとある一角にそっと建てられた質素な掘立柱式住居の中で、ひとりの幼い鬼の大声が響いた。
「こがらし! おれを現世に連れていけ!!」
家の中でだらりと寝転がる凩の腹の上に、朔はどすんとのしかかる。のしかかられた凩はぐえ、と返るの潰れるような声を出した。
「朝っぱらからうるせーなこのガキ……」
「ふらーっと帰ってきたと思ったらぐーたらして、またふらーっとどっかに行くの繰り返し! いーかげん怒ったんだよ! おれは!」
目をしょぼしょぼとさせながら凩は呻く。対する朔は凩の腹の上にどっかりと座ったまま動く気配を見せない。眉を吊り上げながらふんと鼻息を荒くして腕を組んでいた。
「みんなお父さんお母さんとかと一緒にどこかに遊びに行ってるっていうのに、おれだけだぞ! 教え処が休みの間どこにも遊びに行ってないの!」
おれだけ!と言葉を荒げる。
朔の通っている地獄の教え処は年に何度か長期の休暇期間があり、今はちょうどその真っ最中だった。一緒に遊ぶ友人は何度か家族とどこかに出かけており、その度に朔はとても羨ましい思いを抱いていたのである。
すると、朔の言葉を聞いた凩ははあ?と眉をひそめた。
「どこにも行ってない? 嘘つけ、一回桃源郷連れてってやったろ」
「あれはお前の作った幻だろうが!」
「ありゃ、バレてたのか」
凩はまいったなと頭を軽く掻く。数日前、今日と同じようにごねる朔を鎮めるために、凩が重い腰を上げて家のすぐ近くにある桃源郷へ連れて行ったのだ。その時の朔は大変喜んだのだが……実際は凩お得意の化かしだったというわけである。
「あんだけ楽しんでたから、完璧に騙せたと思ったんだけどなあ……」
「後からしおりさんに聞いた! そんな家のすぐ近くに桃源郷は無いって!」
「あんにゃろ栞のやつ……」
ため息交じりに凩はぼやく。栞は朔の様子を見るたびに頻繁にこの家を訪れていた。まさか自分の知らない間に種明かしをされていたとは思わなかった凩はめんどくさそうに顔をしかめる。
だがこれしきで折れる凩ではない。止む無く作戦を切り替えることにした。
「つってもよ、今は絶賛休暇期間。どこもかしこも家族連れの妖怪だらけで、まともに遊びになんか行けやしねーぞ」
「だから言ってんだろ! あの世じゃなくて現世に連れてけって!」
朔の言葉に、凩は思わず聞き返す。
「現世ぇ? 行って何すんだよ」
「海が見たい! 教え処で習ったんだ。現世にはでーーーっかい塩水の水溜りがあるって。そこは血の池とかと違って真っ青で、たくさんの綺麗な魚が泳いでるんだって! だから見てみたいんだ!」
きらきらと目を輝かせる朔。凩は眩しそうに目を細めながら反論した。
「お前なあ、もし人間に見つかったらどうすんだよ。殺されちまうかもしれねーぞ?」
「人間のふりをすりゃーいーじゃん。この間やった幻みたいにしたら、おれの角も耳も普通の人間みたいにできるんだろ?」
その言葉に凩は内心ぎくりとする。今の凩の化かしの腕を考えればそれくらい造作も無いことだった。だがここで肯定してしまうと朔に付け入るスキを与えてしまう。凩は朔の提案を突っぱねるようにごろりと寝返りを打つ。腹の上に載っていた朔はバランスを崩して茣蓙の上に転がった。
「駄目駄目。つーかそもそも、現世に行くための金がねーよ」
「お前の背中に乗っていけばいいだろ! おれは現世の海が見たいだけなんだよ!」
「そりゃ不法侵入だ」
「もーうるせーな! いーから連れてけよーーー!!」
朔は叫びながら凩の身体をぐわんぐわんとゆする。だが凩は涼しい顔で大欠伸をするのみだった。わなわなと朔は怒りに震える。
そんな中、その場に相応しくないほどののんびりとした声が聞こえてきた。
「あらあら〜 ふたりとも、どうしたんですぅ? 外まで聞こえてましたけど……」
「しおりさん!」
戸を開けてやってきたのは栞だった。何事だとばかりに不思議そうな顔をしている。その手には何やら大きな荷物を持っているが、今の朔には目に入らないらしい。ぱっと顔を輝かせ、縋りつく勢いで栞の元に駆け寄る。
「聞いてくれよ! こがらしがどこにも連れてってくれないんだ。休みなのに! みんな行ってるのに!」
「なるほど〜 朔くんが荒れてたのはそういうことかぁ」
ははーんと栞は納得したような表情を見せた。これならいけるかと思った朔は、少し眉を下げて甘えるようにねだる。
「しおりさんは連れてってくれるだろ?」
「う〜ん……私は色々やることがあるから、現世に旅行はちょっとなぁ」
困ったように笑う栞。対する朔はショックを受けたように固まってしまっていた。今なら背景に「ガーン」という書き文字が見えるだろう。今にも泣きそうな表情をする朔に、栞はそうだと提案する。
「じゃあさぁ、代わりにいいものあげるよ〜」
「いいもの?」
「うん。今現世の貴族の間ですっごく流行ってる、冷たくておいし〜いおやつ」
「おやつ!」
朔の表情がわかりやすく輝いた。これ幸いとばかりに栞はふふんと得意げに微笑む。
「食べたい?」
「たべたい!」
「そっかぁ。じゃあ準備するね〜」
そう言って栞は荷物を持って、作業スペースのある土間へ向かった。持ってきた荷物を広げる。中に入っていたのは透き通った大きなブロック氷と小瓶に入ったあまづら、それから金属製の器と匙だ。
まず小刀で氷を四分の一くらいの大きさに切り、それをひとつずつ小刀の先で器用に削っていく。その削った細かい氷を器に山のように入れ、その上からあまづらをかければ完成だ。作業の流れを見ていた朔は不思議そうに尋ねる。
「これなあに?」
「これはね〜 "かき氷"って言うんだよ」
「かきごおり」
「はぁい、溶けないうちに食べてごらん?」
召し上がれ、と匙付きでかき氷を差し出す栞。初めて見るそれにびくびくしながらも、そうっと匙を受け取った。さくっとひとくち分掬い、勇気を出して口に含む。その瞬間、朔の目がぶわわと見開かれた。
「甘くて冷たくておいしい!」
「ふふ、ならよかったぁ」
嬉しそうに栞は微笑む。朔はすっかりかき氷に夢中になったようで、次々と掬っては口の中に詰め込んでいる。先ほどまでの不機嫌はどこかへ消えて行ってしまったようだ。
するとそこへ、先ほどまでごろごろと寝転がっていた凩が近寄ってくる。
「旨そうなもん食ってんじゃねーか。俺にもひとくちーー」
その気配を察知した瞬間、朔はさっと凩からかき氷を遠ざけた。きっと凩に鋭い視線を向ける。
「こがらしにはぜってーやらねーからな!」
「ありゃりゃ、嫌われたもんだね」
凩は困ったように頬を掻く。栞はそんなふたりを微笑ましそうに見守っていた。
***
「朔兄ちゃん?」
コナンに呼びかけられてふと我に返る。探偵団の面々は不思議そうに朔の顔を覗き込んでいた。
「どうかしたの?」
「ああごめん、ちょっとぼうっとしてた」
「大丈夫?」
「うん。何の心配も無いよ。それよりみんな、もうすぐ8時になるけど学校は……」
その瞬間、ぱっと子供たちの顔色がわかりやすく変わった。
「やばい! 学校始まっちまうぞ!」
「じゃあね朔お兄さん!」
「はいはい。車に気を付けるんだよー」
慌ただしく去っていく後姿が見えなくなったところで、朔はふうと息をついた。
「……久しぶりに食べたくなってきちゃったな。栞さんのかき氷」
頼めばまた作ってくれるだろうか。
そんなことを考える朔の足は、無意識に彼女のいる江古田町の方へ向かっていた。