壱′ 期待の新人、その胸中は



 バーボンとライとスコッチでスリーマンセルを組むようになってからしばらく経った頃、三人は突然ジンに呼び出された。上司であるジンの命令を断る理由もなく、組織が所有する建物の一室で三人は大人しくジンに言われた通りに待機している。「新しい任務かな」とスコッチは呑気に言う。バーボンはそれを適当に流し、ライは相変わらずすました顔で携帯電話を操作していた。

 程なくして部屋のドアが開き、ここに呼び出した本人であるジンが姿を現す。そしてその後から見慣れない男が現れた。

 バーボンと同じくらいの身長ですらりとした体格だが、歩き方や手足の肉付きを見ればそれなりに体格がいいことは一目瞭然だ。パーカーにジーンズとシンプルで動きやすい恰好。変わった形の黒いニット帽の下から色の抜けた金髪がちろちろと覗いている。色素の薄い大きな瞳はまるで猫の目のようで、どことなく好奇心旺盛そうな印象を与えた。
 男はバーボンと目が合うなり、喫茶店店員もかくやというほど爽やかに微笑む。

「初めまして、バーボン先輩。ライ先輩。スコッチ先輩」

 名前を呼ばれて思わずピクリと身体が反応する。コードネームに先輩付けで呼ばれるのは初めてだった。コードネームを呼ぶということは、彼も組織の一員ということらしい。ライとスコッチもバーボンと同じく彼の動向を窺っているようだ。そんな彼の内心を知ってか知らずか、男はマイペースに名乗る。

「俺は望月朔。これからよろしくお願いしますね」
「"これから"?」

 男――望月の言葉に思わず眉を寄せる。すると補足するようにジンが口を開いた。

「今日呼んだのは、こいつの教育係をお前らに任せるためだ」
「教育係?」
「ああ、そうだ。まだ入って間もないが、こいつはかなりの逸材だ。コードネームを貰う日もそう遠くは無いだろう」
「へえ……随分と太鼓判を押しますね」

 ちらりと視線を望月にやるが、彼は特に表情を変える様子を見せない。静かに喫茶店員スマイルを浮かべているだけである。その笑みからも、裏社会の人間が持つ特有の雰囲気というか、オーラというものがほとんど感じられなかった。こんな場所でなければ彼が組織の人間だと気づくのは難しいだろう。

「引き受けるのは別に構わないが、俺たちでいいのか」

 静かな声でライが言う。滅多に口を挟まないこいつにしては珍しいなと思っていると、望月が柔らかく答える。

「俺が頼んだんスよ。教育係を付けるって言われた時に、先輩方がいいって」
「ホー、お前のご指名だったか」
「はい。先輩方、コードネーム貰うの早かったって聞いたんで」

 俺も参考にしようと思って。望月は決して笑顔を崩さずにそんなことをのたまう。聞いた本人であるライは特に興味なさそうにそうかと雑な相槌を打った。

「そういうことだ。これから暫くは、お前ら四人で動いてもらうからそのつもりでいろ」

 ジンは素っ気なくそう言って、話しは済んだとばかりに望月を置いてさっさと部屋から出て行ってしまった。
 部屋の扉が閉まる音がしてすぐに、スコッチが親し気な笑みを浮かべて望月に近づいていく。

「えっと、望月だったか」
「朔でいいッスよ。むしろそっちの方が慣れてるんで」
「そうか? んじゃ、朔って呼ぶわ」
「ありがとうございます、スコッチ先輩」

 朔がそう言うと、スコッチは「その先輩っていうの、なんか照れるな」とくすぐったそうに笑った。その笑顔を見て、人と仲良くなるのが上手くなったなと思う。昔はあんなにぶっきらぼうで素っ気なかったのに。

「朔……くん」
「なんスか?」

 バーボンが呼びかけると、朔は顔をこちらに向け、大きな瞳でその姿を捕える。

「ジンに随分褒められてましたけど、組織に入ってどのくらいなんです?」

 バーボンの言葉に、朔は僅かに視線を上げてうーんと呟きながら考え込む様子を見せる。そして不確かさを孕んだような声色で、首を小さく傾げながら答えた。

「確かひと月前とか、でしたかね」
「ひと月!?」

 その言葉を聞いて思わず驚きの声を上げる。スコッチやライも同じように目を丸くしていた。対する朔はといえば、そんな彼らを見て不思議そうにしている。

「そんなに驚くことッスか?」
「俺とバーボンがコードネーム候補になるまで、3ヶ月近くはかかってたぜ?」
「俺も同じくらいだな」

 信じられないものを見るような目で朔を見るスコッチと、スコッチの言葉に静かに便乗するライ。バーボンは何も言わず、静かに朔のことを観察する。たったひと月でコードネーム候補にのし上がるだなんて、流石は"期待の新人"といったところだ。

「何をしたらひと月でそんなに出世できんだよ……」
「何をって、俺はただ仕事をしてただけッスけど」

 スコッチの言葉にたどたどしく答える朔。するとライが静かに朔へ問いかけた。

「朔、お前の専門分野は何だ」
「専門分野」
「そうだ。お前にもあるんだろう。俺やスコッチなら狙撃、バーボンなら情報収集といった得意分野が」
「うーん……」

 朔は再び考え込み始める。

「言われた仕事をただやってただけだからなあ……」
「今までは何をやっていたんです?」
「何でもやりましたよ。ジン先輩とかに言われるがまま。死体回収から取引の護衛、施設に侵入してUSB取ってくるとか、荷物運びとか、色々」

 今までの仕事を思い出しているのだろう、朔は指折りしながら言葉を紡ぐ。なるほど、専門分野を決めずオールマイティに仕事をさせられていたのか。そしてそのどれも器用にこなして見せるから出世が早かったのだろう。バーボンは静かに納得した。そして朔はふとライに視線を戻す。

「でもなんでそんなこと聞くんスか?」
「少し気になっただけだ。特に意味はない」

 そう言ってライは新しい煙草を一本咥えて火をつけた。室内で煙草を吸うのは止めろと注意している間に、唐突に朔がスコッチへ話しかけていた。

「そういえば先輩方って同じ家に住んでるんスよね?」
「まあ、そうだけど」

 スリーマンセルを組んでからよく三人での任務に駆り出されるため、彼らは個人でのセーフハウスとは別に共同の部屋も所有していた。最近は専らそちらの方に寝泊まりしていたのである。

「あの……もしかして、その家にもうひとつくらい部屋が余ってたりしません?」

 朔は非常に言いにくそうに、躊躇いながらモジモジと言った。その言葉の意図を察したライとスコッチはちらりとバーボンに目配せする。バーボンは小さくため息をつきながら言った。

「別に構いませんよ。四人で組むなら、一緒に住んでたほうが他の仕事の連携も取りやすいでしょうし」

 その言葉を聞いて、朔はぱっと顔を輝かせる。

「ありがとうございます、バーボン先輩!」

 期待の新人は、まるで悪の組織の一員とは思えないほど爽やかに笑った。


***


 よくもまあ短期間でここまで来たものだ。朔は心底そう思った。

 ――時はひと月ほど遡る。

 朔は鬼灯から呼び出しを受けて、彼の執務室を訪れていた。人払いをかけたのか、部屋の周りには彼ら以外の姿は見えない。鬼灯の机を挟むようにして朔は彼の前に立っている。

「それで何ですか、話って」
「朔さんに頼みたいことがありまして」

 そう言って鬼灯は引き出しの中から取り出した一枚の紙を朔に見えるように机の上に置いた。

「……これは?」
「朔さんの現世行きの申請書類です」
「現世行き?」

 書類からぱっと顔を上げると、静かに椅子に座った鬼灯と目が合う。能面の様な顔から表情を読みとることは難しい。鬼灯は「ええ」と言って頬杖をついた。

「貴方に、現世に行ってとある組織に潜入捜査していただきたい」
「現世の組織に潜入、って……それ、いいんですか」
「何がです」
「基本的にあの世は現世のことについて干渉しないのが鉄則では? 仮に視察のためだったとしても、俺を行かせるのはおかしいですよね」

 朔がそう思うのも無理はない。

 基本的に、あの世が現世のことに首を突っ込むのは良くないだろうと、これまでずっと暗黙の了解として言われてきたのだ。現に鬼灯は視察に行った際も小さな犯罪を咎めることはしない。あの世の住人が悪さをしないよう、境の門をくぐる際に不思議なフィルターだって働く。全てはあの世とこの世の秩序を守るため。
 それなのに、鬼灯自らが率先して現世のことに介入していくとは。

「言いたいことはわかりますよ。ですが、緊急事態なのです。あの世の仕組みが根本から覆りかねない」
「……」

 緊急事態、という言葉に朔は僅かに顔を強張らせる。鬼灯は静かに話を続けた。

「現世にある、とある国際的な犯罪組織がある薬を開発していると、風の噂で耳にしました」
「とある薬、というのは」
「簡単に言えば、若返りの薬です」
「!」

 ぴくりと、眉に皺を寄せた。……それは、決して現世にあってはならないもの。

「まだ完全な精製方法を確立するには至っていないようですが、組織の研究は驚くほど進むのが早い。あと数年も経たないうちに完成してしまう恐れがあります」
「そんなことが、もし本当に起こりでもすれば……」
「ええ。いずれは不老不死が現世で確立してしまう」

 鬼灯は面倒そうに眉間に皺を寄せる。

「朔さんもご存知でしょう。あの世とこの世は輪廻転生のシステムで成り立っています。死者がいるからこそ生者がある。逆に死者がいなければ生者は存在しない。もし本当に不老不死なんてものが現世に誕生してしまえば……」
「生者と死者のバランスが取れなくなり、輪廻転生のシステムが崩壊して、あの世中が混乱に陥る」

 朔は震える声を抑えながら言った。なるほど、だから"緊急事態"というわけか。鬼灯は朔の言葉を肯定するように、静かに目を伏せる。

「日本地獄だけでなく、EU地獄、エジプト冥界、ギリシャ冥界……世界中のあの世機関に影響が出る可能性があります」

 鬼灯は淡々と言っているが、それがとんでもないことだということは朔にもよくわかっていた。何千年何万年と成り立っていたあの世とこの世のシステムが崩壊するだなんて。まさにあの世最大の危機だろう。想像するだけで冷汗が出る。

「そこで、貴方です」

 鬼灯は静かに朔を指さした。蛇の様に切れ長で鋭い双眸が、朔のことを正面からとらえる。

「その薬が完成し、不老不死が成り立ってしまう前に、組織を壊滅させていただきたい」
「えっと……鬼灯さん。そこで俺になる理由がわからないんですけど」

 朔は小さく片手を上げながら言う。世界中のあの世の危機というのなら、もう少し人員を割いても良いのではないだろうか。それこそ、世界中から。鬼灯はそんな朔の考えを読んだかのように言った。

「現世に長期滞在の仕事であるうえ、犯罪組織への潜入捜査ともなれば、それを完遂出来るだけの力量を持つ者でなければなりません。単純な戦闘力から演技力、こまごまとした様々なスキルまで求められることもありますから、自然と選択肢が狭まるのは必須でしょう。そういった多数の条件を視野に入れたうえで、白羽の矢が立ったのが貴方、というわけです」
「……ですが」
「こう見えても私、貴方を信頼しているんですよ。"あの世一の雑用係"さん」

 鬼灯にそう言われ、朔はぐっと言葉を飲み込んだ。この男は、朔が断れないことを承知で頼み込んでいるのだろう。押し黙った朔を横目に、鬼灯は引き出しから一冊の書類を取り出す。

「まあ何も、貴方たったひとりに任せるわけではありませんよ」
「……これは?」
「日本地獄が現在把握している段階での組織の潜入捜査官リスト……言ってしまえばスパイリストですね」
「!」

 朔はさっとその書類に目を通した。そこにはざっと十数名以上も名前が並んでいる。

「あくまでも日本地獄が把握している分のみですので、海外も入れればもう少し多いと思いますが」
「なるほど、彼らと協力できれば……」

 パラパラとページを捲りながら朔は呟く。その最後の方にはちゃっかりと朔の名前があった。……本当に朔が断ることなど視野に入れていなかったらしい。

「それで、協力していただけますね」
「初めから俺が断る事なんか想定してなかったくせに」
「さあ、何のことでしょう」
「……まあいいや。やりますよ。抜擢された以上、精一杯やり遂げます」

 そう言い放った朔を見て、鬼灯は満足したように目を細めた。

 それから程なくして朔は現世へ降り立った。「手続きや下準備は全て自分がやっておく」という鬼灯の言葉通り、現世についたその日の夜には早速組織の人物らしい数人と顔を合わせることとなった。

 元より"あの世一の雑用係"と評されるほどオールマイティに何でもこなしてしまう朔。そんな彼は次から次へと舞い込む仕事を嫌な顔一つせずに片っ端から引き受けて行った。死体の回収、取引の護衛、施設潜入、エトセトラエトセトラ。
 中でも一番朔の評価が高かったのは拷問だった。朔の手にかかればどんな屈強な者でも情報を吐いてしまうらしく、上司からの評価が滅法よかったのである。

 手際よく仕事をこなしていたおかげか次々と仕事が舞い込み、「これじゃ地獄とやっていることが何も変わらないな」とぼんやり思っていたほどだ。

 さて、組織に所属してひと月ほどたった頃。
 今日は上司のひとりであるジンからとある人物の紹介があるらしい。きっとそれは先日彼に聞かれた教育係だろうと朔は静かに思った。

 組織所有の建物内の一室へ足を踏み入れれば、そこにいた三人組は朔が予想した通りの人物。バーボン、ライ、スコッチ。鬼灯から見せられたリストに名を連ねていた三人である。彼らは、組織を内側から瓦解させるため必要な協力者だと朔はずっと考えていた。そのため教育係の話を持ち出された際に真っ先に指名したのである。

 三人の視線がこちらに向く。朔はにっこりと笑った。まずは彼らの信頼を得なければ。

「初めまして、バーボン先輩。ライ先輩。スコッチ先輩」

 ――任された以上、なんとしてでも彼らを味方につけて、組織を壊滅に追い込んでやる。