弐′ まるで鬼のよう
大きな窓が特徴的な部屋で、優雅に食事をとっている男。豪勢なランチタイムを楽しむ少々小太りな彼に、まさか今この時自身が何者かに監視されているだなんて考えは微塵も無いのだろう。バーボンは双眼鏡を覗きながらぼんやりと思った。
今日の任務はこの男の監視である。任務内容を尋ねたところ、一方的に「この男を見張れ」といわれただけで結局詳しいことは聞かされなかったのだ。もう少しくらい内容を教えてくれてもいいだろうにとバーボンは内心悪態をつく。薄暗い部屋で、カーテンの隙間から双眼鏡を通して男の様子を観察し始めて早数時間。男はあの大きな窓がある部屋が自室兼仕事部屋らしく、ほとんど動くことはない。正直言って退屈であった。
「一応僕だってコードネーム持ちなんだけどな」
思わず不満が漏れ出る。こんな任務、入りたての新人にだって出来るだろうに。それとも、何か深い理由があったりするんだろうか。考えてはみるものの、バーボンの疲れ切った頭では一向に答えは出そうにない。欠伸をひとつ噛み殺したところで、がちゃりと玄関の扉が開く音。それから足音がこちらに近づいてくる。この特徴的な足音は。
「よ、バーボン。そろそろ交代しようぜ」
「助かりました。ちょうど嫌気がさしていたところで」
ひょっこり部屋に現れたスコッチをちらりと見て、バーボンは眉を下げて笑う。その顔には疲労が滲んでいた。長時間座っていた椅子から立ち上がり、双眼鏡をスコッチに渡す。
「動きは?」
「まだ何も」
「そうか」
双眼鏡を受け取り、先ほどまでバーボンが座っていた椅子に座ってスコッチは男の監視を始める。バーボンはといえば、窓際から移動して適当な壁にもたれるように座った。うんと声を漏らしながら背中を伸ばせばバキボキと関節が鳴る。長時間同じ姿勢を続けたせいだろう。すごい音、とスコッチが笑った。
「そういやもう昼だな……何か買ってくればよかった」
「僕が行きましょうか?」
「悪い、頼んでもいいか?」
「勿論」
そう言ってバーボンが立ち上がりかけた時、再び玄関の扉が開く音がした。それからぱたぱたという軽い足音。
「失礼します。先輩方、お昼買ってきたんで食べませんか?」
部屋の扉が開くと、そこにいたのはいつものように明るい笑顔を浮かべる朔であった。両手にはコンビニ袋を提げている。
「おかえり。そんでナイスタイミングだ朔」
「ちょうど買いに行こうかって話してたんですよ」
「それならよかったッス」
朔は安心したように微笑んでバーボンの前にコンビニの袋を置き、そのまま胡坐をかいて座る。バーボンが袋を探って中を確認すると、おにぎりやらサンドイッチやら片手で食べられる軽食ばかりが入っていた。
「監視の任務の時って、片手で食べられた方が楽ッスよね」
「お前ほんと気が利くな」
スコッチの言葉に朔はへへへと照れたように鼻の下を人差し指で掻く。その流れで何を食べるのか朔が訊くと、少し悩んだ末にサンドイッチをリクエストする。朔は袋に入っていたサンドイッチを幾つか選び、包装を破いてスコッチに渡した。軽く礼を言ってスコッチはそれを受け取る。
ライ、バーボン、スコッチ、朔の四人での生活を始めて数週間。任務も共にすることが多いためか、初めは慣れなかったこの四人での生活にもすっかり慣れてしまったようだ。朔も元々人と仲良くなるのが上手い方であるし、仲が深まるのにそう時間がかからないのも頷ける。
因みにこの監視の任務はバーボンとスコッチのふたりに任された任務であったが、そのサポートとして朔も任務に同行することになったのだ。朔のサポートは的確で気が利く。痒い所に手が届く、という言葉がしっくりくるほどである。三人は、朔が短期間でここまで組織をのし上がってきた理由の一端を垣間見た気さえしていた。
「そういえばさっきまでどこに行ってたんです?」
コンビニおにぎりの包みを剥がしながらバーボンは朔に尋ねる。朔は少し抜けると言って数時間ほどこの部屋を離れていたのだ。朔はハンバーガーにかぶりつく手を止めて答えた。
「別の任務について詳しいことをあの施設で聞きに行くついでに、ライフルの扱い方を聞いて狙撃の訓練とかしてました」
「へえ。そういうサポートも充実してるんですねえ」
感心したような相槌を打つバーボン。剥がした包みをコンビニの袋に入れ、おにぎりにかじりつく。するとスコッチは窓の向こうに向けた視線を動かすことなく、朔に話しかけた。
「誰に教わってたんだ? キャンティ? コルン?」
「ライ先輩に」
「ライに!?」
「本当は別の人がやる予定だったらしいッスけど、ちょうど先輩が通りかかったんで。まあ成り行きみたいなもんスよ」
スコッチは、なるほどなと相槌を打った。バーボンもあいつ人に何かを教えるなんてこと出来たんだなと内心驚いているようである。余程空腹だったらしいバーボンは、ひとつ目のおにぎりをぺろりと平らげてふたつ目に手を伸ばしていた。
「そんで、調子は?」
「まあまあ、かな」
スコッチの言葉に、自信なさげに笑う朔。
「珍しいですね。朔くんはかなり器用だと思っていたんですが」
「普通の拳銃ならある程度自信はあるんスけど、ライフルは流石に……。ただ引き金を引けばいいってもんじゃない所が特に難しいッスね。しかもずっと同じ態勢で待ってなきゃいけないなんてなかなか慣れなくて……」
「ま、慣れてないとそうなるよな」
朔の言葉を聞いて、スコッチは笑った。それに続くようにバーボンも声をかける。
「大丈夫。誰にだって得意不得意ぐらいありますよ」
「そうッスけど……」
そこでちょうど携帯の着信音が部屋に鳴り響いた。バーボンはさっと己の携帯に目をやるが、着信している様子は見られない。スコッチは常にマナーモードにしているようだったし……と考えたところで朔に視線を向ける。ポケットから携帯を取り出すと、画面を確認した後にすみませんといってその場で電話に出た。それからしばらく何やら会話した後に、通話を終了させる。
「すみません。急に呼び出しがかかったので……俺行きますね。多分早めに戻れると思うんで、その時は連絡します」
「わかりました」
「気を付けろよー」
「はい」
先輩たちも監視頑張ってくださいね!と言って、朔がぱたぱたと慌ただしく部屋を後にする。数秒遅れて玄関の扉が開いて閉まる音がした。これで完全にこの家にはバーボンとスコッチのふたりだけ。
「なあ」
不意にスコッチが双眼鏡から目を離さずに言う。なんですか、とバーボンも別段変わりなく返した。
「朔のこと、どう思う」
「どうって……いたって普通だと思いますけど。……どうかしました?」
「いや……」
「何ですか。言いたいことがあるならはっきり言ってください」
いつまでも煮え切らない態度のスコッチに、バーボンは問い詰めるように少し強い口調で言った。僅かな沈黙がふたりの間を流れる。スコッチは観念したようにぽつぽつと話し始めた。
「この間、俺単独の任務で別の奴と組まされただろ?」
「確か……先週の暗殺任務でしたっけ」
「そ。その時に朔の話になってさ。ほら、あいつ色んな仕事を手当たり次第に任されてるだろ? そいつも一緒に仕事したことがあったらしくて。その一緒にした仕事っていうのが、捕らえた敵の構成員から情報を聞き出す仕事だったらしいんだけど」
スコッチは窓の向こうを見たまま、バーボンに背中を向け思い出すようにぽつりと言った。
「……そいつ言ったんだ。青ざめたような顔で、『その時の朔は、人が変わったように恐ろしかった』『まるで鬼のようだ』って」
「鬼?」
スコッチの言葉を聞いたバーボンは思わず眉間に皺を寄せる。
「鬼って……それは流石に言い過ぎでは? だって彼はまだ、コードネームも持っていない全くの新人ですよ?」
「俺もそう思ったよ」
いくら期待の新人と言っても、鬼と呼ぶのはいささか誇張しすぎているだろう。バーボンは頭にいつも家や仕事先で見る朔の姿を思い浮かべるが、鬼という単語と結びつけることが出来なかった。スコッチもその点はバーボンと同意見だったらしい。でも、とスコッチは独り言のようにぼんやり言葉を零す。
「その時のそいつの目、マジだったんだよなあ……」
***
電話で呼び出されるまま朔が向かったのは組織の所有するとある建物だ。電話によれば確か「地下室に来い」とのことだったので、建物に入ってすぐに見つけた階段を使って地下へ進んでいく。
階段を降り切ったところで呼び出した本人が壁にもたれるようにして立っていた。プラチナの様に白みがかった金髪。水色の瞳。白い肌とは対照的な、毒々しい色が塗られた唇。その唇には細い煙草が一本くわえられていて、すうっと一筋煙が立ち上っている。すらりと高い身長と、誰もが羨む抜群のスタイル。その人は朔を見つけるなり、煙草の火を消した。
「早かったわね」
「呼んだのはベルモット先輩じゃないッスか」
朔の返答に、くすりと笑うベルモット。形のいい艶やかな唇がゆるりと弧を描く。
「まあいいわ。こっちよ」
背を向けて歩き出したのでついていく。辿り着いたのはひとつの部屋の扉だ。薄汚れた鉄製の重そうな扉にはドアノブがひとつ付いているのみで、窓などは見つからない。
「あなたがするべきこと、わかるわよね」
「中にいる奴から情報を聞き出せばいいんスよね」
「大正解。じゃあ頼んだわよ」
言うだけ言ってさっさと立ち去るベルモット。カツカツとヒールの音を軽やかに鳴らして部屋から遠ざかっていく。全く、人使いが荒い。朔は内心ため息をつきながら部屋に入る。
部屋の中は八畳にも満たないような小さな空間で、全面コンクリートで覆われている。もちろん、窓や別の出入り口らしき扉は見当たらなかった。光源は天井から釣り下がる幾つかの裸電球のみであるらしく、かなり視界が悪い。とりあえず入り口付近にあったスイッチをつけると、多少なりとも視界がマシになる。そこでやっと部屋の中にいた人物の姿をきちんと確認することが出来た。
部屋の中にいたのは屈強な大男。捕らえられた際に身包みを剥がされたのか、身に着けているのはハーフパンツのみ。その大きくたくましい身体にはいくつもの傷が見つけられる。真新しい傷もあったことから、朔が任される前に男に尋問した者がつけた傷だろうかと朔は考えた。そんな大男は、両腕両足を拘束された状態で椅子に座らされている。椅子自体も地面に固定されているようで、身動きが取れないらしかった。
部屋に入ってきた朔を男はじろりと睨む。だがそんなことをものともしない朔はガチャリと内側から鍵をかけ、部屋の隅にあった椅子を男の前に移動させる。背負っていたリュックを椅子の近くに下ろし、男の前に向かい合うように座った。
「お待たせしてすんませんッス。……じゃあ、始めようか」
朔のまとう雰囲気が”組織構成員の望月朔"から"鬼獄卒の朔"へ、がらりと変わる。それを男も僅かながら感じ取ったようで、表情が険しくなった。朔がにこりと微笑んで男と目を合わせてみるが、うんともすんとも言わない。完全にだんまりを決め込むらしかった。
「ここにいる理由、わかってるよな? あんたが持ち出した、組織の情報が入ったメモリーカードの在処を教えて欲しいんだ」
少し前かがみになり、頬杖をつく。下から見上げるように朔は男を見つめるが、男は目を合わせるだけで口を開く様子を見せない。しばらく質問を変えてあれこれと話しかけてみるが、特に口を開く様子も見られなかった。
「喋ってくれないと俺も困るんだよなあ。実力行使に出なきゃいけないし」
前かがみの姿勢から一転、椅子の背にもたれるように座った。けだるそうに足まで組んでいる。暫くぶらぶらと腕を揺らしていたが不意に朔はそうだ、と思いついたように右手の人差し指を立てて言った。
「実は俺、あんたに関する興味深い情報を手に入れたんだ」
男は表情を変えない。黙って朔の話に耳を傾けている。朔は気にせず、男の様子を窺うように視線をやりながら続けた。
「あんた、そんないかついナリしてホラー映画が苦手なんだって?」
ピクリと男の眉が僅かに動く。その瞬間を朔は見逃さなかった。図星らしい。
思わず朔は目を細める。
男はハッとしたようにわざとらしく朔から視線を逸らした。やっぱりあの人の情報は正確だな。口元の笑みを抑えながら男に語りかける。
「なんでも、小さい時に見た映画がトラウマになって、それ以来苦手らしいな」
「どこから聞いた」
「おっと、やっと喋ってくれたね。どこからって……あるツテから、とだけ言っておくよ」
じろりと朔を睨みつける男の目つきがさらに険しくなる。だが朔は毛ほど気にしていないらしい。
「そんなあんたにプレゼントだ」
じゃーんと言ってリュックサックから取り出したのはVRゴーグルとヘッドフォン。それからいくつかのコードがつながったパッドと、数種類の機械。男は初めてあからさまに表情を変えた。その顔に浮かぶのは、恐怖と動揺。朔のこれからやろうとしていることがわかったらしい。
「……止めろ」
「あんたが素直に吐いたら止めてやる」
『鬼たるもの、慈悲なんて持たない』と金棒を振りかざしながら言う上司の姿を思い浮かべながら、朔は冷たく言い放つ。その表情は普段の朔からは想像も出来ないほど感情が抜け落ちていた。まさしく、感情を持たない残酷非道の鬼そのもの。男は背筋に走った悪寒を悟られぬよう、唇を噛みしめる様にぐっと押し黙った。
その様子を見て、朔は着々と準備を進めていく。コードの繋がったパッドのようなものを男の身体に張り付け、VRゴーグルを男に取り付けた。男の身体が小さく震えている。ヘッドフォンを男につける直前、朔はにっこり笑って静かに男に告げた。
「時間はたっぷりあるんだ。……あんたが素直に吐いてくれること、楽しみにしているよ」
***
数分後、男は今にも泣きそうなほど怯え切った声まじりにメモリーカードの場所を告げると、ぱたりと気を失った。
「トイレのタンクの中ね。了解」
朔はそう言って男に取り付けた機械を回収していく。
相手の弱点を調べ、それに沿った方法で尋問をする……これが朔が主に行う尋問のやり方だった。
本当は素直に暴力に訴えかけてもいいのだが、あくまでも相手は現世の人間。あの世の亡者よろしく何度殺しても蘇るわけではないのだから、下手に暴力をふるえば力加減を誤って本当に殺してしまう可能性がある。情報を聞き出せと言われているのにそんなことをしでかすわけにはいかない。そのため、暴力をふるうことは極力避けているのである。
直接的な方法を取れないならと、なんとかひねり出した策がこの『孤地獄』方式だ。
『孤地獄』とは地獄に設置された二百七十二の部署の他に特別地獄として設置されている地獄の部署のことで、亡者個人に合わせてオーダーメイドすることのできる地獄である。そのため、本人にとって最も辛い仕様になるのだ。これなら肉体的にではなく精神的に苦しめることが出来る。苦し紛れに考え出した方法だったが案外評判がいいようで、結果オーライである。最初にこの策を提案してくれた"彼女"には頭が上がらない。
一通り後片付けを終えて部屋の扉を開けるとベルモットが立っていた。
「随分早かったわね」
「意外とちょろくて」
肩をすくめて困ったように笑う朔。
「メモリーカードは自宅のトイレのタンクの中だって言ってましたよ」
「そう……流石ね」
それじゃ俺はこれで、と立ち去ろうとしたところでベルモットが声を掛ける。
「完全防音の部屋のはずなのに、外まで声聞こえてたわよ。……よくわかったわね。彼がホラー映画が苦手だって」
一体どうやって掴んだのかしら。その言葉にぴたりと歩みを止め、朔はゆっくり振り返る。にやりと白い歯を見せて、何かを企むように笑った。しい、と口元に人差し指を当てながら。
「企業秘密です」