#09
今から10年近く前のこと。
俺がまだ高校生で妹が小学生だったころ、ゴールデンウイークを利用して、家族で1本の映画を見に行った。その時のタイトルは『劇場版名探偵コナン 天空の難破船』。長期休暇中ということもあり、家族連れでごった返したショッピングモールで人酔いしないよう必死だったのを覚えている。
元々さして興味も無くただ流されるままに見ていただけの俺とは違い、妹はこの映画ですっかりコナンワールド……更に言うならキッドの虜になった、思い出深い作品だ。
勘のいい人なら気付いただろう。そう、その時に観た映画がまさしく、今俺がいる飛行船が舞台の話なのである。
ああそうだ、すっかり忘れていた。逆になんでここまで気づかなかったんだ。その辺に山ほど判断材料は転がってたってのに。飛行船とか飛行船とか……飛行船とか。
『悠介? 本当に大丈夫か?』
急に声が途切れたのを心配しているのか、黒羽が問いかけてくる。その声で俺はさっと現実世界に引き戻された。
「……悪い。ぼーっとしてた」
『おいおい、びっくりさせんなよ』
やれやれと黒羽はため息交じりに言う。まあ話してる相手がいきなり黙ったらそりゃそんな反応するよな。というかどさくさに紛れて俺の本名を呼ぶなってば。呼びたがりかお前。
「それよりどうすんだよ。こんなことになっちまったけど」
『予定通り仕事はする。だがちょっと作戦変更だな』
ううんと悩まし気な声を出す黒羽。その賢い頭を懸命に回しているのであろう。
『こいつらの狙いがわからない事には対策の取りようもねえし……』
「あーそれなら、ひとつ手がかりがあるぜ」
『?』
俺はタブレットで監視カメラ映像を巻き戻しながら言った。画面の向こうでは、ウエイトレス姿の女性が口元を覆いながら喫煙室に何かを吹きかけている。
「犯人グループと思われる奴の顔がばっちり監視カメラに映ってるんだ」
『! まじか』
「ああ。ウエイトレスに扮した女だよ」
俺は動画を止め、画像をトリミングし、メールに添付する。送信先をもう一度確認してから送信ボタンを押した。送信完了の文字を確認し、再び船内の監視カメラ映像に切り替える。
「これをじいちゃんさんに調べてもらえれば、少しは――」
そこで俺は思い切り眉間にしわを寄せながら言葉を途切れさせた。
『どうした?』
「……今、ラウンジでひとり感染者が出た」
『……!』
黒羽が息を飲んだのが分かった。監視カメラ映像を拡大しつつ、感染者の名前を伝える。
「感染したのは……藤岡ってルポライターの男だ」
『あいつか……くそ』
一番起こって欲しくないことが現実のものとなってしまったためか、言葉の端に悔しさが滲んでいるのがわかる。俺は落ち着けるように提案をした。
「……ひとまず、じいちゃんさんの調査をまとうぜ。何か行動を起こすにしても、話はそれからだ」
『そうだな』
なんとか納得させ、通信を切る。そして静かに息をついた。
生まれて来てからずっと、俺は目立つことなく生きてきた。スポットライトを浴びるステージなんか以ての外。俺なんかには一生縁の無いものだと思ってすらいた。この世界に来てからもそうだ。派手で目立つ黒羽の陰でひっそりと、ほとんど世間に知られることなくここまで生きてきた。
だが今回ばかりは勝手が違う。なぜなら、知識があるからだ。
細かくはないが、犯人もその動機も、これから起こることも知っている。妹がテレビでDVDを見ているところを横目に見ていたこともあるし、耳にタコができるほど話(キッドの魅力に関することがほとんどだったが)も聞かされたから、大体覚えてる。
……なら、俺がやるべきことはひとつしかないだろう。
「……大丈夫。ひとりでもあいつの役に立てる」
俺だって、たまにはやるってところを見せてやるよ。
***
そっと足音を殺しながら、目的の部屋に近づいていく。音を立てないように部屋の鍵を解錠。そして一息に部屋に飛び込んだ。すぐさまトランプ銃を構える。
「動くな」
俺は押し殺すように低い声で言う。その目の前にはひとりの男が立っていた。先ほど感染が確認された、藤岡という男だ。その手にはロープが握られている。恐らく、すぐ傍で眠っているウエイトレスを拘束しようとしていたところだったのだろう。藤岡は俺を見るなり一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにニタニタと下賤な笑みを浮かべ始めた。ロープから手を離し、わざとらしく両手を上げてこちらに近づいてこようとする。
「どうしたボウズ。ウエイターが入っていい場所じゃねえぜ、ここは」
「黙ってその手を離せ。テロの大ボス野郎」
なおも銃口を向けつつ俺は言う。その言葉に男は足を止め、興味深そうに目を見開いた。その表情はどこかこちらをおちょくっているようにも見える。
「ほう……俺が、テロの大ボス? 一体何の根拠があって――」
「とぼけても無駄だ。全部見てたぜ? あんたが部下に指示を出して、喫煙室に殺人バクテリアと装って漆の液を拭きつけさせたとこも。感染者を装ってわざと漆にかぶれて隔離され、単独行動をしていたことも」
先ほど見た監視カメラ映像と、必死になって思い出した映画の内容を思い浮かべながら、俺は言葉を続ける。
「それに調べはついてんだ。お前の真の狙いが、寺にある国宝級の大仏だってこともな」
そう言うと藤岡の表情がわかりやすく変わった。人を馬鹿にするような笑みがすっと消え、無表情になる。思わず背筋に冷たいものが走ったが、こんなことでひるんではいられない。俺のトランプ銃の照準はなおも男をとらえ続けている。
「へえ……よく調べたじゃねえか。お前、ただのウエイターじゃねえな」
何者だと問われ、俺は迷わず開口する。
俺は、
「怪盗キッドの、助手だ」
「――!」
忌々しいものを見るかのように藤岡の眉が寄せられる。だがそいつはゆったりと笑みを深めた。
「それで? これからどうするつもりだ」
「決まってんだろ。あいつの計画に支障をきたす前に、お前をここで捕まえる」
俺の言葉を聞くなり藤岡は、ははは!と悪役じみた笑いを零した。そしてこちらをじろりと睨みつける。
「――そういうことは、捕まえてから言えよ」
その直後、藤岡はジャケットの内側から取り出した拳銃を素早く俺に突き付けた。引き金に指をかけ、力を籠めようとする。
だがそれよりも早く、俺は指にかけていた引き金を引いた。
銃口から射出されたトランプは目にもとまらぬ速さで、迷いなく藤岡に向かっていく。
そして勢いよく男の拳銃を弾き飛ばした。
宙を舞う拳銃。藤岡の視線が移ったその隙を見て、俺は一気に間合いを詰める。
ようやく気付いたのか、目玉がこちらを向く。遅い。
俺は腰を落とし、渾身の力を振り絞って腹に一発決めた。
みしり、と鈍い音がする。思ったより綺麗に入ったようだ。
かは、と息を吐く音が聞こえる。藤岡の身体がくの字に折れ曲がり、そのまま俺の腕に身を預けるようにぐったりと力が抜けた。
「やった、か」
反応がないのを確認し、ふうと息をつく。思ったよりあっけなかったな。
それにしても、いざという時のためにとじいちゃんさんに射撃と護身術を教え込まれていて本当によかった。それがなかったら今この場に俺はいなかっただろう。ありがとう、『こんなの何の役に立つんだ』と言いつつも真面目に訓練をこなしていたあの日の俺。ばっちり役に立ったよ。俺は辛く苦しい日々を思い出しながら心の中でそっと手を合わせた。
さて、あとはこいつをロープで拘束すればいいだろうか。先ほどこいつ自身が持っていたロープを使わせてもらおうと視線を巡らせる。
――ふ、と。背中に衝撃。
間髪入れずに、燃えるような激痛が続く。
思わずがくりと力が抜ける。
それとは対照的に、藤岡はその身を起こしてにやりと笑みを浮かべた。その手には血に染まったサバイバルナイフが握られている。それでようやく、俺の身体に起きた事実を認識した。
……俺は刺されたのだ。目の前の男に。
痛みに呻き、荒い呼吸を繰り返すしか出来ない俺を見下すように、藤岡はやれやれと口を開く。
「残念だったな、ボウズ。途中までは良かったぜ」
「お、まえぇ、っ……!」
ぎろりと目の前の男を睨みつける。横たわった地面にはどくどくと赤い水溜りが広がっていく。それと同時に全身から冷汗が噴き出して、呼吸も苦しくなってくる。正直、今にもどうにかなってしまいそうだ。
「悪ィが、知られた以上は生かしておけねえんでな」
藤岡はその辺にあった布で適当にナイフを拭い、腰のあたりにしまった。それからウエイトレスを拘束する作業を再開する。手早くそれを終えると、藤岡は出入り口へ足を進めた。一度足を止め、こちらを振り返る。
「もってあと数分の命だ。それまで精々、神様に祈りでも捧げてろよ」
そう言い放ち、挙句の果てに高笑いをしながら部屋を出て行った。扉の閉まる音が空しく響く。
「……はは」
静かな室内で、思わず乾いた笑いが漏れる。
ここでリーダーを押さえておけばこれからの展開がスムーズになるかと思って行動したのだが……まさかこんなにあっけなくやられてしまうとは思わなかった。流石にもう少しくらいできる奴だと思っていたんだけどな……。どうやら自分の力を買い被りすぎたらしい。やってしまった。もし出来ることなら、意気込んでいた数分前の自分を殴りたい。あそこまで言い切ってこの有様はかっこ悪すぎるだろ……うーん、穴があったら入りたい。
「さて……と、」
段々目の前がくらくらしてくるが、俺は力を振り絞って上体を起こす。相も変わらず血は止まらないし痛みは酷いが、構わない。漏れ出そうになる悲鳴をなんとか噛み殺す。ふらつきながらもゆっくりと、でも着実に部屋のドアまでたどり着いた。なんとかドアノブに手をかける。鍵は閉められていないようだ。まったく、見くびってくれる。
そのまま這うようにして廊下付近の窓まで歩いていく。後ろのほうに引きずったような血の跡がついているが、この際どうでもいい。力を振り絞って窓ガラスを開いてその淵に腰かけ、長く息を吐いた。
……おっといけない。そのまま意識を飛ばすところだった。これじゃ何のためにここまで来たのかわからねえだろうが。窓から吹く風が俺の身体を撫ぜる。少しだけ気分が楽になった気がした。
俺はそっと、インカム越しに話しかける。
「黒羽、……聞こえる、か?」
――これが俺の、最後の仕事だと思いながら。
空を見上げたその時、
あいつの声が聞こえてきたんだ。