#08


 雲ひとつないスカッとするような青空が、頭上に広がっている。

 もちろん、今日も今日とて怪盗の助手である。飛行場で作業員として動いている俺は、興奮してはしゃぐ子どもたちの案内をしていた。

 前から俺たちが狙っていた天空の貴婦人レディ・スカイ≠ェまさか、飛行船に展示されると知ったのは1週間近く前のことだった。その時は流石に俺たちも目をむいたが、『あの爺さんならやりかねないだろう』という黒羽の言葉に『それもそうだな』と納得してしまったのを覚えている。いや普通ならありえないんだけどね。あの爺さんが特殊すぎるだけだからね。
 ……それにしても。

「決行日、ずらさねえんだな……」

 俺は半目になりながら小さくつぶやいた。

 数日前、『赤いシャム猫』を名乗る7人組のテロリストグループが西多摩市にある国立東京微生物研究所を襲撃し、あるものを持ち去った。感染した場合の致死率は80%にもなるというとんでもない殺人バクテリアだ。彼らは襲撃したその日の夜に、『7日以内に次の行動を起こす』という旨の犯行声明を出している。

 因みにその最終日が今日だ。

 ……なんだかとても嫌な予感がするが、正直それは外れて欲しいと思っている。外れてくれ、頼むから。ずきりと痛む頭を押さえながら俺は心の底から願った。

 いいやそんなことよりも今は仕事だ仕事。俺は軽く頭を振って気持ちを切り替える。集中しなければ。

「おっと」

 次々に飛行船に乗り込む乗客のうち、ひとりの女の子が目の前で転びそうになった。俺がさっと受け止めてやればありがとうと微笑まれる。身体をかがめて視線を合わせながら次からは気を付けるんだよと優しく諭してやれば、わかった!と笑顔で元気よく返事をしてくれた。うん、大変素直でよろしい。

「ありがとうございます」
「……いえ。当然のことをしたまでです」

 女の子の次に乗り込もうとした人物を見て俺は思わず息を詰まらせる。
 おお、この世界のメインヒロイン様じゃないか。現実世界の方では散々髪型とか空手の実力とかをいじられてたけど、こうまじまじとみるとあんまり違和感ないな。それに普通に顔可愛いし。スタイルもいいし。

「? どうかしましたか」
「あ! いえ、すみません。ぼーっとしてたみたいで」

 じっと見すぎたせいで相手が不思議そうにしている。まずいまずい。
 誤魔化すように帽子のつばを下げながら笑ってみれば、彼女はあっと何かに気が付いたように声を上げた。

「血が……」
「え?」

 そう言われながら彼女の視線の先に俺も視線をやる。確かに、二の腕辺りに何かが擦れたような赤い跡がすっとついている。しかも若干血が滲んでるってことはここ最近ついた傷だということになるが……いつの間にこんなとこ怪我したんだ俺は。

 どこで怪我したのか考えているうちに、彼女からはいこれと何かを手渡した。それは小さな絆創膏である。しかも2枚。別に大した怪我じゃないし、そこまでしなくても……と思っていたのだが、彼女が「よかったら使ってください」と言うもんで思わず受け取ってしまう。俺が受け取ったのを見ると、彼女は優しく微笑んで飛行船に乗り込んでいった。

「メインヒロイン、流石やなあ」

 そんな俺のつぶやきは幸い誰にも聞こえていなかったようだ。


***


 俺は次の作戦に移るべく、隙を見て着替えて乗船するウエイトレスに紛れた。船内の説明を聞く集まりの最中に、同じくウエイトレスに変装した黒羽を見かける。さりげなく近づき、小声で言葉を交わし合う。

「守備は」
「まあまあだな」

 黒羽も密かに返答する。そこでふと、黒羽が俺と全く同じ位置に同じような怪我をしていたことに気付いた。それをさりげなく指摘すれば、黒羽も初めて気づいた様子。どんな偶然やねん。そう思いつつ俺は先ほど貰った絆創膏を差し出した。

「ほれ絆創膏」
「へえ、お前が絆創膏持ってるなんて珍しいな」

 意外そうに目を丸くする。俺は先ほどの出来事を話して聞かせた。

「さっき乗客に貰ったんだ。俺絆創膏あんまり好きじゃないからやるよ」

 皮膚に常に張り付いている絆創膏が、俺はなんとなく昔から苦手だった。だから正直持て余していたところだったのだ。それに俺の服は七分丈だから隠せるしな。俺の話を聞いた黒羽はなんだそれと笑う。

 そこで黒羽は俺の持つ絆創膏を見てふと動きを止めた。そしてすぐにニヤリと笑みを深める。それはまるで、仕事現場で例の小学生探偵を発見したときのように、心の底から楽しそうな笑みだった。その一部始終を見ていた俺は怪訝そうに眉を寄せる。

「なんだ? どうかしたか?」
「いや、なんでもねーよ」

 黒羽は軽い調子で言う。どう見ても何でも無く無いだろうに。ますます怪訝な顔をする俺から逃げるように、黒羽はさっと絆創膏をひったくる。

「んじゃ、ありがたく貰っとくな」

 サンキュー、と言いながら黒羽はどこかへ行ってしまった。

 しばらくして、飛行船がゆっくりと大空へ向けて浮上する。俺と黒羽はウエイターとして仕事をしつつ、それぞれの作戦通りに行動した。グラスを運びながら、船内の乗客の様子を確認する。ちょうど今は乗客同士が顔合わせをしているようだ。それとなく盗み聞きをして、乗客の情報を頭に入れておく。まあ事前に入手した飛行船の乗員リストはそれなりに目を通していたけど、一応再確認も兼ねて。

 初めての飛行船にはしゃぐ子どもたちを見守りながらぼんやりと物思いにふける。そういえばこうやって飛行船に乗るのも初めてだな。……というか、どこにでもあるような一般家庭に生まれて一般的に生きていたらまず飛行船に乗る機会なんて無いよな、うん。夢の中っていうのは本当に便利なもんだ。

 おっといけない。俺も本来の仕事に戻らねえと。俺は子どもたちを横目に、それとなくラウンジを後にした。喫煙室から出てきた他のウエイトレスとすれ違い、軽く会釈しつつ目的の部屋へ足を向ける。

 なるべく身を隠しつつ向かったのは警備室。施錠されているが、こんなものは問題ない。というかわざわざ部屋に入る必要すらなかった。

 事前に頭に入れておいた警備システムを思い起こしながら、配線が密集している付近に器具を取り付ける。そしていくつかのパスコードを入力する。正常に起動したことを確かめると、俺はそっと息を吐いた。こうすることで各場所の監視カメラ映像が俺と黒羽のタブレットと地上にいるじいちゃんさんに送られ、離れていても船内の状況が確認できるようになる。これで、まず俺のひとつめの仕事は完了だ。

 それにしても、なんでここも警備がこんなにザルなんだろうか。流石に上手くいきすぎて心配になる。乗船前のチェックは完璧に済ませた上に、宝石の近くに警察も配備されてるし大丈夫だろう、とか思ってんのかな……。いや、それもそれでどうなんだろう。俺たちとしては仕事がしやすくなって凄くありがたいけど。

 そんなことを考えつつ、ウエイターの仕事をしてるであろう黒羽にこっそり連絡を入れる。俺の報告を聞いた黒羽はふっと息を吐くように笑った。

『流石だな』
「いや、どう考えても警備が手薄すぎるのがおかしいんだよ」
『それはまあ……そうだな』

 流石の黒羽も苦笑い。いや相当だぞこれは。


***


 船内の防犯システムを見て周りながらタブレットで防犯カメラ映像を確認していると、スカイデッキで宝石を見ていたらしい面々がぽつぽつとエントランスに戻ってくるのが見えた。さて俺も本来のウエイターの仕事に戻るかね。タブレットをさりげなく服の中に隠しながら(因みにこの隠し方は黒羽直伝で、企業秘密らしい)キッチンに戻る。それなりの時間持ち場を離れていたことを指摘されるかと身構えたが、特に何も言われなかった。

 皿を洗いながらざっと見まわすと、黒羽の扮するウエイターの姿は見当たらなかった。多分まだ上に居るんだろう。今回の宝石周辺の警備システムの確認をしているのかもしれない。あの人、毎度毎度ユニークな仕掛けを施してくるからなあ……。「大体の予想はついてる」と言っていたから、その答え合わせといったところだろうか。食器を洗いながらそんなことを考える。

 そこでふと頭が痛む。……まただ。俺はぐっと眉を寄せた。

 今日は朝からずっと頭痛が酷いのだ。特に体調も悪いわけでもなく、頭痛持ちというわけではないのに、である。一応薬を飲んだのだが、なかなか効いてくれない。まったく、誰かさんのように厄介な奴だ。

「大丈夫ですか?」

 ふと声をかけられる。声のしたほうを見ると、ポニーテールのウエイトレスが俺のことを心配そうに見つめていた。ち、近い。パーソナルスペースが狭い子なんだろうか。俺は大丈夫ですよと小さく笑って誤魔化しつつさりげなく距離を開けた。

 皿洗い業務を終え、フロアの見回りを称して船内をうろつく。するとタイミングよく黒羽の扮するウエイターと出くわした。軽く挨拶程度にとどめておこうと思ったのだが、俺は思わず呼び止めてしまう。黒羽の様子がどことなくおかしく感じたためだ。具体的にどこがおかしいのかと言われると困ってしまうが……とにかく、違和感を感じたのである。

「上で何かあったのか?」

 声を潜めて俺は問いかける。すると黒羽は一瞬だけ複雑そうな表情をすると、すぐにそれをかき消すようににやりと笑みを深めた。

「ちょっと面倒なことになったけど、まあなんとかなりそうだから心配すんな」

 ……なんだよ面倒なことって。気になるじゃねーか。
 とは思ったものの、結局俺は口には出さなかった。こいつが大丈夫だというんなら大丈夫なんだろう。こいつはその辺の信頼に関しては厚い。俺は一瞬だけ表情を曇らせつつ、そうか、とだけ言っておいた。

「それより、どうだ」
「ヨユーヨユー 俺をなめんなよ?」

 主語を言わずとも伝わったようだ。自信ありげに歯を見せて笑う。変装中なんだからその顔止めなさい。

 黒羽と別れた後は食事の配膳に奔走していた。空いた皿を下げ、空になった飲み物を注ぎ、乗客の要望を聞き……もう、忙しいったらありゃしねえ。学生時代にやった居酒屋のバイトを久々に思い出したほどだ。正直あれは今でも苦い思い出である。

 まあ、そんな俺よりも刑事さん方の方が随分慌ただしかったけど。ケーキをかき込む姿を見ながら俺は心の中でそっと「お勤めご苦労様です」と合掌した。「お前が言うな」感満載だが、気持ちが重要なんだよこういうのは。

 そんな最中、一足先にケーキを食べ終わった子どもたちが「部屋でトランプをする」と言いながら慌ただしくラウンジを出て行った。嘘つけ。さっき飛行船の内部を探検してどうのって作戦会議してたくせに。こっちの作戦に支障をきたしても困るし、それとなくカメラ越しに監視しておくか……。

 そんな時に、あの爺さんが大きな声を上げた。さっとそちらを見れば、電話を見つめながらわなわなと震えている。何があったんだとその動向を観察するが、他の乗務員にはなんでもないと誤魔化している。そして隙を見て刑事と目を合わせ、そのまま席を立った。……なんだか嫌な予感がした俺もトイレと称してそっとラウンジを離れた。

 誰もいない所を見つけて身を隠し、タブレットで監視カメラ映像を確認する。大仰なガスマスクを付けた刑事がずらずらと歩いている。一体どこに向かっているんだと思いながら暫らく映像を見ていると、喫煙室に入っていく。しばらく何かを探すような動きをしたかと思うと、ひとりの警察官があるものを発見したようだ。映像を拡大してみると、それは赤いマークが入ったアンプル。恐らく、というかほぼ確実に赤いシャム猫のマークだろう。まんまと嫌な予感が的中してしまったというわけだ。

「ってことは、もう既に赤いシャム猫のやつらは、この船内にいるって事か?」

 小さくつぶやく。だとしたら、それは早いうちに知る必要があるだろう。タブレットのモードを切り替えて、喫煙室の監視カメラ映像を巻き戻していく。すると突如通信が入った。黒羽だ。作業の手を止めずに俺たちはこそこそと会話をする。

『喫煙室の映像見たか』
「今見てる。面倒なことになったな」
『ああ。おかげで仕事が増えちまったぜ』

 やれやれと黒羽はため息をついた。仕事が増えた……ということはお前まさか、このテロリストグループを何とかしようとでも考えてんのか? やめろよほんと。テロリストを相手にすんのは流石に無茶だぞ。
 そんなことを考えている俺を他所に、それにしてもと黒羽は考え込む様子を見せた。

『なんでわざわざこんなとこに撒く必要があんだ?』
「ああ、それは俺も思う。なんか狙いでもあんのかな……」

 そこでまた頭がずきりと痛みだし、俺は咄嗟に額を抑える。
 思わず漏れた呻き声を目ざとく感じ取った黒羽が心配そうに声をかけてきた。

『おい大丈夫か?』
「ああ、大丈……ぶ……」

 そこで言葉を途切れさせる。朝から悩まされていた頭痛がすっと、楽になった。
 それと同時に、俺はようやくはっきりと思い出したのだ。

 ――俺、この話知ってる。


 言えるわけねぇだろ。
 心配させたくねんだから。