変わったようで変わってない
「まーた君たちかね」
目暮は呆れたような眼差しで目の前の子どもたちを見る。
ある者は得意げに笑い、またある者は苦笑いを浮かべていた。
***
平日の夕方頃。コナン達少年探偵団は、学校の帰り道の途中にあるビルの屋上から何者かが転落するところを偶然目撃してしまった。急いで現場に駆け付けるが、転落したと思われる女性は血だまりの中でもう既に息絶えている。
真っ青な顔で立ちすくむ彼らを現場から遠ざけつつ、急いで警察を呼ぶように指示する。ほどなくして駆け付けたのは、すっかり顔馴染みとなってしまった目暮班の面々。もう既に何度も事件現場で顔を合わせている彼らを見て、目暮は冒頭のセリフを吐いたというわけだ。
第一発見者として探偵団の面々は軽い事情聴取を受ける。その合間に警察の捜査を盗み聞いているうちに、少しずつ状況が掴めてきた。
ビルから落ちてきた20代の女性はこのビル内の会社に勤める社員であるらしい。なんでも仕事の休憩と称して少し持ち場を離れたと思ったら、こんなことになってしまったのだという。一通り調べた目暮はううむと唸った。
「転落した彼女は普段からよく気分転換として屋上を訪れていたらしい。彼女の身体には落下時に受けたと思われるもの以外の外傷も、自殺だと裏付けるような遺書らしきものも残っていない。そして屋上の手すりは所々傷んでいる箇所があった……これは事故と断定しても良さそうだな」
目暮の言葉にコナンはわずかに眉を寄せた。実は先ほどから、どことなく違和感を感じていたのだ。その違和感の正体をはっきりと掴む前に事故と断定されてしまっては正直困る。とにかく何としてでも捜査を長引かせなくては。そう思って口を開いたその時。
「いや」
ふと、誰かがつぶやく。
たった一言。それだけでその場の空気がわずかに変わったのがわかる。
声の主に一斉に視線が向けられた。声の主は続けて言う。
「そう断定するのはまだ早いんじゃねえか、警部さん」
黒髪蓬髪、すらりとした体躯に黒いスーツがよく似合う。目元を覆うサングラスが特徴的な目暮班の刑事のひとり、松田だ。ニヒルな笑みを口元に浮かべる松田に、目暮は苦言を呈する。
「だが、状況から見ればどう考えてもこれは……」
「すみません、警部。……私も松田さんと同意見です」
それに賛同するように、もうひとりの刑事が声を上げる。背が低く黒目がちな顔つきからどこか幼い印象を受ける女刑事、最上だ。賛同した割に自信は無いのか、少しだけ眉を下げつつ目暮に意見する。
「これだという確証は無いのですが、どうにも何か引っかかる感じがして……もう少しだけでいいので捜査させてくれませんか」
お願いします、と言いながらぺこりと頭を下げる。それを見た目暮は渋々折れたようで、仕方ないとばかりに言った。
「……まあ、きみらが言うのなら何かあるのだろう。わかった、もうしばらく捜査を続けよう」
「ありがとうございます」
最上はもう一度改めて頭を下げると、ぱたぱたと慌ただしく目暮の傍を離れた。他の刑事たちも同様に、先ほどまで行っていた作業に戻り始める。何はともあれ、捜査が延長されたのならコナンとしては願ったりかなったりだ。自身の違和感の正体を知るために、コナンも素早く捜査を再開する。
「あれ?」
不意に現場の端の方で散策をしていた歩美が不思議そうな声をあげた。どうしたのかとそちらに行けば、近くにあった電柱のすぐ根本あたりを指さす。
「コナンくん、これなんだと思う?」
見ると、そこにあったのは何かの金属片のようだった。大きさは手のひらよりも少し小さいくらいだろうか。一応ハンカチ越しにつまみ上げてよく見てみる。切り口がさび付いている。おそらく、屋上の手すりの一部だろうか。なんだろうねと他の探偵団の面々が頭を捻っている最中、コナンはある事に気付いた。それと同時に、脳内にある考えがひらめく。なるほど、これなら……。
「! おいコナン! どこに行くんだよ!」
「コナンくん!?」
そうと決まれば確かめるしかない。コナンは子どもたちの問いかけに構うことなく駆け出していた。規制テープと刑事らの足元を器用にくぐりぬけ、ビルの屋上を目指す。するとひょいと身体が持ち上げられた。
「駄目じゃないかコナンくん、勝手に入ってきちゃ」
「た、高木刑事……」
「いいかい? ここは子どもが入ってきていい所じゃないんだ。ほら、一緒に帰ろう」
コナンの身体を持ち上げたのは、これまた顔なじみの刑事……目暮班の高木であった。高木は困ったような顔をして、コナンを抱えたままビルを降りて行こうとする。それに気づいたコナンは慌てて抵抗を始めた。このまま下ろされてはたまったものじゃない。なんとか抜け出さなければ、と考えていると不意に背後から声がかけられる。
「どうかしたんですか、高木さん」
「最上さん」
そこに立っていたのは、先ほど松田の意見に賛同した最上だった。最上は高木に抱えられたコナンの様子を見て全てを察したようである。少し呆れたように目を細めながら言った。
「本当に、毎度毎度よくやるね……ん?」
すると、コナンの手に何かが握られていることに気付いたようである。少し目を丸くして、コナンに問いかけた。
「もしかして何か見つけたの?」
もしそうなら見せてくれるかな、とあくまで優しく訊ねる。コナンはハンカチにくるまれた金属片を差し出した。それをしばらく観察していたかと思うと、不意に動きを止める。そして少し考え込むような動作をした後、コナンに尋ねた。
「……これ、何処で見つけたの?」
「落下地点の近くの電柱の根元のあたりに落ちてたんだ」
それを聞くと再度考え込み始める。だが30秒もしないうちに最上はハッとした表情を浮かべた。大急ぎで近くにいた松田を呼び止める。そして何やらふたりだけで会話をし始めた。
「何してるんだろう……」
高木がぼそりとつぶやく。コナンは抱えられたままふたりのやりとりを遠巻きに見ていた。
コナンが今まで見てきた限り、松田は目暮班の中でもかなり頭がキレる部類の人間だ。同じく最上も、彼に勝るとも劣らないほどの頭脳の持ち主である。恐らく、あの金属片から何かに気付いたのだろう。コナンと同じような考えが。
しばらく会話をやり取りした後、松田はにやりと微笑んだ。そして高木に告げる。
「今すぐ警部さんを屋上に呼んできてくれ。話がある」
数分後、目暮が屋上に到着する。なぜか下で待っていたはずの子どもたちまで一緒に来たことに少々驚きつつも、松田は淡々と語り始めた。
「先に言っておくと、今回のこれは事故じゃねえ。れっきとした事件だ」
「事件? だが彼女は屋上から誤って転落を……」
「その転落が仕組まれたものだとしたら、話は変わってくるだろ?」
「仕組まれていた?」
松田の言葉に目暮は眉を寄せる。そんな彼を他所に松田は例の手すりに近づき、ちょいちょいと根元のあたりを指をさした。
「見えるか警部さん。この手すりのとこに細かい傷がついてるだろ?」
「ああ、確かに見えるが」
ぐっと顔を寄せて確認すれば確かに、何かで擦ったような細かい傷がいくつもついていた。この感じからすると、やすりか何かで削ったのだろう。
「しかもその傷がついているのは、被害者が転落した手すりの付近のみ……。このことから、この傷は自然にできたものではなく、何者かによって意図的につけられたものだと推測できる」
「なるほど。だがしかし、この小さな傷が手すりを脆くさせるほど致命的なものではないだろう。そもそも、この手すりが折れてしまったのは錆による腐食が原因で……」
「ご存じありませんか、目暮警部」
ふと、傍で見守っていた最上が右手の人差し指をちょいと立てながら口を開く。
「細かい傷のついた金属に濃い食塩水を塗り付けると、とても錆やすくなるんですよ」
「何?」
「もしもっと早く効果を出したいのなら希塩酸でもいいんですけどね」
最上はさらりと補足しつつ、手を顎のあたりにやりながら自身の考えを述べた。
「恐らく、犯人もその方法で手すりを腐食させようとしたんです。その上、ここ数日雨が続いていた。そのせいもあってさらに腐食が進んだんでしょう」
「なるほど! だから手すりに細かい傷がついていたのか……」
納得したように目暮が手を打つ。松田は空を見上げながら言った。
「今日は久しぶりの快晴。やっとお気に入りの休憩スペースである屋上に行ける高揚感で、ついいつもよりも手すりにもたれてしまったんだろうよ。雨が降っている間に手すりの根元の錆が進行していたことに気付くことなく、な」
「……よし、この件は事故ではなく事件として捜査する!」
目暮の一声に、捜査員たちは威勢よく返事をした。
***
その後。警察の調べで手すりに細工をした犯人は数時間もしないうちにあっさりと見つかり、無事に事件は解決した。
「今回はあなたの立場、ほとんど無かったみたいね」
犯人が連行される様子を見ていた灰原が皮肉たっぷりに微笑む。
ほっとけ、とコナンは小さく悪態をついた。
「よ」
不意に背後から肩を叩かれる。ぱっと振り返ればそこにいたのは松田だった。探偵団の面々も「松田刑事!」と嬉しそうに声を上げる。松田は口角をくいっと上げるように微笑み、少し腰を屈ませてコナンに視線を合わせるようにして話しかけてきた。
「最上から聞いたんだが、あの証拠品見つけたのお前だって?」
「そうだよ」
「へえ、よく気づいたな。助かったぜ」
わしわしと少し乱暴に頭を撫でる。コナンが見つけた例の金属片は、屋上の手すりの一部。そこについていた細かい傷から、腐食進行のトリックに気が付いたのだ。コナンは少し困ったように笑う。
「た、たまたまだよ」
「たまたまでもすごいことだよ」
近くにいた最上が自然な流れで話に参加する。元々小柄な彼女は、少し腰をかがめただけで完全にコナン達と同じ視線になった。優しく微笑みながらコナンを褒める。
「毎度のことながら流石だねコナンくん」
「それを言うならふたりだって凄いよ」
「俺たち?」
不意に話を振られた松田は思わず目を丸くする。
「だって、目暮警部に説明するときのふたり、打ち合わせしたみたいに息ぴったりだったじゃない」
「……そう?」
「うん!」
「相棒って言葉がぴったりくるくらいでした!」
口々に子どもたちは称賛の声を上げる。対するふたりは一度目を見合わせると、お互いにふっと笑みを零す。それを見ていたコナンはなんとなく察したようだった。
「もしかして、ふたりって……」
だがそれを口にする前に、目暮が最上を呼んだ。
「最上くん! 少し話があるんだが、いいかね?」
「はい、今行きます」
後はよろしくお願いします、と言い残して最上はその場を去っていく。すると何か思いついたらしい松田がふと声をかけた。
「そういやかざね、今日の店何時からだっけ」
「20時です」
間髪入れずに答えが返ってくる。ぴたりと足が止まった。
それと、と言いながら最上は振り返る。
「……仕事中に名前は呼ばないでってば」
少しむっとした声色。無理に照れを押し隠すように、眉間にはしわが寄っている。心なしかほんのりと頬は色づいていた。松田がわりいわりいと軽い調子で謝ると、最上はため息をひとつ零してさっさと目暮の元に向かう。
それを見ていたコナンは、予想が確信に変わるのを感じていた。そっと松田を見上げつつ、尋ねる。
「……そういうこと?」
「察しがいいなボウズ。……ま、そーいうこった」
松田は悪戯っぽく、ニヤリと笑った。
―――変わったようで変わってない
でも、お互い少し素直にはなったかもね。