幸せをくれた君に

 すっきりとした晴天が広がる、冬の朝。
 例年にしては随分過ごしやすい気温を堪能しながら、ふたりの男女が歩いていた。

「ここに来るのも、随分ひさしぶりだな」

 黒髪蓬髪にコートを軽く羽織った男が、辺りを見回しながら言う。

「そうだね」

 長く伸びた黒髪を後ろでひとつに結んだ小柄な女が、優しく微笑んで答えた。その手には花を抱えている。
 ふたりは並んで歩きながらしばらく言葉を交わしていたが、あるところでふと立ち止まった。「ここだ」と男はつぶやく。

「――萩原」

 そう言った男――松田の目の前には、苗字の彫り刻まれた墓石が鎮座している。
 女――最上は辺りを見回しながら言った。

「意外と綺麗だね」
「じゃあ、掃除は必要ねえか」

 穏やかな表情を浮かべたまま、膝を曲げてしゃがみ込む。ポケットから未開封の煙草をひと箱取り出し、墓石の前に置いた。とん、と軽い音がする。

「お前好きだったよな、この銘柄。……俺は正直、あんま好きじゃなかったけどよ」

 少し困ったように眉を下げて笑う。
 最上は花立てに水を注いでから、持ってきた花を差し込んだ。見栄えが良くなるように配置し、続いて持参した線香を2本取り出してライターで火をつける。白い煙が尾を引くそれを、香炉に立てた。

 松田はしゃがんだまま、最上は立った状態で、それぞれ目を閉じて、手を合わせる。
 まるで一枚の絵画のような静寂だった。ひゅうるりと少し冷たい風がその場を吹き抜けて、花を揺らし、消えていく。

 どれくらい経っただろう。一足先に松田が目を開き、ほうと息をつく。ちらりと隣を見ると、最上はまだ手を合わせていた。
 それから少しして、満足したように目を開く。

「随分長かったな」

 何話してたんだ? 立ち上がりながらの松田の問いかけに、最上は目の前の墓石を見ながら答える。

「今までの報告と、感謝と……それから、『今日は晴れてるから天国から見ててね』って」

 最上は照れたように笑う。
 少しだけ赤くなった鼻がなんだか愛おしくて、松田は思わず抱きしめたくなった。

 すると不意に最上の携帯が鳴る。それに気づいた最上はポケットから取り出してぱかりと開いた。どうやらメールだったらしく、その場で松田に軽く断りをいれてからポチポチと返信を打つ。なんとなく手持無沙汰になった松田は煙草を1本取り出して火をつけた。ふうっと吐いた紫煙が、風に吹き飛ばされていく。

 そこでふと、最上の携帯にぶら下がったお守りに気付いた。

「前から思ってたんだけど」
「ん?」

 松田の言葉に、最上はちらりと視線を上げる。それとほとんど同時に松田はお守りに触れた。

「これ、中何入ってんだ? 俺らが買った時はこんなに膨らんでなかっただろ」
「これ? ああ……」

 言われて最上は少し恥ずかしそうに微笑む。そして携帯を閉じてから、お守りの紐を緩める。その開いた隙間に指を差し込み、中から小さく折りたたまれた紙を取り出した。かなり古ぼけたそれを器用に開いていく。
 すべて開いてその正体が解ったところで、松田は目を丸くした。

「……写真?」
「うん。私が生まれて初めて撮った写真」

 それは酷く年季の入った写真だった。
 真ん中には得意げに笑った幼い少年が映っている。その姿は、目の前の墓石に眠る親友によく似ていた。

「萩兄の敵を取ろうって決めた時に入れたの。こうすれば、お守りを見るたびに思い出すでしょ?」
「……なるほどな」

 再び折りたたんでお守りにしまいながら最上は言う。少しラグのある松田の返事に、彼女の悪戯心がひょっこり顔を出した。

「もしかして、ヤキモチやいた?」
「……そんなんじゃねえよ」
「へえ?」

 にやりと笑って言えば、松田はバツが悪そうにふいと顔を逸らしてしまう。黙って咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けた。

「そんなことより、行こうぜ。あんまり遅くなっても困るだろ」
「……うん。そうだね」

 差し出されるままに手を取って、ふたりは墓地を後にする。
 誰も居なくなった空間で、線香の煙だけが静かに揺れていた。


***


「ほらコナンくん、行くよー?」
「待ってよ蘭ねーちゃん!」

 そう言いながら慌ててコナンは靴を履いた。階段を下りた先には一台のワゴン車が止まっている。その中に乗り込めば、既にみんな揃っているようだった。

「おせーぞコナン!」
「遅刻ですよー」
「わりーな、ちょっと遅くなっちまった」

 いつもより余所行きの恰好をした光彦と元太がコナンを見るなり、ぶうぶうと文句を言い始めた。平謝りしながら彼らの隣に座る。

「たく、料理無くなっちまったらどうすんだよ」
「元太くんご飯のことしか頭に無いの?」
「まったく、相変わらず食い意地張ってるわねこのガキンチョは……」

 元太の怒りの矛先に困ったように笑う歩美。前の座席に座る園子は呆れたようにため息をついていた。気を取り直したように、隣に腰かけている蘭に話しかける。

「それにしても、楽しみね! 松田刑事と最上刑事の結婚式!」
「うん、そうだね」

 普段より少し浮かれた様子の蘭は笑う。「きっと綺麗だろうな、最上刑事のウエディングドレス姿!」と園子はうっとりとした顔で言った。そんな会話を聞きながら、コナンはふと思ったことを口にする。

「そういえば灰原は?」
「哀ちゃんは博士と一緒にビートルでくるってさ」

 歩美の答えに、そういえばそんなこと言ってたなと思いながら「そうなんだ」と軽く返事をする。
 すると運転席に座っていた小五郎がこちらを振り返って言った。

「全員乗ったか? 出発すんぞー」
「「「お願いしまーす!」」」

 ひと際テンションの高い探偵団の面々が、元気よく返事をした。

 車に揺られること30分弱。ようやく車は会場に到着した。駐車場にはもう既に数台の車が停車している。順々に車から降りて、興味深そうに辺りを見回す。少し山の方にあるおかげか、空気が澄んでいて綺麗だ。肝心の式場も小さいながらに綺麗でおしゃれな印象を受ける。
 そんなことを考えていると、見慣れた黄色いビートルが駐車場に入ってきた。コナンらが乗ってきたワゴン車のすぐ傍に停車する。

「博士! 灰原さん!」
「おお、タイミングがよかったみたいじゃのう」

 そんなことをいいながら余所行きのきれいめな恰好をした博士と灰原が降りてきた。すぐさま探偵団の面々は博士と灰原の元に駆け寄る。

「哀ちゃんワンピース可愛いね」
「ふふ、ありがとう。吉田さんも良く似合ってるわ」
「えへへ! これお気に入りなんだ!」

 歩美は嬉しそうに笑った。そんなやりとりを見てか、見知った人物が声をかけてきた。

「あら、みんなも呼ばれてたのね」
「佐藤刑事!」

 最上と松田の同僚である佐藤刑事だ。彼女もいつものスーツ姿ではなく、シンプルなパーティドレスを見に着けている。化粧もいつもより華やかだ。

「佐藤刑事もお呼ばれしたの?」
「ええ。私だけじゃなくて、本庁でふたりと親しかった人は大体呼ばれてるのよ」
「そうだったんだ」
「といっても、身内だけの小さな式にしたいからって、そこまで大人数呼ばれたわけじゃないけどね」

 佐藤は小さく笑う。そんなやりとりをしているコナンらから少し離れたところで、小五郎が目暮に挨拶をしていた。他にも高木や白鳥、由美らも招待されているらしい。というかここにいるほとんどが警察関係者だ。恐らく互いの共通の知り合いだけを招待したのだろう。警察官同士の結婚らしいな、とコナンは何となく思った。

 すると佐藤は他の刑事と思われる人物に声をかけられる。

「ごめんね、私行かなきゃ……じゃあみんな後でね」

 少し申し訳なさそうにしながら佐藤は子どもたちの元を離れた。

 時間になったため、コナンらは式場に足を踏み入れる。
 白い壁に高い天井、はめ込まれた色とりどりのステンドグラス、各所にあしらわれた白い花飾り、暖かな灯りを揺らめかせる蝋燭……。教会に入ったことがないわけではないが、やはりこの場は特別な気がした。後ろに座る探偵団の面々もどこかそわそわと落ち着きがないようである。

 開始時刻になり、神父が開式を宣言する。神父の案内で、来場者が全員起立した。音楽が鳴り響き、扉が開かれる。

 扉の向こうにはタキシード姿の松田と、ウエディングドレス姿の最上が立っている。初めからふたりで入場するスタイルのようだ。
 松田は余裕そうに見えて、どこか緊張したように思いつめた顔をしている。最上は伏し目がちで表情があまりうかがえないが、松田よりは余裕がありそうだった。ふたりは互いに手を取り、1歩1歩バージンロードを歩いていく。その姿を見て探偵団の面々はうっとりした様子で小さくつぶやいた。

「松田刑事と最上刑事だ!」
「タキシードが良く似合ってますね」
「ウエディングドレス、すごく綺麗……!」

 ふと隣にいる蘭の様子を見やる。彼女はすっかりウエディングドレス姿の最上に見とれてしまっていた。

「素敵……」

 そうつぶやく姿を見て、コナンは自身の未来についてこっそり想像し、あわててかぶりを振る。……心なしか顔が熱いような気がした。

 新郎新婦が祭壇の前に到着し、神父が誓いの言葉を読み上げる。最後まで聞き終えて、迷うことなくふたりは互いに「はい」と返事をした。
 続いて指輪の交換の儀式が執り行われる。新郎から新婦へ、新婦から新郎へ。お揃いの銀色の指輪が、互いの左手の薬指に収まった。

 すっと、松田がベールに手をかけ、ふわりと持ち上げる。これでふたりの間を遮るものは何もなくなった。少しはにかみながら、お互いに見つめ合う。

 松田が最上の肩に触れ、ゆっくりと屈むように近づく。
 それに応じて、最上は瞼を下ろして少し俯きがちになる。

 ――そしてそのまま、最上の額に唇を押し付けた。

 数秒して、ゆっくりと松田は離れていく。
 それと同時に最上も顔を上げ、目を合わせて互いに微笑んだ。

 参列者の拍手が鳴り響く。
 こうして、つつがなく式は進行していった。


***


 アフターセレモニーで花びらの舞う道を歩く。
 「おめでとう」「幸せに」と参列者の心からの祝福を受けながら、ふたりは手を取ってゆっくりと歩いていった。一通り参列者に挨拶をして、写真撮影やブーケトスを終えたところで、最上はふうと息をつく。そして改めて今自分が置かれている状況を見回した。

 まさか自分がこんなにたくさんの人に祝福されることになるだなんて思いもしなかった。それこそ、幼い頃の自分は想像すらできないだろう。まるで夢のようだ、なんてぼんやり思う。

「……あいつ、やっぱ来なかったか」

 きょろきょろと辺りを見回しながら松田は言う。その言葉に疑問を持ち、何気なく尋ねた。

「あいつ?」
「警察学校の同期。ほら、金髪の」
「ああ、確か……フルヤさん?」

 合点がいったように最上が名を言えば、「そう、そいつ」と松田は肯定した。

「一応あいつにも招待状出したんだが、やっぱり来なかったみたいだ」
「そうなんだ……」
「ま、あいつ確かゼロに引き抜かれたらしいって聞いてたから、薄々そんな暇ねーだろうとは思ってたけどよ」

 ここにはいない友人のことを思ってか、松田はにやりと小さく笑う。
 ふと、最上は口を開いた。

「陣平くん」
「……どうした?」

 急に名を呼んだものだから松田も疑問に思ったようだ。軽く小首を傾げて最上に尋ねる。最上は松田の方を見ることなく語り始めた。

「私ね、生まれてからずっと思ってたんだ。『どうして私は生まれてきたんだろう』『早くこんな世界からいなくなりたい』って」

 でもね、と言葉を切る。
 優しい笑みを浮かべた顔で、松田を見上げた。

「……こんなふうにみんなにお祝いされて、『おめでとう』って言ってもらえて、すごく嬉しいんだ」
 
 そして、今にも泣きそうな顔で、ぽつりとつぶやく。

「私……生きてて、よかった」
「……そうか」

 松田はそっと、最上の手袋に包まれた左手を握った。最上もそれに応じるように、そっと握り返す。

 ――そして何の前触れもなく、松田は彼女の唇に己の唇を重ねた。

 あまりにも唐突な口づけに、最上の瞳が驚愕に見開かれる。
 周りの音が急に消えてなくなったような、そんな心地がした。

「……言っとくが、これで終わりじゃねえぞ」

 そっと唇を離し、松田は言う。

「これから何年も、何十年もかけて、かざねにはもっと幸せになってもらう。……もちろん、俺の隣でな」

 強気な言葉の端にほんの少しの照れを添えて、松田は微笑む。
 最上は顔をゆでだこのように真っ赤に染め上げながらも、嬉しそうに大きく頷いた。

「そろそろ時間だ。場所移動すんぞ」
「そうだね」

 披露宴の会場は式場のすぐ近くのホールで立食形式のパーティをすることになっていた。最上は握っていた松田の手をそのまま借りながら、ふたりで歩く。

「……おめでとう、かざね」

 ふと名前を呼ばれた気がして、最上はぱっと振り返る。
 だが、そこには誰も居らず、木の根元付近に一輪の花が咲いているだけだ。不思議そうにまばたきをして、聞き間違いだろうと前へ向き直った。

 ――いや、まてよ。

 最上は何かに気付いたように、もう一度振り返る。

 咲いている一輪の花は、今朝"彼"のもとに手向けてきたのと同じものだ。
 しかも、今確かに、その声は下の名前を……。

「かざね?」

 松田の声に、最上はハッと現実に引き戻される。不思議そうに顔を見つめてくる彼の視線を誤魔化すように、最上は笑って言った。

「なんでもない」



 ―――幸せをくれた君に 隣にずっと、いつまでも



 ……見に来て、くれたのかな。
 そう感じた最上は去り際にそっとつぶやいた。

「……ありがとう、萩兄」