結局はハートの問題

 落ち着いたコーヒーの香りが漂う喫茶ポアロ。
 その奥にあるテーブル席で、最上・佐藤・宮本の3人は仲良くお茶会を楽しんでいた。3人の非番が重なるのは実に久しぶりのことで、積もる話も有り余っている。

「そういえば最上ちゃん、最近は松田くんと上手くいってるの?」

 パンケーキをナイフで切り分けながら宮本は言う。不意に話を振られた最上はあからさまにたじろいだ。

「い、いいですよ。私の話は」
「だって松田くんはあんまりそういうの言ってくれないしさ、最上ちゃん頼みなのよ〜」
「確かに、ちょっと気になるかも」

 ね、どうなの?と宮本は実に楽しそうに聞いてくる。止めてくれるだろうと思った佐藤までも乗り気な様子に、最上は困ったように眉を下げることしか出来なかった。逃げるようにコーヒーを飲んでみても彼女らからの追撃は止むことはない。

「去年のクリスマスに付き合い始めたって聞いたから……もうすぐ4か月くらいになるわね」
「どうなのよ〜 どこまで進んだの?」

 からかい半分の調子で宮本は尋ねる。自分のことじゃないと途端にこれなんだから……。最上はだんだんと熱くなる頬を感じながら、視線を逸らした。

「ちょっと前に」
「「前に?」」
「は……はじめて、ちゅー……しました」
「「……」」

 もじもじと顔を下げながら正直に白状すると、思ったよりもふたりの反応が薄い。あれ?と思い顔を上げると、ふたりは目を丸くして固まっている。どうしたのだろうとまばたきを繰り返しながら首を傾げた。

「えと……どうかしましたか?」
「最上ちゃん、一応確認なんだけど、松田くんと付き合って4か月経ってるのよね?」
「は、はい。一応は」
「それで、少し前にキスしたの?」
「は……はい」

 正直に答えると佐藤と宮本はおそるおそる顔を見合わせた。その顔には、信じられない、と書いてあるような表情である。思い出したかのように佐藤が訊ねた。

「確かふたりってお互いに合鍵持ってるのよね?」
「はい。大学の時もそんな感じでしたし……付き合い始めてから一週間くらいで交換しました」

 よくバイト前にご飯を食べに来てたなあ、と懐かしいことを思い出している最上を他所に、宮本の顔は驚愕に固まりっぱなしだ。佐藤はおそるおそる質問を続ける。

「鍵持ってるってことは、お互いの家に行き来したりとか……」
「え、そりゃそうですよ。なんならたまにお泊り会とかしますし」
「お泊り会するのに何も無いの!?」

 宮本が勢いよくこちらに詰め寄った際にガタン!とテーブルが音をたてた。急に顔を近づけてきた彼女から少々離れるように身を引きながら、最上は不思議そうに答える。

「何もって……ゲームしたり映画見たりしますけど」
「そういうのを何もないって言うのよ」

 席に腰を下ろしながらはぁーとあからさまに盛大な溜息をつく宮本。佐藤も似たような表情をしている。状況を飲み込めていないのは最上ただひとりだ。ひそひそと声のボリュームを落としてふたりは言葉を交わす。

「まさかあの松田くんが、ねえ……」
「ええ、警視庁中がひっくり返るわよこれは……」
「……おふたりとも先ほどから何の話をしてるんですか?」

 あまりピンと来ていない様子の最上に、宮本は一瞬迷ったような表情を浮かべた後、神妙な面持ちで口を開いた。

「最上ちゃんは多分知らないと思うけど……松田くんって警視庁でめっっっっっちゃモテるのよ。最近は最上ちゃんがいるから収まってるけど」
「はあ」

 いきなり始まった的を射ない話に最上はぼんやりとした返事をすることしか出来ない。そんな最上を他所に宮本は話を続ける。

「しかも全然長続きしないのよ。来るもの拒まず、去るもの追わず……っていうのかしら。警視庁中の美女を次から次へととっかえひっかえって感じでね。最長3ヶ月、最短で2週間ってのも聞いたことがあるわ」

 宮本の言葉を最上はぽかんとした表情のまま聞いていた。美女をとっかえひっかえ……正直全然想像できない。人違いではないかと思うほど最上の中にある松田のイメージとかなりかけ離れていた。

 過去の記憶を引っ張り出してきてもそんな風に女性の入れ替わりが激しい方ではなかった、と思う。萩原と同じくらい告白されたりバレンタインのチョコレートを貰ったりしていたが、どれも面倒そうにしていた印象の方が強かった。
 というかまともに彼女を作っているところを見たことがない。萩原は多かれ少なかれそういった話が出ていたのにも関わらず、である。

 意外だなあ、なんて思っている最上を置いてけぼりにして、宮本は話を続けた。

「そんな松田くんが最上ちゃんと4か月も続いてる上に一切手を出してないなんて……並の精神力じゃないって驚いてたのよ」

 ――『手を出してない』
 その一言でようやくふたりが言わんとしていたことがようやくわかった。

 確かに松田と付き合い初めて4か月になるが、そういう行為に及んだことは一度もない。ふたりで泊まる時だって、夜もすがらゲームをしたり映画を見たり……そういう健全なことばかりだった。夜はソファで一緒に寝落ちしたこともあったし、ホラー映画を見た後にどうしてもひとりで寝られず同じベッドに寝てもらったりしたこともある。でもそういう雰囲気にはならなかった。一度も、である。今思い返せば不思議なくらいだ。
 この間キスをしたときは珍しく互いにほろ酔い状態だったが、した途端に互いに恥ずかしくなってすっかり酔いがさめてしまい、それどころではなくなったのだ。

「(……やっぱりそういうことをしたいと思ってるのかな、陣平くんも)」

 最上は内心考える。今までそんな素振りを見せなかったが、これまでの話を聞くに、一方的に我慢させてしまっていたんだろうか。だとしたらすごく申し訳ない気持ちになる。
 そんな最上を他所に、宮本はうーんと腕組みをしながら独り言のようにつぶやいた。

「本当に意外よねぇ……てっきりもうとっくにしてるものだと」
「まあまあ、最上さんたちにもペースってものがあるんだから」
「だって松田くんって聞いた噂だとすっごく手が早いって」
「コラ、由美」

 宮本の言葉を静かに窘める佐藤。そのやりとりを聞いていた最上はおずおずと尋ねた。

「こういうのって、やっぱりみんな早いものなんですか」
「早い人だと初めてのデートでーってのは聞いたことあるわね。もちろん個人差はあるとおもうけどさ」

 噂程度にだけど、と付け加えられる。最上はまるで海外の異文化を初めて見たような気分になった。
 自分の知らない松田の顔。それをすこし垣間見て新鮮な気持ちになるのと同時に、不安が顔を覗かせる。

 ……私に出来るだろうか。
 汚く醜い、この私に。

 最上は固い表情のまま、テーブルの下でぐっと手を握りしめた。



 ―――結局はハートの問題



 どうしたって問題は山積みなのだ。