言葉の代わりにキスを贈ろう
それから数日が経ち、最上と松田は共にソファに座って映画を見ていた。恒例となったお泊り会の開催である。
前回は最上の家での開催だったため、今回は松田の家で行われていた。至っていつも通りかと思いきや、テーブルの上にはふたり分の缶チューハイが乗っている。普段はあまり飲酒しない最上だったが、今日ばかりはそうもいかないようだった。
映画のエンドロール画面を見ながら欠伸をこぼす最上を横目に、松田は開いていた缶チューハイの残りを飲み干す。
「んじゃそろそろ寝るか」
空っぽになった缶がテーブルとぶつかって軽い音をたてる。テレビの電源を消して呑気に欠伸をしながら立ち上がり、寝室に行くためにこちらに背を向けた。最上はその隙を見逃さない。
「片付けは別に明日でも……――っ!」
音を立てずに立ち上がり、気付かれないように距離を詰める。
そしてそのまま、その背中に思い切り抱き着いた。
いわゆるバックハグというやつだ。こんなことを最上からするのは初めてだったためだろう。松田の動きがわかりやすく固まった。顔を見ずとも、彼が息を呑むのが手を取るようにわかる。
バクバクとうるさい心臓を落ち着けるように、ぎゅっと腕を回す力を強めて松田の背中に顔を埋める。そのせいで松田との体格差だとか体温だとか銘柄の違う煙草の匂いだとかを意識してしまって正直逆効果だったのは計算外だったようだが。
「確か陣平くんも休みだよね、……明日」
しばらくの沈黙の後、不意に最上が口を開く。遠回しな表現だったが、松田にはその言葉だけで伝わったみたいだった。後ろを振り返ることなく彼は言う。
「無理は、してねえか」
「……本当は、怖いよ」
最上の回答に思わず表情が硬くなる。なら無理してする必要もないじゃないか。そう言うために口を開いた時、最上の言葉が遮った。
「でも乗り越えたいって、思うから」
最上の声はわずかに震えている。吐く息は熱く、瞳にはうっすらと水の膜が張っていた。松田にまわした手に力がこもり、彼の着ていたルームウェアにくしゃりとしわを寄せる。だがそんなことを気にしている余裕は彼女にはない。なんとしても彼に伝えなくてはいけないのだ。自分の中にある不安や悩みを、自分自身の言葉で。
「色々考えたけど……やっぱり私は、これから一生あの人の記憶に囚われて生きていくなんて、嫌だ。だから、あの人を振り切るためにも、私はちゃんと向かい合わなきゃいけない。そう思ったの。陣平くんが気遣ってくれるのも嬉しいけど……目を背けて逃げてるばっかりじゃ、ダメだって、思う」
浮かんでくる言葉をそのまま口に出したせいで文章がほとんどまとまっていないように感じる。今日に至るまでにあれだけひとりで考えをまとめて来たというのに、彼の体温と心臓の音のせいでほとんど駄目になってしまった。きちんと彼に伝わっているだろうか。不安になるけれど、今は伝わっていると信じて、ただ懸命に自分の言葉で伝えるしかない。
「それにね。今なら、……陣平くんと一緒なら、大丈夫だって、思うんだ」
それは心からの言葉だった。
佐藤に相談を持ち掛けた時に言われた言葉が頭を過る。ひとりでは無理なことでも、ふたりなら。
松田は黙ったまま最上の言葉に耳を傾けている。最上は心臓が爆発してしまうのではないかと思うほど高鳴る鼓動をなんとか抑えながら必死に言葉を紡ぐ。
「その……私も頑張るから、だから、――!」
不意に言葉が途切れた。
こちらに振り返った松田が、己の口で最上の口を塞いだのだ。
突然のことに思わず身体が固まる。だが最上は彼に身を任せるようにそっと瞼を下ろした。振り返った際に離れた手は彼の服の裾辺りを軽くつかむことにする。薄く目を開いてそれを確認した松田は内心小さく笑った。
触れるだけのそれを何度も角度を変えて行う。ふたりの唇が触れる音だけが、静かな部屋の中で控えめに鳴っている。呼吸がしにくいのか、最上の呼吸が徐々に乱れていった。
しばらくしてそっと唇が離された。大きく息をしながら下ろしたままだった瞼を持ち上げると、松田と目が合った。ようやく見ることができたその表情は切羽詰まったような、余裕がなさそうな顔をしている。頬のあたりはほんのりと色づいており、それはきっとアルコールのせいだけじゃないのだろうと推測できた。
彼のそんな顔を見たのはほとんど初めてで、最上は思わず息を呑む。松田は囁くように、彼女に最後の問いかけをした。
「本当にいいんだな」
「うん」
「言ってくれれば多少善処するけど……多分、止めてやんねえぞ」
「……うん」
最上は恥ずかしそうに小さく頷く。
それを見た松田はどこか満足げに目を細めた。
―――言葉の代わりにキスを贈ろう
最上の答えを聞くや否や、松田はもう一度彼女の口を塞いだ。