夜の鈴の音お静かに

(本編7話と8話の間のお話)



 12月下旬某日。

「私……一体どうしたらいいんでしょうか」

 まるで迷える子羊を絵にかいたように不安げな表情をさせて、最上は言った。
 その目の前にいるのは、彼女の頼れる先輩である佐藤と友人である宮本。ふたりとも最上に『相談したいことがある』と言われてここ……客足が落ち着いた時間帯のポアロに呼び出されたのである。ふたりは一度目を見合わせ、きょとんとした表情を見せる。

「えっと……最上さん? 話が見えないのだけど」
「ああ、すみません。つい感情が先走ってしまいました」

 そっと佐藤が最上に尋ねれば、彼女はふと我に返ったようにいつも通りの表情になる。相変わらずのマイペースぶりだ。

「今日おふたりに声を掛けたのは、少しご相談したいことがあったからです」

 私ひとりではどうにもなりそうになくて。と小さな声で続ける。その様子を見て何かただならぬ気配を感じた佐藤は、神妙な面持ちで彼女にそっと声をかけた。

「相談って?」
「その……」

 だが最上はもじもじとするばかりで一向に本題に入ろうとしない。視線を下げてうろうろと彷徨わせ、膝の上に置いた指先まで落ち着かなさそうにそろそろと触れ合わせるように動かしている。そんな彼女を見て、宮本は閃いたように尋ねた。

「もしかして、松田くんのこと?」

 その言葉を聞いて、最上はびくりと肩を跳ねさせて固まってしまった。宮本は面白がるようにニヤリと口角を上げ、身を乗り出すように頬杖をつく。

「図星みたいね」
「……よく、わかりましたね」
「そりゃーわかるわよ。そんだけ恋する乙女―!みたいな顔させてればね」
「!」

 顔に出てる、と暗に言われ、最上は驚いたようにぱっと両手で頬に触れた。どうやら隠そうとしているらしい。宮本と佐藤は顔を見合わせて思わずくすりと笑う。

「それで? 松田くんがどうかしたのかしら?」
「まさか……あんまりうまく行ってないとか?」

 両頬に触れていた手を再び膝の上に戻すと、最上は意を決したように口を開いた。

「……最近、松兄が変なんです」
「変?」
「特にそんな風には見えなかったけど……」

 最上の言葉に、眉を寄せて考え込む佐藤。恐らく最近の松田の様子を思い出しているのだろう。宮本も同じような表情を浮かべている。

「おかしいってどんな風に?」
「えっと……」

 宮本に尋ねられ、最上は彼の様子を思い出していた。

「仕事中でも私のことを下の名前で呼ぶようになったり、よく家まで送ってくれるようになったり……何故かこっちの休みを把握してるみたいで、その度にどこか行こうって誘われたりとか……。今まで、そんなこと全然なかったのに」

 色々と思い出しながら戸惑いの表情を浮かべる最上。そんな彼女とは正反対に、宮本と佐藤はきょとんと目を丸くして首を傾げている。

「……最上さん、それのどこが変なの?」
「え?」
「どこからどう見ても、いつも通りの松田くんじゃない」
「いつも通りって……」

 ふたりの言葉に戸惑う最上。宮本が再度強調するように言葉を繰り返す。

「だから、最上ちゃんに対しての、いつもどーりの松田くんだって言ってるのよ」

 松田の最上に対する態度について、警視庁に在籍するものなら知らない者はいない。元々彼女に対しては柔らかい態度であったが、観覧車の一件以降は更に一層柔らかく……を通り越して、甘いものになっていたのだ。
 それを傍から見ていた刑事らは、おそらく"そういう"ことなのだろうとなんとなく察し、何も言わずにふたりのことを温かく見守っていたのである。「どうぞ末永くお幸せに」「式には呼んでくださいね」なんて思いながら。佐藤をはじめとする目暮班、彼らと親しい宮本もそのうちの一部だった。

「でも……私にはいつも通りには思えません」

 だが宮本の言葉に最上は未だに食い下がっている。どうにも納得がいっていないようだ。
 少し頬を染めながらぼそりと、ひとりごとじみた言葉をつぶやく。

「だってあんな、恋人みたいな扱い……」

 ――その言葉を聞いて、思わずふたりはぴしりと固まった。

「……恋人、"みたいな"?」
「おふたりとも、どうかしました?」

 状況を察せていない様子の最上はきょとりとした顔でふたりを見やる。対するふたりはといえば未だに固まったままだ。おそるおそる、佐藤が口を開く。

「その……最上さん」
「はい」
「あなた、松田くんと付き合ってるんじゃ……」
「私が、松兄と? そんなわけないじゃないですか。松兄はただの幼馴染です」

 刹那、ふたりの背後に衝撃の稲妻が落ちた。

「「嘘でしょ!?」」

 がたりと立ち上がり、大声で身を乗り出すふたり。最上は驚いたようにまばたきを繰り返した。

「え、おふたりは、私と松兄が付き合っていると……?」
「あんな雰囲気出されて付き合ってないって方がおかしいわよ!」
「そ……そんなに」

 戸惑う最上の様子を見て、佐藤と宮本はため息をつきながら腰を下ろした。

「まさか、ふたりが付き合ってないとはね……」
「てっきり観覧車の一件で一気に仲が進展して、くっついたのかと思ってたのに」
「……なんかすみません」

 最上は申し訳なさそうに眉を下げる。

「でもこれで分かっちゃった。最上ちゃんが私たちに本当に相談したいこと」

 宮本はフッと口元に笑みを浮かべて言う。

「松田くんにどうやって告白したらいいか、アドバイスを貰おうと思ったんでしょ?」
「こっ! こくはく、なんて、そんな……違いますよ」

 途端に声を上ずらせ、顔を真っ赤に染め上げる最上。

「あら、違うの?」
「私はただ、松兄の態度について、どう対処したらいいかおふたりに相談したかっただけで……」
「いいのよそんな言い訳なんて!」

 たどたどしく言葉を並べるが、ふたりには一切通用しない。最上が言っているのは本当のことなのだが、ここまで来ればふたりにはただの言い訳にしか聞こえないようだ。
 最上の赤く染まった顔を見て、佐藤は嬉しそうに笑った。また彼女の違った一面を知ることができて嬉しいらしい。対する宮本は何かを企むような、面白がるような笑みを一層深めていた。

「で、最上さんはどうなの?」
「へ?」
「松田くんのこと、どう思ってるの?」

 優しく微笑んで佐藤は言う。辺りにはいつの間にか、恋バナ特有のほのぼのとした雰囲気が漂っていた。

「自分の気持ちには素直になっちゃった方がいいと思うけどなー?」
「……自分の、気持ちに……」

 宮本の言葉を聞いて、視線を伏せる最上。その表情も相まって、彼女の姿は普段よりうんと幼く可愛らしく見えた。

「……私、お恥ずかしながら、きちんとした恋愛経験を積んだことが、なくて」

 恥ずかしさからか、最上は視線を下げたままふたりの顔を見ずに言う。所々つっかえながらも一生懸命に、自身の心の辛うじて言語化できそうな部分をそのまま吐き出していく。

「その、私自身これが……どういう感情なのかも、よく、わからなくて……すみません」

 反応が無いふたりの様子を窺おうと、最上がそっと視線を上げると、ふたりはとろけそうなほどほやほやとした笑顔を浮かべて最上の様子を見ていた。

「甘酸っぱいわね〜!」
「やっぱり、恋する乙女っていいわ〜 可愛いわ〜」

 微笑ましく最上に視線を投げかけるふたり。対する彼女はといえば、ますます顔を赤くして固まってしまった。今にも湯気を吹き出しそうなほどのゆでダコ状態である。

「よし、こうなったら最上ちゃんに協力してあげるわ! ふたりのことは前から応援してたし!」

 決心したように宮本は言う。その瞳はどこかお節介で世話焼きな親戚のおばさんのように輝いていたが……最上はあえて口にするのを止めた。

「別に、そこまでしていただかなくても」
「無理よ最上さん。由美に恋愛の相談をした時点でこうなるのは仕方ないことなのよ……」

 ちょっと困ったように佐藤は笑う。

「でもね、最上さんのことをちゃんと考えてるってことは本当だから、そこはわかってあげて?」
「はい。それはわかってます。大丈夫ですよ」

 最上は佐藤の方を見て小さく笑った。

「私も精一杯協力するわ。何か困ったことがあったら言ってね?」
「そんな、佐藤さんまで」

 謙遜するように最上は眉を下げて笑う。
 すると、音もなく最上の携帯が静かに震えた。どうやらメールのようだ。二つ折りのそれを鞄から取り出し、送り主を確認したところで最上は小さく息を飲んだ。その様子を見て佐藤は彼女に尋ねる。

「メール?」
「はい。その……松兄から」
「松田くんからメール!?」

 その一言を聞いて宮本は目を輝かせた。

「よ、要件は?」
「えっと……」

 佐藤に尋ねられた最上は少し恥ずかしそうに、おずおずと携帯をふたりに差し出した。

 ――『24日19時、米花駅で待ってる』

「こ、これは! デートのお誘いじゃない!! 松田くんもやるわね〜」
「しかも24日の夜ってことは……クリスマスイブ! デートするにはピッタリね!」

 人一倍興奮した様子の宮本と佐藤がきゃあきゃあと声を荒げる。最上は表示された文面を何度も読み返して、俯きながら顔を赤らめてしまった。

「もう、こうしちゃいられないわ! 今から対策を練るわよ!」
「い、今からですか?」

 それは流石に早すぎやしないかと戸惑う最上を他所に、宮本は「そんなことはいいのよ!」と聞く耳を持とうとしない。

 なんだか大変なことになってしまったな、と最上は困ったように笑った。



 ―――夜の鈴の音お静かに



 もうひとつの運命の日は、もうすぐそこに。