1 最善策のはずだった
開けた窓から海鳥のさえずりと波の音が聞こえる。爽やかな潮風がふわりと優しくカーテンを揺らした。
静かな朝は好きだ。頭がすっきりとさえわたって、何もかも見通せる気持ちになる。
作業室と兼ねている自室でひとり、さらさらと書類にペンを走らせる。愛用の万年筆はこの間手入れをしたばかりだからか、とてもインクの出がいい。船大工チームから貰った予算書に不備が無い事を確かめてから確認のサインをして書類を脇に置く。もうそろそろ片付きそうだなと思いながら次の書類を手に取った。それを見て、快調に走っていた私のペンはぴたりと止まってしまう。
「……またか」
私は眉間にしわを寄せながら盛大に舌打ちした。
***
どうせここなんだろうと大股で食堂に向かう。……いた。
目的の人物――エースさんは食堂の一室で船員たちとゲラゲラ下品に笑いながら、ありえない量の朝食を摂っている。私は怒りを押し殺し、背後から気配を消して近づき、その癖の強い後頭部に思い切りチョップをかました。もちろん武装色の覇気付きで。私の覇気はそこまで強いものではないけれど、不意打ちということもあってか充分効果はあったみたいだ。
蛙の潰れたような声を出したかと思うと、ガタガタと騒がしく立ち上がりながらこちらを振り返る。
「何すんだてめえ!!」
「何すんだとはこちらのセリフです。なんですかこの報告書は」
ぺらりと見せたのは白紙の報告書。それを見るなりエースさんはゲ、とバツの悪そうな顔をした。先ほどまで怒りで赤くなっていた顔がわずかに青くなったのを私は見逃さず、ここぞとばかりに畳み掛ける。
「前回も言ったはずでしょう。報告書は今後の航海に使用する重要なデータになるから丁寧に書くようにと。なのに貴方と来たらなんですか? 鍛えすぎてついにその頭まで筋肉になってしまったんですか?」
「たまたまだよ、たまたま! この間の島は親父のナワバリだったから平和で書くことがねえんだよ!」
ぎゃん!とエースさんも負けじと吠える。だけどそんなの私からしてみればただの言い訳に過ぎない。冷ややかな目線を突き付けながら彼を追いつめていく。
「ほう、書くことがないから書けなかったと。ですが他の隊長の皆さんは少なくとも報告書を一枚埋めるくらいの文字量は書かれていますよ」
「そ、それは」
私の言葉が正論すぎたのか、エースさんがわかりやすくたじろぐ。周りはといえば、遠巻きに見ているどころか面白がってヤジまで飛ばしていた。すっかり恒例となってしまっているせいか、ショー気分のようだ。周りからの視線が気に食わない私はラストスパートをかけることにする。腕を組み、彼を正面から睨みつけた。
「他の隊長の皆さんはクリアできることを、貴方はクリアできないんですね。それでも隊長ですか? 天下の白ひげ海賊団の隊長ともあらせられる方がまさか、『入ったばかりだからできない』なんて言い訳をしたりなんてしませんよね? というかあなたはもう3ヶ月近くは隊長をやっているんですし……。もし自信がないならいっそのこと、誰か他の方と変わられた方がよろしいのでは?」
「だああああ! わかった! わかったっての! やり直せばいいんだろやり直せば!!」
追いつめられたエースさんがやけくそ気味に私から報告書をひったくった。それを見て私の勝利だと捉えたらしいギャラリーが「今日も勝ったな!」「流石シナツだぜ!」「エース隊長、ドンマイ!」と騒ぎ立てている。まったく、見世物じゃないってのに。私は小さくため息をついた。不満そうなエースさんが眉間にしわを寄せながらこちらをじろりと見る。
「……いちいちうるせェんだよ」
「貴方がきちんと書きさえすれば私は何も言いませんよ」
「チッ」
「期限は今夜0時までですから、遅れないように」
そう告げた私をエースさんは不機嫌そうに顔を反らし、ガタガタと騒がしく席に座り直して食事を再開し始めた。彼の方が背が高いはずなのに、こういう時は彼が小さく見えるから不思議な気分だ。さて用事は済んだし、自室へ帰ろう。囃し立てる周りの連中を無視してくるりと踵を返そうとしたところで、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「相変わらず手厳しいねぃ、シナツ」
「マルコ隊長」
そこに立っていたのは1番隊隊長で私の上司のマルコ隊長だった。寝起きなのか眠そうにあくびを零しているし、心なしかいつもよりもその御髪が逆立っている。
「おはようございます隊長」
「おはよう。ちょっと朝の連絡も兼ねて一緒に食わねえか?」
連絡も兼ねてと言われてしまえば断る理由もない。私は静かに了承した。
ちょうど空いたテーブル席にふたりで腰かける。今日の朝食はワノ国を意識したメニューらしい。つやつやの白米、具だくさんの味噌汁、香ばしい匂いの焼き鮭、黄金色の卵焼き、生野菜のサラダ、焼き海苔、納豆まである。年がら年中動物性たんぱく質を欲しているような脳みそ筋肉馬鹿は物足りないかもしれないが、私からしてみれば十分だ。いただきますと手を合わせて早速箸を手に取っる。出汁のきいた卵焼きに舌鼓を打っていると、早速マルコ隊長が話しかけてきた。
「進捗はどんなところだ?」
「船大工の皆さんからの予算申請書は先ほど確認しました。それから各隊ごとの予算配分書の第一稿が出来ましたので、後程一緒に確認いただければと」
「ほう、相変わらず仕事が早くて助かるよい」
「いえ……それと親父様への報告書、少し遅れそうです」
「エースか」
「はい」
不機嫌そうに即答した私を見て、マルコ隊長はくつくつと笑った。
「毎度あいつもよくやるなあ」
「いい加減学習して欲しいです」
ため息交じりに味噌汁に口を付けた。
――白ひげ海賊団一番隊隊長補佐。それが私の肩書だ。
だが私は戦闘員ではなく、主に経理・事務系統の仕事をしている。
元々戦闘員に関しては男性限定であり、それに加えて船員が皆事務作業や計算に疎いものばかりであったため抜擢され、それから長い間ずっとこの役職だ。この仕事に関しては右に出るものがいないほどの大ベテランである。白ひげ海賊団を陰で支えている経理係、といっても過言ではないほどだと親父様にもよくお褒め頂いている。
そんな私の頭を悩ませるのが、1年ほど前にこの船に乗り込み、あれよあれよと頭角を現しついに2番隊の隊長にまで上り詰めた男。ポートガス・D・エースだ。彼はいかにも海賊らしい海賊で事務作業とは無縁で生きてきたため、よく口論になってしまう。その頻度があまりにも高くて最近はすっかり恒例行事と化してしまっていた。まあそれもすべて言われたとおりのことをやらない彼が悪いのだけれど。
「長男としては、末っ子二人にはもうちっと仲良くしてもらいたいもんだが……ま、今も楽しいから別にいいよい」
「楽しまないでください」
むす、と不機嫌さを隠すことなく私は言う。
「知ってるでしょう。彼も癇に障りますが、そもそも私は炎が嫌いなんです」
もぐもぐと鮭を咀嚼しながら私は続ける。
「それに年齢上では彼と同じですが、私の方が長く船に乗ってますから姉みたいなものでしょう」
「まあ、そうとも言えるな」
「そうとも言えるんじゃなくて実際そうなんです」
「そういうのにこだわっているうちはまだまだガキに変わりねえよい」
む。それもそうな気がする。それが表情に出ていたのか、マルコ隊長はまたくつくつと笑った。
朝食を摂り終えて食堂を後にする。今日は隊長会議の資料作成と医療班からの申請書の確認、それに加えてエースさんの報告書の直しが終わり次第、各隊への資金配分も作らなくてはならない。仕事はいつだって山積みだ。頑張らなくては。私は静かに気合を入れ直した。
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