2 嫌悪の瞳

「あ˝ー……」

 ため息交じりに口から漏れ出た言葉は、若い娘から発せられたとは思えないほど酷くかすれていた。
 昨日から立て続いていた仕事をようやく片付けた私の疲れ切った目を、窓から差し込んだ朝日が容赦なく攻撃してくる。すっかり夜が明けてしまった。「徹夜は若いうちの特権だが、やりすぎはよくねェぞ」と先日マルコ隊長に注意されたばかりなのに。……まあどれもこれも、仕事を増やしたあの男のせいなんだけど。考えたらイライラしてきた。やめよう。

「眠い……けど、お腹空いたな……」

 一刻も早くベッドで横になってしまいたかったが、それよりも空っぽの胃に物を入れたい気分だった。ちらりと時刻を確認すると、ちょうど朝食には少し早いくらいの時間帯。もしあるならスープとかもらおうかな……。

 きっとこの時間帯ならまだ"彼"も居ないだろう。
 そう思いながら私は食堂に向かうために、のろりと椅子から立ち上がった。


***


「(いるし……)」

 食堂に足を踏み入れたところで私は思わず頭を抱えた。

 視線の先にいるのは、徹夜の原因を作った男……エースさんだ。今日も今日とてテーブルに山盛りになった料理をものすごい勢いでバクバクと食べている。見ているだけで胸やけがしてきそうだった。同じテーブルにいる部下だと思われる隊員たちと大声で話しながら、時々料理に顔から突っ伏して眠っては起きるを繰り返している。……もうひとつため息が零れた。
 そうだ、そういえば2番隊は不寝番担当だった。ならいつもより早いこの時間帯にいてもおかしくないか。そんなことがすっかり頭から抜けているとは……自分でも思っている以上に頭が働いていないらしい。

 また時間を改めようと思ったが、そこで腹の虫が控えめに鳴いたのが耳に入る。仕方ない。普段よりも人は少ないが料理に夢中な今なら、少し遠回りしながら黙って行けば気づかれないだろう。私は観念して食堂の奥……食事を受け取るカウンターを目指す。
 するとあろうことか、エースさんの正面に座っていた隊員が私の存在に気づいてしまった。

「お、シナツじゃねえか」

 朝飯かー?と呑気に笑う。まさか声を掛けられるとは思ってもいなかった私は曖昧に笑って受け流し、さっさと通り過ぎようとした。
 ……だが、物事はそう上手く運ばない。

「うわ、酷ェ顔だな。そんなんで大丈夫かよ」

 もしゃもしゃと口を動かしながら呆れ気味にこちらを振り返るエースさん。
 ……普段ならこのくらいさらりと流すが、徹夜明けの今日はそうはいかなかったようだ。ブチッっと、イライラのピークに達する音が脳内に響く。あっと思った頃には足を止め、ぼそりと本音が口から零れ落ちていた。

「……元凶が口を開くな」
「あ? なんだよ、こっちは心配してやってんだぞ」
「心配してやってる? よくもまあそんな上からものが言えますね」

 はぁーあ、とあからさまにため息をつく。それを見てエースさんの眉間に皺が寄った。がたりと立ち上がったかと思えばエースさんがこちらに近づいてくる。私は腕を組んで言葉を続けた。

「元はと言えば、あなたの書類の直しをしていたせいで睡眠不足なんですよ。いい加減以前に言われたことはきちんと覚えていて欲しいものですね」
「ああ!? おれだってちゃんとやってるだろ! お前に言われた通りに!」
「出来てないから言ってるんですよ。何度同じことを指摘したか、だんだん数えるのも阿保らしくなってきたくらいです。誤字もかなり多いし。ほんっとに戦闘のこと以外は三歩歩いたら忘れる鳥頭なんですねあなたは」
「誰が鳥頭だ! 誰が!」
「あら、ご自覚されてなかったんですねぇ。よかったじゃないですか、これでまた賢くなれましたよ。あ、これもまた忘れちゃいますから無意味ですね」

 売り言葉に買い言葉でヒートアップしていく不毛な会話。騒ぎを聞きつけたのか、静かな食堂にはいつの間にかギャラリーが増えていた。わいわいガヤガヤと騒ぎながらいつものように私たちの口喧嘩を見守っている。
 見世物になるのは御免だと、そろそろ切り上げようとしたところでエースさんがめんどくさそうに後頭部を掻く。

「ったく……毎度毎度うるせェんだよ。ナースたちみてェな色気もねェくせに」

 目を逸らしながらつぶやかれたその言葉を、私は聞き逃しはしない。
 ……この男は地雷探知機か何かか?

「……」

 ゆらり。私の少し伸びた色の無い横髪のひと房が揺らめく。
 ――そして次の瞬間、彼の胸の中心から一筋の炎がぷし!と飛び出した。

「!!」

 突然の出来事に、周りの隊員たちも息を呑む。仕方ない、何せこんなことをしたのはこれが初めてだったのだから。
 思わずたじろぐエースさんは、驚いたように胸から噴き出した炎を見つめていたかと思うと、それが収まるなりすごい勢いでこちらを睨みつけた。

「今の……ッお前、能力者だったのかよ!」
「そうですよ。まあ詳細を教える気はありませんが」

 私はわざと煽るようにエースさんを焚きつける。なおも私の髪はゆらゆらと揺らめいていた。じろりと無駄に高い位置にある彼の顔を睨むように見上げる。

「こう見えて戦闘にはそこそこ自信がある方なんです。なんなら試しますか? 喧嘩なら買いますよ」
「上等だァ! 腕っぷしならお前に負けねェよ……甲板出ろ!!」

 やっと自分の土壌に持っていけるとでも思ったのか、エースさんが声を荒げる。戦闘は久しぶりだが、生憎負ける気もない。ちょうどいい機会だ。長年経理係をやっているが、私だって白ひげ海賊団の一員なんだってところを、新入りの彼に見せつけてやる。
 早速連れだって甲板に移動しようとした、その時。

「はーいそこまで!」

 ――ばこん!

「ぶっ!」
「ぐっ」

 頭部に鈍い痛みが走る。
 あまりの痛さに思わず涙目になりつつ頭を抑えながら声のした方を見ると、いつの間にやら近くにサッチ隊長が立っていた。その手には銀色の丸いお盆。恐らくそれで私たちを殴ったのだろう。いいところで止められたエースさんがサッチ隊長に噛みついた。

「何すんだよサッチ!」
「何すんだよ、じゃねえよ。流石にヒートアップしすぎだお前ら。朝飯の邪魔なんだよ」

 全くもってド正論だ。今の一言で頭が冷えたのか、流石のエースさんもぐうの音も出ないらしい。しっしと周りのギャラリーを追い払いつつ、はぁと呆れたようにため息をつきながらサッチ隊長は言う。

「ったく……ずっとお前らの喧嘩聞いてたけどよ、元はと言えばエースが書類ちゃんとしねえのが悪いんじゃねェか」
「なっ! サッチはこいつの味方なのかよ!」
「当然でしょう。どう見ても割合的に悪いのは貴方の方です」
「こらこら、そういうシナツちゃんも言いすぎだ。こいつ単純だから焚きつけたら焚きつけた分だけヒートアップすんだよ。わかるだろ?」
「……」

 サッチ隊長の言い分に、私は思わず押し黙る。そうしていると少しだけ冷静になってきた。それを感じ取ったのか、サッチ隊長が諭すように言う。

「ほーら仲直りだ。ふたりとも、ごめんなさいは?」
「死んでも言いません」
「意地でも言わねェよ」
「お前らなあ……」

 やれやれと呆れたようにサッチ隊長はまたため息をついた。残念ながら、何と言われようと私は彼を許すわけにはいかない。腕を組み、エースさんを睨みつけながら言う。

「大体、関係ない体型のことを持ち出したのは論点のすり替えでしょう。その点は完全にあなたに火があると私は思いますが」
「うーわエースお前……女の子の体型からかうのは無いわ。デリカシーってモンを学んでこい」

 流石にそれにはフォローする余地もなかったのか、サッチ隊長が引いたような顔をする。やはり女性に優しい隊長はこの件に関してはこちら側についてくれるようだ。それを見たエースさんは、悪びれもなく言ってのける。

「は? 事実を言って何が悪いんだよ」
「あ˝?」
「なんだよ、やんのか?」
「もーお前らやめろって!」
「朝から元気だねぃお前たち……」

 再び取っ組み合いの喧嘩に発展しそうになったところで、ふぁぁとマルコ隊長があくびをしながらやってきた。私は気持ちを切り替え、ぴしりと隊長に挨拶をする。それを見たエースさんが怪訝そうな顔をしながらつぶやいた。

「おれの時と態度違いすぎじゃねェか」
「当たり前でしょう。マルコ隊長は私の上司なんですから、敬うのは当然です」
「おれだって隊長だぞ、敬えよ」
「敬われると思ってたんですか?」
「んだとコラ」

 喧嘩売ってんのか!?と青筋を立てるエースさんを引き留めるサッチ隊長。私がふいっと顔を逸らすと、マルコ隊長がしみじみと言った。

「おまえら末っ子は本当に仲良しだねぃ」
「「仲良く(ねえよ)(ありません)」」
「おお、息ぴったり」

 わははと笑うマルコ隊長。笑い事じゃないんだけどな。

「私の嫌いな炎そのものの彼に、暑苦しさと馬鹿まで付随してるんですよ? 嫌い以外の何者でもないでしょう」
「はっ、おれもお前みたいな愛嬌も胸も無ェ女はまっぴらごめんだよ」
「まだ言うか」

 ゆらりと髪が揺れるのがわかる。それを見たマルコ隊長が「埒が明かねェよい」と呆れ気味に頬を掻いた。するとサッチ隊長がなだめるように言う。

「どうどうシナツちゃん。にしてもすげークマだな。寝不足なんだろ?」
「……」

 黙りこんだ私に、サッチ隊長が「やっぱりな」と笑う。

「だからそうカッカしちまうんだ。早く寝たほうがいい」
「……そうします」

 素直にそう言った私に、サッチ隊長はよしよしと満足げに微笑んだ。食堂に来た本来の目的である消化によさそうなスープをリクエストすると、まっかせなさい!と得意げに言う。ちょうどメニューにあるからおいでと誘われたので、私は素直にサッチ隊長の後についていくことにした。

「それでは、私はこれで失礼します」

 ペコリとマルコ隊長に挨拶をする。やっとエースさんから離れられる、と思ったところで、マルコ隊長が思わぬ爆弾を投下した。

「そうだシナツ、お前明日から2番隊隊長補佐な」

 ……今なんて??
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