5 これは今日のラッキーアイテム
くあ、と欠伸をしながらモビーディック号の廊下を歩く。今日はおれが隊長をつとめる2番隊が不寝番で、そのせいでかなりの眠気に襲われていた。本来ならそのまま食堂で飯を食ってから昼まで寝るところだが、今日はシナツに話があると事前に言われていたためそういうわけにもいかない。面倒だなー、クソ。そんなことを思いながらガシガシと頭を掻く。
「逃げてもいいけど、あとが面倒だからなー……」
おれと話す時はいつも不機嫌そうなシナツの顔を思い出しながらひとりごちていると、不意に聞き馴染みのある声が聞こえた。
「よおエース隊長、酷くげっそりしてんじゃねェか」
「ティーチ」
話しかけてきたのは2番隊の部下であるティーチだった。いつものようにゲラゲラと下品に笑っており、その手には食べかけのチェリーパイを持っている。口元にもそのかけらがついていることから、行儀悪く歩きながらそれを食べていたんだろう。ま、行儀がどうのなんてこの海賊船で言ってたらキリ無いけどな。おれはこれ幸いにと捜し人について尋ねてみることにする。
「ちょうどよかった。シナツ見なかったか?」
「いんや、おれは見てねェが……シナツ探してんのか?」
「そうなんだよ。あいつが呼び出した癖にどこにも居ねえんだ。だからさっさと終わらせようと思って探してんだよ」
話しながら歩いていると、廊下を曲がった向こうからなにやら罵る声が聞こえた。ティーチと目を合わせ、そっと足音を殺して近づき壁に隠れるようにして状況を確認する。その状況におれは思わず目を丸くした。
「(シナツ……?)」
そこには探しているはずのシナツがいた。その周りには3人の船員たちが取り囲むように立っている。2番隊だけじゃなく、他の隊に所属しているやつらもいるようだった。俺たちはそのままそっと聞き耳を立て、様子を見守ることにする。
「おい女ァ、なんでこの船にいる。観光船と勘違いしてんならさっさと降りたほうがいいぜ」
「女のくせに、2番隊隊長補佐なんて相応しくねェんだよ」
「そうだ。あのエース隊長の補佐がお前なんかに務まるかよ」
ある者は苛立ち、ある者は嘲笑い、ある者は怒り……それぞれがそれぞれの表情を、感情を、シナツに向けている。対するシナツはいつものように涼しげな無表情で、何を考えているのかこちらから読み取ることが出来ない。
「あいつら……」
おれの見えないところコソコソこんなことをやるとは、なんて陰湿なやつらだ。文句を言うにしても海賊なら海賊らしく、もっと堂々とぶつかればいいのに。そんなことを思っていると、シナツがようやく口を開いた。
「私だってやりたくてやってるんじゃありませんよ。なんなら変わりますか?」
「え?」
ぽかんと、3人の表情が間抜けなものになる。まさか当の本人からそんなことを言われるとは思っていなかったんだろう。現におれも似たような表情をしていた。
「彼は面倒な男ですよ。一度聞いたことでも3歩歩くと忘れるし、字は雑で読みにくいし、戦闘の事しか頭に無いし、すぐ寝るし、……」
あれやこれやと指折り数えながらつらつらとおれの悪口を上げ連ねるシナツ。ますます3人の表情が曇っていくのに反して、おれの怒りは増していった。隣にいたティーチは必死に笑いを堪えているが、若干堪えきれていない。ぶふ、と息が漏れるような音がする。
散々おれを馬鹿にしたところで、「でも、」とシナツは言葉を切った。
「そんな男の補佐が務まるのなんてこの船には少ないでしょうね。譲りたい気持ちは山々ですが……ま、少なくとも入ったばかりのあなたには難しいかと」
「ッテメエ!! 黙って聞いてりゃいい気になりやがって……!」
不意打ちで馬鹿にされ、3人のうちのひとりがシナツの胸倉を掴みかかった。あいつら、女相手に……! 流石にそれは見過ごせないと止めに入ろうとしたところで、肩にティーチの手が置かれる。
「おいティーチ、放せって。助けてやらねェと……!」
「まあ黙って見てな、エース隊長」
ティーチはにやりと口元に笑みを浮かべながら言った。やきもきするおれを他所に、男が大きく右腕を振りかぶって殴りかかる。まずい、やられる。そう思った……のだが。
――男の右手はシナツを捉えること無く虚しく空を切った。
「え?」
唖然とした表情の男がつぶやく。本来ならば男の拳が撃ち込まれているであろうシナツの顔はゆらゆらと……まるで波打つ水面のように揺れている。そのありえない光景に、胸倉を掴んでいた手を放しながら男は言った。
「お前……その身体……!」
そして次の瞬間、3人は一瞬顔をこわばらせたのちに喉を抑え、その場に倒れ込み苦しみ始めた。のたうちまわる男たちを見下しながら、シナツは言う。
「言ったでしょう。あなたには難しいと」
見れば左髪のひと房の先が揺らめいて透明になっていた。男達が苦しみの間際に許しを請うた瞬間、それは元に戻る。涙目で呼吸する男たちは慌てて立ち上がり、悔しそうに顔を歪めて去っていった。その情けない後ろ姿を見ながらシナツは面倒そうにため息をついた。くるりと振り返り、そこでおれと目が合う。もう一度ため息を吐いた。
「……見てたんですか」
「おう! 見事だったぜェシナツ」
「別に見ていて楽しいものでも無かったでしょうに」
ティーチは陽気にゲラゲラと笑う。だがおれはそれどころじゃなかった。確かに事前に能力者だとは聞いていたけど、だけど……。
「お前、おれと同じロギア系だったのかよ!」
「なんだよエース隊長、やっぱり知らなかったんだなァ!」
ティーチはそう言って実の詳細を説明してくれた。シナツはエアエアの実を食べた空気人間。自身の身体を空気にすることができ、温度や湿度、成分濃度、気圧も操れるのだ。それを聞いて、おれの中で色々なことが繋がっていく。前にあった食堂で胸から炎が噴き出したアレもそういうことだったのか。……にしても。
「炎が嫌いってそういうことか……」
「ええ。そういうことです」
やれやれとシナツは顔周りの髪をかき上げ耳にかける仕草をする。
「相性がいいという観点もまあ、わからなくはないんですが……」
そこまで言ったところで何かを想像したのか、むすっと不機嫌そうに眉を寄せた。
「普通に嫌なんです。燃やされるの」
痛いし熱いし、と小さな声で付け加えた。ま、それは確かに嫌になるのもわからなくはないか。そんなことを考えていると、さっきの船員たちとのやり取りが頭をよぎる。
「ああいうことって結構あるのか?」
「ああいう?」
「その……絡まれたりとか」
「割とありますよ。最近は減ってきましたけど。かなり上の位置に戦闘員でもない私がいるのが気に食わないんでしょうね」
シナツはため息交じりに言った。その顔はどこか寂しそうな、仕方ないと諦めたようなもので。それになんだか胸がざわついて、そのまま放っておけなくて、おれは不思議と口に出していた。
「今度こんなことがあったらおれに言え。返り討ちにしてやる」
「? あなたに言う必要性が感じられないのですが」
「なんでもだ!」
思わず声を荒げると、シナツは驚いたような顔をしてこちらを見ていた。そのすべてを見透かす青い目から逃げるように、そろーっと視線を逸らす。
「隊長補佐のお前がそんな目に合うんじゃ、おれも気分が悪いだろ」
「はあ……」
「いいか!? これは隊長命令だ!! わかったな! 絶対言えよ!」
「面倒ですが、命令なら仕方ありませんね」
やれやれとばかりにシナツは言った。ニヤニヤするティーチが何か言う前にこの話題を終わらせるべく、「それで?」と慌てて口を開く。
「おれに用ってなんだよ」
「ああそうでした。次の島での隊ごとの役割分担表が来てたので早めに確認お願いしますね」
また書類仕事かよ、と思いつつもおれは口に出さなかった。
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