4 誰もが一番かわいいのは自分
私の2番隊隊長補佐への異動の話は瞬く間にモビーディック号中に広がった。それもそうだろう、私が2番隊隊長補佐になるいうことはつまり、あれだけ毎日喧嘩していた末っ子ふたりが同じ隊の上司と部下になったということなのだから。
「話題がつきねえなァ、あいつら」
「さて、一体何日持つかね」
私が通るたびにニヤニヤと他の隊員たちが笑うのが嫌でも目の端に入る。中には何日もつかどうかで賭け事をしている人もいるらしい。呆れた。私たちのことを一体なんだと思ってるんだか。直接ガツンと言ってもいいのだけど、無駄な騒ぎを起こしたくないのも事実。だから私は素知らぬふりをしていた。
私はただ与えられた仕事をこなすだけだ、と。何度も自分に言い聞かせながら。
***
モビーディック号内、図書室。
海賊にあるまじき真面目な隊員か、もしくは書類作成に追われる航海士チームくらいしか立ち寄らない、そんな人気の少ない場所で私とエースさんは顔を突き合わせて書類の直し作業に取り組んでいた。
……だがしかしまあ、私たちが顔を合わせて素直に作業が進むはずもなく。
「だからそこは書くことが違いますって、何度言ったらわかるんですか」
「おれはちゃんとやってんだろ! お前の方こそ話すの下手なんじゃねえの?」
「私は手とり足取り懇切丁寧に教えていますよ。あなたの呑み込みの悪さが壊滅的なだけです」
「んだと?!」
……とまあこんな具合に、言い合いばかりで埒が明かない状況に陥っていた。
先に言っておくが、別に私は喧嘩がしたくてわざとこういう言い方をしているのではない。ただ素直に思ったことを口にしているだけだ。それでこうなってしまうのだから、私たちはよっぽど反りが合わないのだろう。まったく、これのどこが相性抜群なんだよマルコ隊長め……。
でもこのままじゃ正直埒が明かないのも事実だった。この人の書類作成にこれ以上時間を割くわけにはいかないし。正直もう十分すぎるくらいかけてしまってるけど。
……仕方ない、最終手段を使うとしよう。大げさにため息をつきつつ、私はしびれを切らしたようにひとつの提案をした。
「わかりました。やり方を変えましょう」
「やり方?」
「まず私が手本を見せます。それを参考にすれば、少しはその空っぽの頭に入るでしょう」
「やり方変えんのは賛成だけどよ、いちいちひとこと多いんだよなお前」
じろりとこちらを睨みながらエースさんは言う。私はそれをしれっと受け流して、早速この間提出し直させた白紙の報告書を手に取った。愛用の万年筆をくるりと回して、書かなければならない文量をざっと計算する。その文量をクリアするためにどのような情報を仕入れるべきか、私の頭には大体の見当がついていた。
「私が質問をしますからそれに答えてください」
「おう」
今回の報告書は訪れた島の情勢に関する報告書だ。そのため、その島での発見や気付いた点などをエースさんへ質問していく。聞かれるままに話すエースさんの回答をそれらしく報告書の形式に合うように言い回しを変えたりすれば、ものの十数分で白紙の報告書はあらかた文字で埋まってしまった。再び万年筆をくるりと回し、目の前の彼にびしりと報告書を突き付ける。
「ほら。書くことあるでしょう」
「すげーなお前……」
ずらりと埋まった報告書を見たエースさんは感心したように目を丸くて、しげしげと眺める。その瞳は純粋な輝きを放っていた。
「こんなに上手いんなら最初からお前が書けばよかったのに」
「あなたねぇ……私の仕事の負担も考えてくださいよ」
あまりにも図々しい物言いに、私はやれやれと溜息をついた。万年筆のキャップを閉めながら強く言い聞かせる。
「今回は特別です。私が書いたこれを参考にして、次回からはきちんと自分で書いてください」
「なんだよケチ」
「ケチじゃない」
チッと頬杖をつきながら舌打ちをするエースさん。その顔はわかりやすく不満が目いっぱい貼り付けられていた。よっぽど書類仕事が嫌いなんだろう。だけど嫌いだからといって逃げられるわけではないのだ。彼の態度をさらりと流して、私は次の書類を手にする。
「さ、まだ仕事は終わりませんよ」
「うげ、まだあんのかよー……」
「恨むなら今まで溜めていた自分を恨むんですね」
ようやく報告書が片付いたところで、各隊長が確認してサインをしなければならない書類の処理を始める。活字が苦手らしい彼に代わって内容を簡単に要約して伝え、その返答を元に直筆のサインを書かせるという作業だ。エースさんはサインをするだけだから単純作業だが、その実私の負担はとんでもない。ま、今はとにかくこの書類の山を減らすことだけを最優先にしているから、そんなことは言っていられないのだけど。次回からはもうちょっとちゃんとしてもらおう。そのための効率的な方法も模索しなければ。
時間が経つにつれて少しずつ書類が減ってきてはいるが、それらが片付くよりも前にエースさんのわずかな集中力がすっかり底をついてしまったようだ。椅子の背にもたれてぎっこぎっこと船を漕ぎながら私の話を聞いている。……流石にその態度に堪忍袋の緒が切れそうになったところで、「なあ」と彼が不意に口を開いた。
「そういえばずっと思ってたんだけど」
「手が止まってますよ」
「……お前なんでこの船に乗ってんだ? ナース以外の女のクルーってこの船じゃ珍しいだろ」
渋々船を漕ぐのを止めてペンをその手に持ち直すが、質問するのは止めないらしい。私は書類をぺらりとめくりながら逆に尋ねる。
「他の方から聞いてないんですか」
「聞いてねェよ。だから訊いてんだけど」
そう言ってのけたエースさんの方をちらりと見る。彼は特にからかう様子もなく、ただ本当に雑談のつもりで訊いたつもりのようだ。……悪意が無いのなら、まあ、別にいいか。もう随分と昔のことだし。不思議そうにきょとんとした顔をしている彼を他所に、私は視線を書類に戻して簡潔に言う。
「私、人質なんですよ」
「……は? 人質?」
だがその言葉でエースさんの手が再び止まってしまった。それもそうだろう。こんなに船で自由に過ごしている私が人質だなんて、比較的最近この船に乗った彼には想像出来るはずがない。どういうことだよと続きを促す彼に、私はなるべく暗くならないように事実だけをかいつまんで話し始めた。
「10年以上前、ある海賊がこの海賊団に挑んだんです。親父様の首を取るために。彼らは本当に馬鹿なやつらでしてね、自分の実力もわからないような3流でした。案の定、数分もしないうちに最初の威勢はなんだったのかと思うほどあっさりと敗北したのです」
その時の船長の顔は今でも思い出しただけで吹き出しそうになる。情けなくて、みっともなくて。当時は見ているこっちが恥ずかしいくらいだったけど、今となっては笑い話だ。
「しかしそれでも敗北を認めたくない往生際の悪いその海賊団の船長は『必ずまた挑みに来る』と言い残し、その約束としてある少女をこの船に置き去りにしました」
少しだけ間を置いて、言う。
「それが私です」
エースさんが静かに驚いたのがわかった。対する私は至って淡々としている。懐かしいなあ、なんて思いながらセピア色になった記憶を引っ張り出していたほどだ。
あの人は……船長は、威勢がいいくらいしか取り柄が無い男だった。クルーのことを自分の召し使いのように思っている船長の素質のかけらもない、本当にどうしようもない人。今思えばなんであんな男が白ひげに挑んで無事に生き残っていたのか不思議なくらいだ。
甲板で戦闘訓練をする掛け声が遠くに聞こえる。私は作業をする手を止める事無く続けた。
「人質というか、ほぼ生贄も同然ですよね。挑むと言いながらも、彼らはもうここに帰ってくる気はない。この船の人たちもそれは当然分かっていました。わかったうえで、『人質だから』『約束だから』と私をこの船に仮住まいさせていたんです」
親父様はもちろん、隊長たちの中では特にマルコ隊長とサッチ隊長は出会った時から優しかった。『なんで女のガキがこんなところにいるんだ』と私のことを厳しい目で見る人もいたけれど、それも次第に落ち着いていって……気づけばこのクルーの人たちは私のことを温かく接してくれた。
……まるで、本物の家族のように。
「1年ほどたったある日、ある島についた時点で私を下ろそうとしたんです。『あいつらは戻ってこない。お前はもう自由だ、船を降りて陸で好きに生きろ』と」
元々海賊であったとはいえ、女である私がこの船にいるのはどう考えても場違いでしかない。彼らの判断は至極当たり前だ。今となって思えばむしろ1年も乗せてくれたことの方が意外に思えるほどである。
「ですが私は、思ってしまったんです。『もっとこの船に乗っていたい』『一緒に航海をしたい』……『家族になりたい』、と。そこで私はその場で咄嗟に直談判しました。この船の正式なクルーにしてほしい、とね」
あの時のことは今でも覚えている。「海賊王に最も近い男」と世間で評される親父様がでんと腰かけていて、その正面に小さな小さな私が震えながら直談判している光景は傍から見ればさぞ異様で滑稽な光景だったに違いない。親父様を守るように立っているクルーや隊長たちに見守られながら、私は泣きながら必死に懇願したのだ。『家族にしてくれ』、と。一世一代の告白を聞いた親父様はしばらく黙っていたかと思うと、ふっと息を吐くように柔らかく微笑んだ。
「……それで親父様に認められて乗船を続けて、計算能力を買われて経理係を任されることになり、今に至ります」
全てを話し終え、部屋はしんと静まり返る。波の音が微かに聞こえるくらいには静寂に満ちていた。まあ無理も無いか。こんな面白くもない過去の話なんて、急に聞かされたら誰だってそうなるだろう。私は顔を上げないまま無感情にぺらりと次の書類をめくる。
すると今まで黙っていたエースさんが不意に口を開いた。
「悪ぃ」
「え?」
「思い出させた、よな」
まさか彼から謝罪の言葉が出るとは思わなかった私は反射的に顔を上げる。するとそこにはなんだかバツが悪そうな顔をしたエースさんがいた。……なんであなたが、そんな顔をするんですか。
「そういうの、あんま訊かれたくねェだろ。普通」
「いえ、その……いいんです。もう随分、昔の話ですし」
思わず言葉が詰まる。意外だった。短絡的で思考回路のわかりやすい彼がそんな考え方をするなんて。私の過去の話をして生まれを憐れんだりする人は多かったが、そんな風に……話させたことについて謝罪してきたのは、なんだかんだ彼が初めてな気がする。
「(なんだ)」
そんな風に人を気遣うこともできたのか、彼は。
今まで顔を合わせれば喧嘩ばかりで、乱暴で粗雑な彼しか見てこなかったせいで気づかなかった。
彼の意外な一面を知って静かに驚く私を他所に、エースさんは頬杖をついて話を続ける。
「にしてもお前、意外と大変な人生歩んできたんだな」
意外と、ね。今日はお互いに意外なことがわかってばっかりだというわけか。私は小さく苦笑しつつ再び書類に目を落とした。あくまで素っ気なく、表情にあまり出ないようにしながら言う。
「能天気に生きていたように見えましたか」
「そうじゃねェって」
ほんとにひねくれてんな、とエースさんが苦い顔をする。ひねくれてる自覚はあるから私は何も言わなかった。これで終わりだとばかりに私が再び書類の仕事に取り掛かろうとしたところで、エースさんが「でもよォ」と思いついたように言葉を続ける。
「お前、ここに残って正解だったな」
「……はい?」
私は再び手を止めて、反射的に訊き返してしまった。今までの私の話をどう聞いたらそうなるんだと、純粋に疑問に思ったから。
だが当のエースさんはといえば至って普通な調子で言ってのける。
「だって退屈な島にいるより、ここで海賊やってる方が何倍も楽しいだろ?」
そしてニッと目を細めて笑った。白い歯が口からちらりと覗いている。
……まさかこの話を聞いたうえでそんなことを言われるとは思っていなかった私は、思わず目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている私を他所にエースさんは言葉を重ねる。
「それにお前がいなかったら今頃おれ、書類出来てねえってマルコに殺されてたかもしれないじゃねえか。それはやべーよ、どう考えても」
「……それも、そうですね」
想像してしまったのか一気に顔を青ざめさせる彼を横目に、私はぼんやりと返事をする。
「(海賊の方が楽しい、か)」
そんなことを言われたのは、正真正銘初めてだった。最近は少なくなってきたとはいえ、「なんで女がこの船に」とか、私の存在を遠回しに否定するような言われをされることの方が多かったのに。それがまさか「乗っていてよかったな」と言われることになるなんて。しかもそれが、あのエースさんだっていうんだから驚きだ。数日前の私には……きっと数時間前の私にすら、想像もつかないだろう。
……意外と、彼のことを見くびっていたかもしれない。評価を改める必要がありそうだ。
静かに頭を回す私に、嬉々としてエースさんがびしりと指をさす。
「あ! シナツ、手ェ止まってんぞ!」
「そういうあなたこそ」
「……あ」
「まだまだツメが甘いですね」
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