耳かきしあわないと、床が抜ける部屋

「……い、……きろ」
「んー……?」

 誰かが呼びかける声がして、ゆるりと意識が首をもたげる。あれ、私いつの間に眠っていたんだろう。海底からゆっくりと水面に浮かんでいくように、だんだんと意識がはっきりして……。

「おい、起きろ小童」
「ふがっ」

 いきなり鼻をつままれ、瞬時に覚醒した。誰がこんなことを、と思いながら改めて目の前の人物を見る。そこにいたのは虎杖くん……というより宿儺さんだった。ヤンキー座りをしながら4つの目を細め、めんどくさそうな表情を浮かべている。私はゆっくりと上体を起こし、周囲を見回しながら尋ねた。

「ここ、どこですか」

 私がいるのは窓もドアも何も無い、壁も床も天井も白く塗りつぶされた部屋だった。大きさは、寮の部屋より少し広いくらいだろうか。昔見た映画に出てきた、人体実験施設じみた不気味な部屋だ。ついでに言えば、着ている服はお互いに制服だったりする。そこは割と普通だった。拘束具とかじゃなくてよかった。

「俺が知るわけなかろう」

 宿儺さんは頬杖を突きながらため息交じりに言った。少し前に目を覚まし、この部屋を破壊しようと色々試そうとしたもののそもそも呪術が封じられているらしく、破壊出来ないんだと。宿儺さんが言うに、どうやら何者かの手によって閉じ込められたらしい。うわ、まじか。よりによって宿儺さんと……宿儺さんと?

「というかなんで宿儺さんなんですか? 虎杖くんは?」
「知らん」
「知らんてあんたね……」
「俺が起きたときからこうだったんだ。呼びかけても小僧の声もせん」
「マジか……」

 私は思わず愕然とした。虎杖くん、大丈夫なんだろうか。今この状況よりもそっちの方が心配になってきちゃったな。微妙な顔をした私を他所に、宿儺さんはポケットに手を突っ込みながらすっと立ち上がる。

「もしかしたらこの部屋の仕様なのかもしれんな」
「どんな仕様ですか、それ」
「相手の術式によるものかもしれんということだ。……それともなんだ? 俺では不満か」
「……そうは言ってないでしょうが」

 ちょっと寂しげな表情をチラチラするんじゃないよ。そして私の答えを聞いて満足そうに笑うんじゃないよ。本当にもう、厄介なんだから……。ため息をつきながら私もこの部屋を調べようと立ち上がる。すると何やらかさりと音がした。どうやらポケットに何かが入っているらしい。取り出してみると4つ折りにされたメモのようなものだった。もしかして何かヒントが?と思いながら中を見る。

「……」

 ……私は何も言わずにぐしゃりと握りつぶした。見なかったことにしよう。うん。
 だがそれを目の前の男が許してくれるはずもなく。

「おい、今何を握りつぶした」
「……」
「見せろ」
「…………」

 宿儺さんの圧力に耐えられず、私は黙ってメモを差し出した。

「『耳かきしあわないと床が抜ける部屋』……なんだこれは」
「私が知るわけないじゃないですか」

 眉を寄せる宿儺さんに、私はため息交じりに頭を抱えることしか出来なかった。というか床が抜けるってなんだ。どこに繋がってんだよそれ。ファンタジーの世界じゃあるまいし、そんな都合のいいことがあってたまるか。私は気を取り直して宿儺さんに提案する。

「こんなの悪戯ですよきっと。ふたりで壁殴ってればそのうち……」
「いや、試す価値はあるやもしれんぞ」
「え」

 まさかの返答に思わず言葉が詰まる。宿儺さんは真面目な顔をして続けた。

「ここが術者の術式で構築された空間である場合、そういった効果を付与している可能性は十分ある」
「……つまり、これを実行したら出られるかもしれないと?」
「そういうことになるな」
「まじか……」

 ケヒヒと悪役じみた笑みを浮かべる宿儺さん。うーん、めちゃめちゃ嫌な予感がする。

「マジでやるんですか? 耳かき」
「出られなくてもいいならやらんが?」
「それを言われると何も言えないんですけど、そもそも耳かきはどこ……あったわ」

 もう片方のポケットに手を突っ込んだら出てきた。ふわふわ梵天付きのやつが。ま、マジかよ……。思わず絶句した私を見て「お膳立ては十分だというわけだ」と宿儺さんが愉快そうに笑った。どうやら本当にやるしかないらしい。いよいよ腹を括る時が来たらしいな……。私は何度目かわからないため息をついて、宿儺さんに尋ねる。

「まずはどっちからします?」
「そうだな。『しあう』と書いてあるところからするに、最後にはどちらもしなくてはいけないのだろう? ならば順番はそう大して重要なことでもない」
「まーそうですよね……」

 そこで私はふと思いついた疑問を宿儺さんにぶつけてみることにした。

「というか宿儺さん、耳かきを誰かにやった経験はあるんですか」
「無いな」
「奇遇ですね。私もです」

 すっぱりと言い切る私達。……おかしいな、急に不安になってきたぞ。身(主に鼓膜)の危険が迫っているような気がするのは私だけかな。
 一抹の不安を抱えながらも宿儺さんに提案を持ち掛ける。

「先攻後攻はじゃんけんにしますか。勝った方が先か後か選ぶってことで」
「じゃんけん?」
「現代の虫拳ですよ。ちょっと手が違いますけど」
「ほう」

 手早く手を教えてやれば宿儺さんはすんなり理解したようだった。じゃあ行きますよーとじゃんけんをする。互いの手はグーとパー。私の勝ちだった。宿儺さんがちょっと不満そうな顔をしているけど絶対にやり直したりしないからね。私は少しだけ悩んで、言った。

「なら先にお願いしましょうかね……その方が後々リラックスできそうだし」
「気になる物言いだが……まあ良い。横になれ」

 宿儺さんがその場で胡坐を組んで座ったので、「失礼しまーす」と言いながら右耳を下にして宿儺さんの右太ももに頭を乗せた。耳かきを渡しながら強めのトーンで念押しをする。

「痛くしないでくださいよ!!! あと絶対奥まで入れすぎないでくださいよ!!! 私の鼓膜がかかってるんですから!!! ほどほどでいいですからね!!!! ほどほどで!!!!」
「五月蠅い、それぐらいわかってるわ」

 不機嫌そうに言う宿儺さん。こちとら初めて人に耳かきをするやつに鼓膜握られてんだぞ??? そら五月蠅くもなるわ。

「小童こそ、そろそろ黙ったらどうだ。黙らんと、それこそ鼓膜が危ういかもしれんぞ」
「黙ります」

 宿儺さんの一言できゅっと口を引き結ぶ。鼓膜を人質にされちゃ言う通りにするしかない。それを見て宿儺さんはケタケタと笑っていた。あー緊張してきた。神にも祈る思いで手をぎゅっと握りながら目をつぶって身を縮める。

 するとしばらくして耳を触られる感触がした。不可抗力でびくりと肩が震える。
 そしてそれから、耳かきそっちのけでふにふにと感触を確かめるように弄ばれた。耳輪を指で挟んでするりと滑るように触ったかと思えば、耳の凹凸をなぞる様に丁寧に指を這わせ、しまいには耳たぶをぷにぷにし始める。確かめるようにあちこちを触られるのに耐えていると、耳元でぼそりと低い声がした。

「こうしてみると人のものよりも大きいな」
「そりゃあ鬼ですからね。……というか遊んでないで一思いにお願いします」
「俺にこうして触れられていては身がもたんか?」
「変な言い方をするな」

 やらしい触り方をするあんたが悪い、とはとても言えず。たまらず瞼を開けて宿儺さんをじろりと睨めば「わかったわかった」と言われてしまった。

 仕方なく体制を元に戻して再び目をつむる。早く終わらしてくんないかな。こっちの心臓が持たないんだけど。するとこちらの思いが伝わったのか、宿儺さんは耳輪の下の辺りをつまみ、

 ――そのままがぶりと、私の耳の尖った部分に嚙みついた。

「びゃーーーーーーー!!!!!!!!」

 思わず自分でも出したことのない奇声が口から飛び出した。
 それと同時にガッと目を開き、瞬時に宿儺さんの脚の上から転がる様にして離れる。素早く上体を起こし、壁に背を付けながら叫んだ。

「な、な、な、なにすんですかあんた!!!!!!!!」

 心臓はバクバクだし、顔はものすごく熱い。きっと信じられないくらい赤くなっているのだろう。そっと左耳に触れると、ぬるりと濡れた感触がする。指先に神経を尖らせるとボコボコとした肌の凹凸……歯形まで感じられた、うわ、本当にやりやがったよこいつ……!!!
 だが、対する宿儺さんは不機嫌そうに眉を寄せるばかりだった。

「いきなり動くな。危ないだろう」
「噛んだ!!!!! 今絶対私の耳噛んだでしょ!!!!!」
「五月蠅いぞ小童。貴様の声の方がよっぽど耳に悪い」
「あんたが変な事しようとしてたからでしょーが!!! 真面目にやれぇ!!!!」
「真面目にやろうとしていただろう」
「真面目にやる人は耳なんか嚙みませんーーーー!!!!」

 私の絶叫にチッと舌打ちをする宿儺さん。今ので一気に信用が地に落ちたが、部屋から出るためにはこいつの元へ戻らなければならない。彼もそれをわかっているのか、ニヤニヤと笑いながら「ほら、戻ってこい」と足を軽く叩くばかりだ。すっかりへっぴり腰になった私は大人しく戻りながらじっとりと宿儺さんを睨みつける。

「ちゃんとしてくださいよ、ちゃんと」
「わかっている」
「本当に? 本当にわかった??」
「しつこいぞ小童」
「だって目が怪しいんだもん!!!!」

 完全に悪戯してやろうってスイッチ入った目じゃないですか!!!!! 私は半泣きになりながら叫んだ。
 ……その後やはりというか、真面目に耳かきをする様子がない宿儺さんに散々悪戯されてへとへとになったのは言うまでもない。


***


【裏話 in 談話室】

「伏黒、釘崎、おっつー……って、どったのふたりとも」
「しー! 静かに!」
「霙さんが起きちまうだろ」
「霙さん? うわ、ほんとだ寝てる。いつから?」
「さっき見つけたときにはもう寝てたわ」
「テレビつけっぱで寝ちまったっぽい」
「マジか。疲れてたのかなー」
「はっ、いつ見ても間抜けな面だな」
「宿儺、やめろよそういうこと言うの」

「うう……」

「「「「!!」」」」
「寝言だ」
「しっ! 何か言いそう」

「……おねがいです、鼓膜は守……だーから、噛むなってぇ、んー……もうそろそろ、……真面目に、わたし、疲れ……ほんと許してくださいよぉぉ……」

「…………めちゃめちゃ夢の内容気になるんだけど」
「「同じく」」

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