じりじりと照り付ける日差しが、後頭部を焼いている。
俺は学校に向かう道を歩きながら、額に浮かんだ汗をぐいと手の甲で拭った。ちらりと周りに視線を向ければ、歩く生徒たちは暑さにやられながらも皆どこか楽しそうで、夏休みの思い出やこれから始まる2学期の行事予定について話している。すごいな、これが若さってやつか? エネルギーに満ち溢れて眩しいくらいだ……。俺は少々目を細めながら視線を正面に戻し、足を進める。
それからしばらくすると、校門に辿り着いた。数週間ぶりに見る光景に、不思議と懐かしさを感じる。
「(ほんの少し前までは、毎日通ってたのにな……)」
なんてしみじみ思う。それだけ、ここ数週間の出来事が怒涛だったということだろう。
ふと視線を下げると、今自分が身に着けている制服が目に入る。それは問題児御用達の白制服ではなく、どこにでもある普通の黒い学ランだ。
……そう。俺が呪術高専に来る前に通っていた高校の制服である。
「おはようございます、門叶君」
「おう、委員長。ひさしぶり」
「お久しぶりです。夏休み前以来ですね」
ふと後ろから声をかけられ、振り返るとそこには大きな丸眼鏡が特徴的な黒髪ロングの女子生徒がいた。『委員長』と呼びかけた通り、彼女は我がクラスの学級委員長様である。クラス最初の席替えで席が近かったのをきっかけに、以降それなりに話をする仲になったのだ。すると委員長はちらりとこちらを見るなり言った。
「少し日焼けをされているようですが、夏休みはどこかへお出かけに?」
「じ、実は夏休み中にジョギング始めてさ。多分そのせいじゃねえかな」
ぎくりとしつつも俺はなんとか、まだマシな言い訳を絞り出した。この日焼けは連日任務(屋外)に駆り出されたせいです、なんて彼女相手に言えるわけもない。そんな俺の心情を知ってか知らずか、「体力づくりですか。それは良い事ですね」と委員長は小さく微笑んだ。どうやらご納得いただけたらしい。
教室に到着し、俺たちはそれぞれの席へ向かう。鞄を下ろし中身を整理していると、ちょうどやってきた仲の良いクラスメイト数名に声をかけられた。
「門叶! お前夏休み中、一体何してたんだよ」
「そうだよ! 遊ぼうって誘ってんのに全然返事しねえし!」
「まぁその……色々あってな」
俺は軽く肩をすくめながら答えをはぐらかす。なんだよケチくせえなと文句を言いながら口を尖らせるそいつらを見て、俺は小さく口角を上げた。
……あぁ、これだ。やっと俺の欲しかった日常が帰ってきたんだ。
「(やっぱり、こっちに戻ってきて正解だったな)」
なんてことを思いながら自分の席につく。
高専を辞めると決めてからのゴタゴタは本当に……本当に大変だったけど、それでもこのかけがえのない日常には変えられない。考え直せって説得してくれた夜蛾先生には悪いけど、それでも俺はこれでよかったと思っている。悪いがあれ以上、俺があそこに居続けられるとは思わなかったからな。
……なんてことを思っていると、ふと頭の中でいつもの声がした。
『また随分とつまらん道を選んだな、門叶ハル』
「(……うるせえよ)」
呆れた調子の声に、俺は目を細める。
……俺はもう嫌なんだよ。自分が死ぬのも、誰かを殺すのも。
それに、生得領域でアキと約束したしな。あいつの分まで生きる、って。そもそもその契約でこうして生き返ったんだし。契約はちゃんと守らねえと。
『あいつの分まで、ねぇ……』
未来の悪魔は何か言いたげにつぶやく。なんだよ。文句でもあるのかよ。
するとちょうど始業を告げるチャイムが鳴り、がらりと扉が開いて担任である女性教師が中に入ってきた。慌てて自身の座る生徒たちに「ほら、始めますよ」と声をかけながら教卓の前へ歩いていく。
「皆さん、おはようございます。早速ですが、今日から皆さんと一緒に勉強することになる転校生を紹介します」
担任のその言葉に、教室中が一気に沸き立った。ざわつく教室の中で「ほら、入って」と担任が扉の方へ合図を送る。それにつられるように、教室中の視線がそちらに向かった。へぇ、転校生ねぇ……一体どんな奴だろう。がらりと扉が開いたのと同時に俺は視線をそちらにやる。
――そして次の瞬間、思わず目を疑った。
やってきた転校生はその長すぎる足でツカツカと教卓の前に歩いていき、くるりとこちらに向き直るようにして足を止め、全体に聞こえる声で挨拶をする。
「どーも、呪術こーせんから来ましたぁ、五条悟でーす」
よろしくおねがいしまーす、なんて間延びしたゆるい挨拶をする、白髪碧眼黒眼鏡の男。その風変わりな見た目と整った顔立ちにざわつく女子生徒たちを他所に、俺は絶賛顔を引きつらせていた。俺のかけがえのない平穏が、やっと手に入れた大切な日常が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
「な、」
――なんでお前が、こんなところにいるんだよ!!
「おい、どうした門叶」
「知り合いか?」
様子がおかしい俺を見て、隣に座るクラスメイトがひそひそと尋ねてくる。まさか数週間前までいた学校でクラスメイトでした、なんて言えるわけもない。どう返したもんかと考えあぐねていると、前に立つ五条とぱちりと目が合った。
瞬間、にやっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「(――あの野郎!!)」
なんなんだよ!! マジで何なんだよ……!!
女子の黄色い歓声を遠くに聞きながら、俺はすっかり頭を抱えていた。なんなんだこれは、新手の悪夢か? 夢なら早く覚めてくれ……。
『ほほう、おもしろくなってきたな』
絶望する俺を他所に、悪魔だけが実に楽しそうに笑っていた。
***
4限目の終業のチャイムが鳴り、昼休みに入る。
一気に周りの空気が緩むのを感じつつ、俺は持ってきた弁当を鞄から取り出した。すると、
「よぉ。一緒に飯くおーぜ、門叶クン?」
なんてわざとらしい声が頭上から降ってきた。顔を上げると、実に胡散臭い笑顔を浮かべた五条がこちらを見下ろしている。逃がさないぞとでも言いたげなその笑顔に、俺はため息をつきながら弁当を手に立ち上がった。何か言いたげな周囲のざわつきと向けられる視線を他所に、俺たちは連れ立って教室を出る。
「どこ行くんだよ」
「いいからいいから」
転校初日の割には自信満々に先導する五条についていくと、校舎の端にある空き教室に辿り着いた。中に入ると、どうやら先客はいないらしい。ぽつぽつと不規則に置かれた机が、高専の教室を思い起こさせるようだ。適当に窓際にあった椅子へ腰かける五条を見て、俺もその向かいにあった椅子を引く。
「で? どういうつもりだよ五条」
「驚いたか?」
「驚いたに決まってんだろ!! ここに転校してくるなんて聞いてねえぞ!!」
「当たり前だろ、言ってねーんだから」
俺がじろりと睨みつけると、五条は悪びれる様子もなくヘラヘラしていた。本当に何しに来たんだこいつ……。するとがらりと扉が開く音がして、俺たちはほぼ同時にそちらへ視線を向ける。
「おや、お揃いだね」
「夏油……」
「よ、遅かったな傑」
軽い調子で挨拶を返す五条に対し、俺はため息交じりに頭を抱えた。ちゃんとお前までいるんかい。まぁ、なんとなく予想はしてたけど……。俺の様子を見て、夏油は笑いながらわかりやすく眉を下げる。
「そうあからさまにしなくてもいいじゃないか。私達は元クラスメイトだろう?」
「そういうのはいいから。目的は何だよ」
ふたりが近くの椅子に座るのを見ながら尋ねれば、夏油は早速本題に入ることにしたらしい。昼食なのだろう持参した菓子パンの袋を開けながら俺に問いかけてきた。
「この高校での事件、覚えているかい」
「覚えてるかって……あんなの忘れたくても忘れられるわけねえだろ」
俺は机の上に弁当を取り出しつつ、眉間に皺を寄せながら答える。あれは正真正銘、今世での俺の運命の日なんだ。忘れる訳もない。
「で? それがどうかしたのか」
俺が続きを促すと、夏油は神妙な面持ちで続けて言った。
「実はあれが、人為的に引き起こされたものだった可能性が浮上した」
「人為的……だって?」
それってつまり……と俺が考えを整理していると、五条が横から口を挟んできた。
「あの日、俺たちは逃げるお前を追いかけるのを諦めた後、校内の調査をしてたんだ。そこで3種類の残穢を発見した。お前と呪霊と、もうひとり誰か別の奴のな」
「もしかして……そいつがわざと呪霊をおびき寄せて、殺したってのか? 俺以外の4人を」
「多分ね。まだ確定ではないけど、可能性としては十分にあり得る話だ」
夏油は曖昧に頷きながら言う。すると五条も続けて言った。
「最初はそれがお前の連れてる呪霊なんだって思ってたんだけど、結局違ったからな。それで改めて犯人捜しのためにこうやってこの学校に潜入してきたってワケ」
「もしもこの学校にいる呪詛師の仕業なら、界隈である程度名が知れてる悟と私の名を聞いて、何かしら反応するだろうと思ってね」
「……そういうことかよ」
俺は腕を組みながら言う。呪詛師をおびき寄せ、尻尾を掴むため……一応、こいつらがやってきた理由については納得した。……だが、すべてというわけではない。肝心の一番訊きたいことがまだ残っている。
「でもよ、わざわざ五条を俺と同じクラスにする意味あったのか? 別のクラスにした方がもっと情報も集まりやすかったと思うけど」
「ああ、それはたまたまだよ」
流石にそこまでは私達の意見は通らないからね、なんて夏油は笑っていた。が、その顔はどうにも胡散臭い。……本当のところはどうなのか、こちらからは判断できなかった。これ以上追究しても無駄そうだ。
「でもよ、なんで俺を呼んだんだ? おびき寄せるだけなら別にお前らだけでも充分だろ」
「決まってんだろ? あの時の話を聞くんだよ」
「事件の貴重な当事者がすぐ傍にいたのに、その当時のことをあまり詳しく聞いていなかったと思ってね。改めて事情聴取しようと思って」
夏油の言葉に、確かになと俺は納得する。そういえば、左目の呪霊の話ばっかで事件そのもののことはあまり聞かれてなかったような。だがしかし、返せる何かがあるかといわれれば話は別だ。
「わざわざ話せるような場所用意してもらって悪いけど、俺大した事覚えてねえぞ」
「別にどんな些細な事でも構わないよ。それが重要かどうかはこちらが判断するから、君はなんでも話してくれ」
なんでも、ねえ。俺は考え込みながら卵焼きを一切れ口の中に放り込む。なんだかんだ、それが一番困るんだよな。本当に関係ないことまで喋っても時間の無駄だろうし。
俺が表情を微妙に曇らせたのを察してか、夏油は早速質問を投げかけてきた。
「そもそも、どうしてあの時間学校に?」
「言ってなかったか? 肝試しだよ。1回くらいはやってみたいよなって仲間内で話になって、俺含めて5人で学校に忍び込んだんだ。んで進んでるうちにひとりずつはぐれてって、それで気づいたら俺ひとりになってたんだよ。そっからはご存じの通り」
「一応、その子たちの名前とクラスを聞いてもいいかい」
夏油に問われるがままに、俺は当時のメンバー4人の名前を告げた。参加メンバーは俺と同じクラスの立花と千代川、それから隣のクラスの辻と手科の4人だ。因みに全員男である。立花と辻は中学からの付き合いで、残りふたりは高校になってからの知り合いだ。これくらいは恐らくもう既に掴んでる情報だろうが、夏油は一応メモを取っていた。俺は白米を頬張りながら続けて言う。
「ちなみに俺と手科は帰宅部で、立花と千代川はバスケ部、辻は演劇部とオカルト研究部の兼部……だったかな。休みを合わせんのが大変だったぜ」
「オカルト研究部? ということはもしかして彼、呪術なんかにも興味があったり?」
「さぁどうだろう。どっちかっていうとあいつはUFOだとか宇宙人だとか、昔からそっちの方が好きそうだったな」
「肝試しに行こうって言いだしたのもそいつか?」
「あぁ。そうだよ」
俺の情報にふたりは互いに目を合わせる。持ってきた焼きそばパンを頬張りながら五条は尋ねた。
「はぐれた順番はどうなんだ?」
「順番? そうだな……」
うーんと当時のことを思い起こすように俺は目を閉じる。はぐれた順番は確か、確か……。
「辻が最初だったのは覚えてる。言い出しっぺがいきなりはぐれんなよって、みんなで呆れて言った覚えがあるからな。けど、その後は正直微妙だな……いなくなった辻を探そうって、何人かで別れて行動してたから」
「なるほどねぇ」
カチカチとボールペンの芯をノックしながら、夏油は自身のメモを見ながら考え込んだ。
「現時点で得た情報から考えるなら、その辻って人が一番怪しく見えるね。一番初めにはぐれたのも彼の計算で、みんながバラバラになったところを狙って襲ったと考えれば自然だ」
「まぁ、確かにそう見えなくもねぇな」
夏油の推理に、俺はなんとなく肯定も否定もせずにしておいた。あの中に、俺を含む全員を殺そうとしていた呪詛師がいたかもしれないなんて……。正直、未だに信じられない。大親友とまではいかないが、このメンバーはそれなりに何度か遊んでいた仲であるので、あまり考えたくはなかった。
そんな俺の心情を察してか、夏油は区切りをつけるように言う。
「とりあえず彼らの身元を改めて洗ってみようか。何かわかるかもしれない」
「そうだな。あとでそのオカルト研究部ってとこにも顔出してみるか」
五条も夏油に賛同するように言った。ちらりと時計を見ると、思ったより時間が経っている。
「他に何か気付いたことはあるかい?」
「気付いたことねえ……」
そんなことを言われても、特にこれといって思いつかない。あそこで呪霊に遭遇したことは確かに強烈だったけど、その前後の出来事……しかも些細な事となると、なかなか……。
「……あ、そういえば」
「そういえば?」
ふとつぶやいた言葉に、ぐぐ、と夏油が前のめりになる。俺は少々身を引きながら言った。
「いや、大したことじゃないんだけど……その時、校舎に誰かいた気がするんだよな。俺たち5人の他に」
「気がした? はっきり見たわけじゃないってことかい?」
「ああ。校舎を周ってる時、見えた気がしたんだよ。誰かの後ろ姿が」
俺は脳裏にその時の光景を……廊下を進んでいた時にふと見えた、曲がり角を曲がっていく女子生徒の後ろ姿を思い浮かべながら夏油に告げた。俺以外その場の誰も見えていなかった、その後ろ姿を。
「その生徒の特徴は?」
「そこまで特筆するほどでもねえよ。ここの制服着てて、黒髪で、背はそこまで高くも低くもない感じだった。それくらいだな」
「それは特徴とは言わねえだろ」
「だから言っただろ、特筆するほどじゃねえって。顔も見てねえし、本当に一瞬だったしな」
五条の言葉に俺はため息交じりに言った。それを聞いた夏油は少々困った表情を浮かべながらも一応メモを取っている。
「君の見間違い、の可能性もあるけど……否定はし切れないな。一応その生徒についても調べてみようか」
「おいおい、調べるっつったって、その特徴に該当する生徒が一体この学校に何人いると思ってんだよ。ただの見間違いかもしんねーんだぞ?」
「そうかもしれないけど、やれるだけやってみようってことだよ。案外こういうところから解決の糸口が見つかったりするかもしれないし」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」
夏油の言葉に五条は渋々納得した様子である。
「でもまぁ、あんまり期待はしない方が……」
と言いかけたところで、俺は思わず言葉を途切れさせた。左目が唐突に未来を見せ始めたのである。ざざ、ざざ、とチャンネルをザッピングするように場面がいくつも飛びながら光景を見せられる。俺は思わず左目を押さえた。
「なんだ、これ」
「……もしかして、何か見えた?」
「犯人でも見えたか?」
俺の様子を察してか、ふたりは身を乗り出してこちらに訊いてくる。だが俺は「いや、」と戸惑いながらつぶやいた。
「見えはした、が……犯人じゃねえな」
そして先ほど見えた未来の内容を、端的にふたりに伝えた。
「夜の学校と、俺たち3人が見えた」
「私達?」
「ああ」
俺は小さく頷いた。本当はもっと色々な光景が見えていたのだが、言葉にするのが難しいものばかりだったのでなるべくマシなものを選んだのだ。だが五条はそれをお気に召さなかったらしい。がっかりした様子で椅子にもたれかかった。
「なんだそれ。もっと有益な情報を寄越せよ」
「無茶言うんじゃねえよ。こいつは基本嫌がらせしかしてこねえんだから、期待するだけ無駄だって」
俺がそう言えば五条はつまらなさそうにため息を吐いた。俺の情報を聞いた夏油は口元に手をやり、何やら考えているようである。
「夜の学校か……もしかしてまたここで何かをするつもりなのかもしれないな。しばらく見回りを強化しようか」
「んじゃ今日からやろうぜ。おい、お前遅れんなよ」
「って、俺も参加するか?」
「当たり前だろ。乗り掛かった舟じゃねえか」
「そうだね。ここまで来たら折角だし付き合ってもらおうかな」
人手は多いほうがいいし、なんてちゃっかり夏油は言う。未来が見えたからってまさか呪詛師捜索にかりだされることになるなんて……。俺は後頭部をガシガシ掻きながら苦々しい表情を浮かべた。
「言っとくけど俺はもう高専生じゃない。ただの一般人だ。そのために俺は……」
「確かにそうだね。でも同時に、事件の貴重な当事者でもある」
夏油は俺の言葉を遮ると、にっこりとわざとらしいほど爽やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫。何かあっても今回のはノーカンにしてあげるから、心配しなくていいよ」
そして俺の方――正確に言うなら俺の腹のあたり――を指差した。
高専を辞める条件のひとつとして、俺は『呪術や悪魔を使った戦闘の禁止』を言い渡されていた。
そしてその制約を守らせるために、夏油の所持している呪霊のひとつ――呪力を感知し、夏油の命令ひとつで盛大に破裂する――を現在腹の中に仕込まれているのである。普通にしていれば害はないらしいが、正直気分がいいものではない……。それでも平穏な日々を望んだ結果、文字通り条件を”呑んだ”のだ。それなのに。
「(意味無ぇじゃねえか……)」
俺は夏油をじろりと睨み、心の底からうんざりしながらため息を吐いた。
***
「ふぁ……」
こっそりとあくびを噛み殺しながら、俺は目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。昼食明けの5限目の古典の授業で、先生の声とチョークのカツカツという音だけが響く静かな教室はどうしても眠くなってしまう。
夜の見回りを強化して2週間。あれからちっとも動きはなく、ただ俺たちが寝不足になっただけだった。
あまりにも手がかりがないので、あの日未来の悪魔が見せてきた映像すら信じられなくなってきたところだ。きっとこいつのことだから「数ある未来のひとつを見せただけで、決して必ずこうなるというわけでは〜」なんて言い訳をしてもおかしくない。
『心外だな。私はそんな愚かなことはしない』
「(ならなんで何も情報がねえんだよ)」
『君たちの頑張りが足りないんじゃないか?』
「(こいつ……)」
俺は頬杖をつき、脳内で響く高笑いを無視するように視線を逸らす。すると、隣の席が目に入った。
「(そういえば委員長、今日も休みなのか)」
俺はぼんやりと思う。ここの所彼女は体調を崩しているのかずっと学校を休んでいるのだ。ぴんと伸ばした背筋が印象的な彼女が、視界の端にいないのがなんだか不思議な感覚だった。何かあったのだろうか。俺は彼女が少しだけ心配な反面、ほんの少しだけ……安心していた。
「(……なんだったんだ、あの未来は)」
数日前に見せられた光景を思い出し、目を細める。
五条と夏油には言わなかった、未来の光景のワンシーン。言葉にするのを躊躇って説明を切り捨てた、その断片にいたのは、紛れもなく――
「あれ?」
ふと後ろから素っ頓狂な声が聞こえて、意識が戻ってきた。
「なんか外、暗くない?」
「……え?」
つられるようにして俺もそちらを見ると確かに、窓の外が暗くなっていた。まるで真夜中になったように……。本当だと他のクラスメイトもざわつき始める中、俺はなんとなく胸騒ぎを感じていた。
「(……帳、だよな?)」
けどなんで、帳が降りて……。
そこまで考えてハッとした。まさか、あの時俺が見たのは。
「おい」
ふと声をかけられ顔をそちらに向けると、いつの間にか五条が側にやってきていた。外に視線を向けながら、潜めるような声で言う。
「まさか、お前の言ってた”夜の学校”ってこれか?」
「……多分な」
俺は苦々しくつぶやく。あの日俺が見た未来は、これのことだったのだ。
『さぁ、いよいよだな門叶ハル』
脳内で悪魔が笑う。断片的に垣間見た未来が咄嗟にフラッシュバックし、俺は眉間に皺を寄せる。
にわかに騒ぎ出したクラスにしびれを切らしたように、教師が声を張り上げた。
「こら! 授業中ですよ! 早くそれぞれの席に戻って――」
――キーンコーンカーンコーン……。
教師の声を遮るように、無機質なチャイムが教室内に響き渡った。教室中の視線が一斉にスピーカーに向けられる。すると数秒のノイズの後、合成音声のように感情のない声が響き渡った。
『1年3組の門叶ハル。1年3組の門叶ハル。お客様がお見えです。至急理科室まで来てください。繰り返します、1年3組の門叶ハル……』
平和を手に入れた転生者お兄さん
→でも一瞬で崩れちゃったね、残念! 未来に何か見えたらしいけど、ふたりには内緒にしている。
ドッキリ大成功!な最強片割れ
→あいつの間抜け面見るの、たのし〜!!(クズ) 転校初日からクラスメイトの話題を掻っ攫うけど、面倒なのでかなり適当に受け答えしている。ただしハルに対しては自分から話しかけに行く(※ただし当たり強め)ので、「門叶と何があったんだ!?」とクラスメイトがざわついている。
有無を言わさぬ最強片割れ
→協力してくれるだろ? ね?(クズ) 開放する代わりに腹に呪霊を仕込ませる提案をした張本人だったりする。因みに口から吞んだので興味本位で味の感想を聞いたりした。「ドブ味」と心底嫌そうに吐き捨てられて、ひっそり共感していたとかなんとか。