交わした奇跡と春の予感

「仙台出張、ですか」
『うん。ちょっと恵の様子見に行ってくるから』

 それじゃあね〜と軽い調子で言って、電話は切れた。いつも適当だなこの人、と思いながら私は携帯の電源を落とす。そして再び目の前のPCへと向き直った。高専内、夕暮れの職員室。私以外誰も居ないそこで、パチパチとキーを叩く音だけが響いている。昨日の任務の報告書を作成しながらも、頭の中は別のことでいっぱいだ。
 確か恵くんは特級呪物の回収に行ってるんだったか。五条さんがわざわざ見に行くってことは、何か面倒なことが起こっているに違いない。やだなあ、彼に怪我がなければいいけど。一見不愛想でその実とても可愛らしい思春期真っ盛りの男の子を思い出して小さく微笑む。

「仙台、か」

 誰にというわけでもなく呟いてみる。仙台は私の生まれ故郷でもあるのだ。そういえば最近はめっきり帰れていないな。確か五条先輩に教えたような覚えはないから、彼はそんなつもりで言ったわけじゃないんだろう。私は実質副担任みたいな位置にいるから、気まぐれに報告しただけのつもりだったのかもしれない。うん、きっとそうだな。
 キーを叩く手を止めて、近くにあったマグカップに口を付ける。熱いからと放置しすぎたのか、コーヒーはすっかり冷めきっていた。ずず、と静かに啜りながら椅子にだらりともたれると、ぎしりと軋む音がした。

「悠仁くん、元気かなあ……」

 思い出の中にある小さな少年の、太陽のように明るい笑顔を思い出して私は静かに表情を緩めた。


***


 彼と……悠仁くんと出会ったのはもう10年以上も前のことだ。

 私が中学3年に上がったばかりの頃。ちょうど学校からの帰り道、イヤホンをして歩いている私の目にある光景が飛び込んできた。
 なんと、まだ未就学児であろう少年が大事そうにがま口の財布を両手で握りしめて歩いているのだ。その表情は決意に満ち溢れており、瞳はきらきらと輝いている。別にやましい光景を見たわけでもないが、私は思わず近くの電柱の影にさっと身を隠した。そっと覗き見ると、前しか見えていない少年は私のことなど全く気づいていないようでふんすふんすと鼻を膨らませながら歩いている。周りを確認しても保護者らしき大人の姿は見られない。どうしてこんな子供がひとりでこんなところに……。そこまで考えた私の脳内に電撃が走る。

「(あれはまさか……はじめてのおつかいでは!?)」

 握りしめた財布に決意に満ちた表情……間違いない。はじめてのおつかいだ。そうとしか思えない。
 改めて周りをよく見回しても撮影クルーがいない所を見ると、番組ではないリアルなはじめてのおつかいなのだろう。このご時世になかなか尖ったことをする親御さんだなと思いつつ、その後ろ姿を目で追いかける。

「放っておくわけにも、いかないよね」

 私は小さくつぶやいた。何せ私は同級生に変態と称されるほどの筋金入りの子ども好き。こんな愛らしい未就学児を放っておくわけにもいかない。それにもしこの後事件にでも巻き込まれたら私の心が痛みまくって再起不能になる可能性がある。田舎とはいえもしかしたら呪霊に襲われるかもしれないし、心配だよね……。私はそうやって見逃せない理由をいくつか拵えると、彼の背中をこっそり追いかけ始めた。

 彼が移動するたびに、素早く物陰から物陰へ移動する。途中で転びそうになりながらもぐっとこらえるその姿にこっちの涙が零れそうになった。周囲の人たちにはヒソヒソされてしまった気がするけど、まあそれはそれ。私が何と言われようが、この子の安全には変えられないのだ。うん。

 しばらくするとスーパーについた。ここが今回の目的地みたいだ。うーんと背伸びして両手で買い物かごを持つ。そしてポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出すと、じーっと見つめながら店内を歩き出した。どうやらあれが買い物メモらしい。でもそんなに俯きながら歩いてたら……。

「(! 危ない!)」

 やはりメモに気を取られすぎて、前の人にぶつかってしまった。なんとか転びはしなかったようだけど、見てるこっちがヒヤヒヤする。ただ運がいいことにぶつかったのは店員さんだった。ぺこりと誤った少年の手に持ったメモの存在に気付くと、「どうしたの? おつかいかな?」と少年の視線に合わせて屈みながら話しかけてくれる。ナイス店員さん!!と私が陰ながら賞賛を贈っていると、少年がメモを店員さんに手渡した。しばらくそのメモを見つめていたかと思うと、「一緒に選ぼうか」と言って少年を連れ出した。

 それからふたりで店内を歩いて回る。かごに入れたのは卵と、梅干し、醤油、ネギ。それから途中で見かけたお菓子コーナーにあった戦隊ものの食玩をこっそりひとつ掴んで入れていた。
 そのままレジに行き、精算をする。運よく休止中だったレジをひとつ開けてくれたので待たなくて済んだようだ。リーダーですべての商品を読み込み終えた店員さんが総額の値段を告げる。少年は意気揚々とがま口の財布をがぱっと開いてお金を取り出すが、途中でその表情が曇ったのが遠くからでもよくわかった。店員さんも困っている所を見るに、お金が足りないんだろう。多分途中で入れた食玩がよくなかったんじゃないかな。どうしよう、と少年が戸惑ったように涙目になっているところを見て、居ても立っても居られなくなった。

「差額お支払いします。いくらですか?」

 どこからともなく現れた私に店の人も少年も驚いていたみたいだったけど、有無を言わさずに差額を支払う。袋詰めはこちらでやらなければならないレジだったため袋を2枚貰い、中身をさっさと詰める。卵と食玩を入れた袋を少年に渡しながら言った。

「こっちは卵が入ってるから、気を付けて持つんだよ」
「……ん」

 私の指示に、ちょっと戸惑いながらもこくんと確かに頷く少年。ひゃー可愛い!! 叫び出しそうになるのを堪えながら少年と店の外へ出た。すると「なぁなぁ」と私の左の袖口を引いて話しかけてくる。

「ねーちゃん、ありがとな!」
「いやいや、私は当然のことをしたまでだよ」

 卵が入った袋を大事そうに抱えながら、にぱっと笑いかけてくれる。わは〜! かわいい!!! 「ありがと」がちょっと舌足らずになって「あぃがと」に聞こえるところがすごく好き!!! 愛おしい!!!! 食べちゃいたい!!!!

 隙あらば愛を叫びながら暴走しそうになるのをぐっと堪えて、大人の余裕を見せつける。そこでふと、そういえばまだ名前を名乗っていなかったことを思い出した。折角合法的にちびっ子と話が出来るんだし、この子のお家に着くまでの間に常識の範囲内で色々聞いてみるか。

「私はみやび。賽賀みやびって言うの。君の名前は?」
「ゆーじ!」
「そっか。ゆーじくん、今日はひとりでお買い物大変だったね。お家の人はどうしたの?」
「じーちゃんかぜひいてんだ。だからおれ、じーちゃんにごはんつくろーとおもって。でも、なんもなかったから」

 なるほど確かに、言われてみれば買ったものはおかゆの材料になりそうなものだ。こんな小さな子がおじいちゃんのために……!! うっ泣けてきた。ぐっと目頭を押さえる私に、ゆーじくんが慌てたように言う。

「ねーちゃんだいじょぶか!? どっかいたいのか?」
「ううん、大丈夫。大丈夫だよ……」

 ちょっとゆーじくんが可愛すぎて胸が苦しかっただけだよ、とは流石に言えないよね。このクソデカ感情を本人に知られるわけにはいかない。彼はこんな汚れた感情なんかとは無縁のまま、健やかに成長していってほしいものだ。
 心配そうなゆーじくんの気を逸らすために、今話に出てきたおじいさんの話題を振ってみた。どうやら彼は生まれたときからおじいさんとふたりで暮らしているらしい。それは確かに大変そうだな。

 そうこうしているうちにゆーじくんの家に到着する。なんと驚くべきことに、彼の家は私の家の目と鼻の先だった。どうしてこんなに可愛い子の存在を私は今の今まで知らなかったんだ……!?と驚愕している私を他所に、じーちゃんただいまー!といいながらゆーじくんは元気に玄関を開ける。

「悠仁!! お前今までどこにっ……」

 思い切り怒鳴りながらひとりのマスク姿の老人が玄関から顔を出した。どうやら彼がゆーじくんの保護者らしい。私を見るなり彼は少し驚いたような顔をしていたので、慌ててさっと頭を下げた。

「すみません。私、あそこの家に住んでる賽賀みやびと申します。実は……」

 そこで事の経緯を説明する。ひとりで買い物をしようとしていた彼をストーk……見守っていたことを告げると、おじいさんは途端に神妙な面持ちになった。

「そういうことだったんですね……うちの悠仁が大変ご迷惑を」
「いやいやいや! 私はただ、私にできることをしたまでですから!」

 ほらお前も謝れ!と無理矢理頭を下げられるゆーじくんに慌てて弁解する。まあ可愛いところいっぱい見せてもらったからぶっちゃけプラマイプラスなんだけどね。そんなこと言ったら白い目で見られるだろうから言わないけど。
 そこでゴホゴホとおじいさんが激しく咳込んだ。大丈夫ですか!?と声をかけながら丸めた背中をそっとさすってやる。ひゅーひゅーという喘鳴を聞くに、本当に体調がよくないみたいだ。心配そうなゆーじくんを見ていたらなんだかこのまま帰るのも悪い気がして、断られるのを承知で私は口を開いた。

「あの、もしよろしければなんですが……」


***


「おお、こりゃ美味いな」

 ベッドに腰かけたおじいさんは目を輝かせて言う。手に持っている椀に入っているのは、私が腕によりをかけて作った卵がゆだった。

「そうですか? ありがとうございます」

 私はちょっと気恥しくなりながら言う。以前からそれなりに料理の練習はしていたが、誰かのために……ましてや初めて会う相手に料理を振る舞ったのはこれが初めてだった。

「ねーちゃんりょーりじょーずだな……!」
「レシピ見ながらだからそうでもないよ」
「そーでもある! すげーよ! じーちゃんのよりうめえ!」

 悠仁くん用に作ったハンバーグを頬張りながら言う。その瞳はキラキラと輝いていて、とてもじゃないが直視できそうにない。ああっ浄化されそう……! 口の端っこについてるデミグラスソースすら輝いて見えるよ……!! 眩しさに目を細めながら、気を取り直しておじいさんに向き直る。

「お薬はありますか? 他に必要なものとか」
「ああ、大丈夫だ。すまないな、何もかも任せっきりになっちまって」
「いえいえ! 困ったときはお互い様ですよ!」

 使い終わった道具類をすべて洗って片付けたところで、時刻はすっかり夜になっていた。家には事前に連絡をしていたとはいえ、これ以上長くいるのも迷惑だろう。

「じゃあ私はこれで。お大事になさってください」
「ああ、ありがとうな」
「ねーちゃんまたな!」
「うん。悠仁くんまたね」

 なんとなくノリで手を差し出してみると、ぺち!と可愛らしい音をたてて小さなもみじの手のひらが私の手に触れる。うっ! 合法おさわりハイタッチ最高ですありがとうございます……!!!
 私は胸の中が温かい気持ちになるのを感じながら帰宅した。

 それから、ふたりとは時々顔を合わせるようになった。風邪の時のお礼に始まり、悠仁くんにせがまれて料理を作りに行ったり、一緒にどこかへ遊びに行ったり、互いの家に泊ったり……誕生日を祝ったりもした。子供が好きなのに一人っ子で、小さい弟や妹の存在に憧れていた私にとって悠仁くんは最高の相手だったと思う。穢れのない可愛い笑顔で「ねーちゃん!」なんて言われてみろ。昇天するぞ。ガッツがなければ即死だぞ。

 そこまで大きいとは言えないものの呪術師の家系に相伝の術式を持って生まれ、高校から東京の呪術高専に通うことが決まっていた私にとって、彼との時間はかけがえのない大切なものになっていた。


***


 ――月日は流れ、冬。
 私達に別れの時がやってきた。

「もー悠仁くん、放してよ」
「ヤダ!」

 ぎゅっと悠仁くんが私の腰のあたりにしがみつく。明後日から入学する呪術高専に行くための新幹線の改札前でお見送り……のはずだったのだが、絶賛ひっつき虫状態だ。いやーまあ、めちゃめちゃ幸せだし、許されるならずっとこうしてたいのは山々なんだけど、そろそろ行かないと時間的に間に合わないんだよな。

「コラ悠仁!! 姉ちゃんが困ってるだろ!!」
「ヤーダー!!!」

 付き添いに来てくれたおじいさんが活を入れるが、効果はない。それどころかかえって拍車がかかっている気がする。もうすっかりギャン泣きの域だ。私の腰に回された腕の力もさっきより強まってるし。こんなことになった悠仁くんを初めて見た私はといえば、私のために泣いてくれるんだと嬉しい気持ちでいっぱいだったりする。悠仁くんは腰のあたりに顔を埋めているから気づかないだろうが、顔は完全に蕩け切ってデレデレだった。

「おれもいっしょにいく!!」
「それはちょっと難しいかな……」

 何せ私がこれから行くのは東京、しかも呪術高専だ。こんな呪いとは無縁の男の子が容易に行っていい場所でもない。
 すると、腰にまわした手の力をきゅっと強めながら悠仁くんがこちらを見上げてきた。

「やだぁ、ねーちゃんいかないでぇ……」

 その大きな瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちていて、私の着ているコートにじゅんわりしみこんでいく。んぐぅっ! なんて可愛い事言うんだ悠仁くん。とっても嬉しいけどやめなさい、決意が揺らぎそうになっちゃうでしょうが!
 こう言ってくれるのも嬉しいし、なんならずっとこうしていたいんだけど……でもここは、お姉さんらしくちゃんとすべきだよな。私は心を鬼にしながら、悠仁くんに視線を合わせるようにしゃがんだ。

「大丈夫だよ、悠仁くん。毎日は難しいかもしれないけど、ちゃんと合間を縫って帰ってくるから。そしたらまた一緒に遊ぼ?」
「……」

 ね?と諭すように微笑んで頭を撫でたら、むっと唇を一文字に結んだまま俯いて黙りこくってしまった。ありゃ、なにか間違えたかな。顔を覗き込もうとしても、すっかり下を向いてしまってその表情が見えない。

「ゆうじく……」
「ねーちゃん、あのさ」

 そう言ったかと思うと、悠仁くんがぱっと顔を上げる。
 ――そしてそのまま、私の頬に口づけた。

 ふに、と柔らかい感触がして、離れる。
 すっかり固まってしまった私が反応できずにいると、悠仁くんがトマトのように顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに言った。

「おれ、ねーちゃんが、すき」

 悠仁くんが私のことを見つめている。
 彼の大きな丸い瞳に、私のぽかんとした間抜けな顔がありありと映っている。

「だから、えっと、……はやくかえってきて」

 今にもまた泣きそうな顔をしながら、悠仁くんは言った。悠仁くんの小さな手が、私の手をぎゅっと握る。
 まさかこんなに可愛いことを言われるなんて思わなかった私は内心「ショタからのちゅー!!! ほっぺちゅーだ!!!!」と狂喜乱舞したいのをぐっと堪えて、ゆるりと穏やかに微笑んだ。

「嬉しいな、私も好きだよ」
「! ほ、ほんと?」
「うん。ほんとのほんと」

 私が頷きながら言うと、悠仁くんの瞳から零れ落ちそうだった涙が引っ込んだのがわかった。悠仁くんの温かい手を包むように握りながら、そっと彼の顔を覗き込む。

「ちゃんと帰ってくるから、待っててくれる?」

 悠仁くんはまた顔を真っ赤にしたかと思うと、そのまま首が落ちてしまいそうな勢いでぶんぶん頷いた。そしてがばりとこちらに抱き着いてくる。

「やくそくだからな!! ぜったい! ぜーったいだから!!」

 悠仁くんはまるで太陽のような朗らかな笑顔で、そう言った。


***


「懐かしいなぁ……」

 そうつぶやいてぐいとコーヒーを飲み干す。もう少し作業は残ってるし、新しいの入れるか。私は静かに席を立ち、職員室の壁際にあるコーヒーサーバーを取った。ちょうど残り1杯だったので、カップに注ぎ切る。保温機能付きだったのでまだ温かいままだ。席に戻り、湯気の立つカップをコースターの上に置いた。

「……そういえば、ちょうど恵くんと同学年か」

 ふと思い出して呟いてみる。確か悠仁くんは早生まれだったはず。そう考えると初めて会った時から12年は経っていることになる。いやー自分も年を取ったな。こんなところで時の流れを実感するなんて、大人はなんて味気ないんだろう。

 ……悠仁くんとは、あれ以来会っていない。
 なるべく帰省をしてはいるのだが、なかなかタイミングが合わなくてそれきりだ。おじいさんや私の両親を経由して色々話を聞いてはいるけど……まあ、彼も学生だから色々忙しいだろうし、仕方ないとも言える。きっとあの時の小さな約束なんて気にも留めていないだろう。そもそも、こんなに小さな頃の思い出をきちんと覚えているかどうかすら怪しい。

 なんとなく、高校に通う悠仁くんに想いを馳せてみる。子供のころからあれだけ可愛かったんだ。今は成長して、大層なイケメンになってるんだろうなあ。女の子にモテモテだったりして。頑張り屋さんだったから、勉強も部活も打ち込んで、それから仕事に就いて、恋愛をして、結婚して、……そういう、人並みの幸せを手に入れていくんだろう。呪術師なんていう平凡からかけ離れた職業をやっている私が羨ましいと思ってしまうくらいの、幸せを。

「……幸せになってくれよ、悠仁くん」

 私の分まで、ね。


***


 日付は変わって、次の日。
 今日は午後から2年生の授業が入っていたため高専に来ていた。事前に準備した通りにつつがなく終え、職員室でコーヒーブレイクをする。夜遅くまで五条先輩に押し付けられた書類を裁いていたせいで寝不足ということもあり、今最高に眠い。確か夜から任務入ってたし、ちょっと仮眠でも取っておこうかな。大きな丸い伊達眼鏡を押し上げ、大あくびしながら仮眠室に向かおうと立ち上がったところでがらりと扉が開く音がする。そちらを見ると、眠気の原因である男がムカつくくらい爽やかな笑顔で立っていた。

「よっ! お疲れ賽賀〜」
「お疲れ様でーす……」
「うわ、テンション低〜 寝不足?」
「誰のせいだと……」

 じろりと睨みつけると、五条先輩は他人事のように笑っていた。ほんとこの人はこういうとこ昔から変わんねーな。ため息をついたところで、思い出したように五条先輩は言った。

「お疲れのところ悪いんだけど、入学手続きお願いしていい?」
「入学手続きぃ?」

 怪訝そうに眉を寄せたところで、ふと昨日の夜にかかってきた電話を思い出す。

「そういえば昨日なんか言ってましたね」

 確か、回収するはずだった特急呪物を誤って飲み込み、しかもうっかり受肉してしまった子を高専で保護するとかなんとか……。それ聞いた時は時間が時間なだけに寝ぼけてるのかと思ったけど、マジだったのね。
 私はデスクに座り直しながら尋ねる。

「学長と面談は済ませたんですか?」
「うん。さっき終わったとこ」
「なるほど。それでその子はどこに?」
「ちょっとトイレだってさ。場所は教えたし、もうそろそろくるんじゃないかな」

 そう言った次の瞬間、がらりと職員室の扉が開いた。どんな子だろうと視線を向ける。
 その瞬間、私は思わず息を呑んだ。

「初めまして! 今日からお世話になる虎杖悠仁で、す……」

 少年の言葉尻が徐々に小さくなり、今にも零れ落ちそうなほど大きく目が見開かれた。
 少し声が低くなって、背も随分伸びているが、間違いない。私が、彼のことを、見間違えるはずがない。

「なっ……なんでここにいるの、悠仁くん?!?!」
「そう言うお姉さんこそ、なんで高専にいるんだよ!!! 俺お姉さんは普通の会社員だって聞いてたんだけど?!」

 あまりの衝撃に、思わずガタリと立ち上がってしまった。それと同時に、驚愕に満ちた少年の言葉を聞いて彼が悠仁くんだという事が確定する。あんなにちっちゃかったのに……と感動の再会をしたいところだけど、今はそんな場合じゃない。なぜならここは呪術高専で、彼は呪いを視認できない一般人のはず。こんな状況になっていること自体がありえないのだ。
 頭の中がはてなマークでいっぱいな私たちに、絶賛蚊帳の外な五条先輩が訊ねる。

「え、何? ふたりとも知り合い?」
「えっと、昔仲良くしてた男の子です。高専に入ってからはなかなか会えてませんでしたけど……」

 私の答えに、「賽賀って仙台出身だったんだ」と五条先輩が意外そうにつぶやいた。私は半分信じたくないような気持ちで尋ねる。

「それで、なんで悠仁くんがここにいるんですか?」
「だから電話でも言ったでしょ? 宿儺の指飲んじゃった張本人なの。彼」

 五条先輩の言葉にピシリと固まる私。

「……マジ?」
「「マジ」」

 五条先輩はなんだか楽しそうに、悠仁くんは目を逸らしながら申し訳なさそうにそれぞれ言う。それを聞いた私の顔がみるみる青ざめていくのが自分でもよくわかった。ほんとにもう、とため息交じりに頭を抱える。

「なんで宿儺の指なんか食べちゃうかなぁ……」
「ご、ごめん!! でもあの時はああするしかなくて……!!」

 しゅんとした顔で言う悠仁くんに、これ以上追究できなくなった私の口からもう一度溜息が漏れる。

「……五条先輩、少しでいいので彼とふたりにしてもらえませんか」
「りょーかい。話終わったら呼んでね〜」

 そう言って五条先輩は職員室を出て行った。ぴしゃりと扉が閉まる音がして、室内にふたりきりになる。悠仁くんは浮かない顔のまま、すっかり黙りこくっていた。

「私ね、悠仁くんには普通に幸せになって欲しかったんだよ」

 口を開いた私の言葉に、俯き気味だった悠仁くんの肩がびくりと震えた。そのままくしゃりと顔が歪む。

「呪いなんて無縁のまま、普通に生きて、長生きしてほしかった。呪術師になる将来が決まってた私の分まで、幸せになって欲しかったんだ」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。こんなことするってことは、ああしなきゃどっちも助からなかったんでしょ? 過ぎたことを悔やんでも仕方が無いって」
「……」
「だけど、……やっぱりちょっと寂しいかな」

 机に軽く腰かけて、堪えるように片手で顔を覆った。特急呪物が受肉しただなんて、そんなの秘匿死刑対象に決まってる。そうでなくとも呪術の世界に片足を突っ込んだとなれば、もう当たり前の幸せを掴むことは難しくなってくるだろう。……それが何よりも、辛かった。
 すると、彼はぽつりとつぶやく。

「でも俺さ、ここ来てよかったって思ってたりもするんだよね」
「……え?」
「だって、もう会えないんじゃないかって思ってたお姉さんに会えたから」

 そう言った彼の顔は、先ほどよりもどこか穏やかなものになっていた。

「ここにいるってことは、これからはもっとお姉さんと一緒にいられるってことだろ?」
「まーそうっちゃそうだけど……」

 そういうこと言ってる場合じゃ、と続けようとしたところで、悠仁くんは頭をくしゃくしゃと搔きながら言う。

「俺言われた通りにずっと待ってたのに、全然会えないしさー いっそこっちから会いに行こうと思ったけど、お姉さんの母ちゃんに止められたからそれも出来なかったし」
「それは、ごめん。任務……仕事の関係もあって」

 悠仁くんには両親やおじいさんを通じて、普通の会社員だと職業を偽って教えていた。一般人である彼に呪いの存在を伝える必要はないと思っていたから。だけどもし彼が東京に来たときに、呪術師としての仕事を見られてしまえばきっと言い訳なんてできなくなるだろう。そうなるのを防ぐために私はずっと彼に詳しい情報を渡さないようにしてきたのだけど……まさかこんなことになるとは。
 むすっとしてる悠仁くんをなだめるように、私は眉を下げながら言う。

「私も本当はこんな形じゃなくて、もっと早く悠仁くんに会いたかったんだけど……」
「それほんと?」
「え?」
「俺に会いたかったって、ほんと?」

 驚いたような、それでいてすがりつくような。そんな悠仁くんの表情に、思わず言葉が詰まってしまう。

「ほ、んと、だよ」
「……そっか」

 そう言って少し嬉しそうな顔をする悠仁くん。なんでそんなことを聞くんだろう。私が疑問に思っていると、続いて質問を投げかけられる。

「なあ、お姉さん。今彼氏いる?」
「え? いや、いないけ、ど……」

 それがどうかしたの? そう続けようとしたけど、途中で止まってしまった。
 私を見つめる彼の目が、とても弟のように可愛い少年とは形容できないほど、男の子の目をしていたのに気づいてしまったから。

「言っとくけど俺、お姉さんのこと諦めるつもりねーから」

 少しぶっきらぼうに言いながら、ぎゅっと手を握られる。小さかった彼の手はいつの間にかずっと大きくなっていて、私の手をすっぽり包んでしまえるほどになっていた。それだけで、心臓が大きく跳ねる。ぶわりと顔に熱が集まる。

「俺、お姉さんが好きだよ。昔も、今も、……ずっと」

 そう言って、悠仁くんは嬉しそうに笑う。
 ――その顔は昔と変わらず、太陽のように眩しかった。



 思わぬ展開に目が点なお姉さん
 →名家ではないが呪術師の家系出身。準一級呪術師で七海の同期。一応非常勤教師という位置付けだけど、五条から色々押し付けられるせいでほぼ常勤だし事務員みたいな仕事もこなすはめになってる。行き過ぎた子ども好きを自覚してる変態。この後熱烈に虎杖からアプローチされる。それを見た五条にめちゃめちゃからかわれるし、曲解と誇張を経て七海に伝わり『ついにやったか』『通報しました』とメールが来る。誤解です。「悠仁くん、おねーさん気持ちは大変嬉しいんだけども、その、年齢差がほら、ね!?」


 猛アプローチをする悠仁くん
 →会わない間にこんなに大きくなりました! 叶わぬ初恋だと思っていたら叶う可能性が出てきたので、全力で距離を詰めにかかってる。それはまるで獲物を見つけた肉食動物のように、容赦などない。お姉さんの言い分もわかるけど、大好きな気持ちは止められないから仕方ないね! 五条には「青春だね〜!」ってからかわれて照れるけどめげない。ガンガン行きます。「好きって気持ちに年齢とか関係なくない? 俺は真剣にお姉さんのことが好きなんだけど。お姉さんはどうなの?」


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