65 でもそれなら

 それからふたりで家の片づけを開始した。零くんも本格的にここに住むのは今日かららしい。いくつもの段ボール箱をせっせと自身の部屋に運び入れていた。比較的荷物が少なかった私は彼よりも先に片づけを終えてしまったため、ベランダに出て空をぼんやりと眺めている。

 あれだけ青かった空はすっかり赤く染まっていて、種類のわからない鳥が群れを成して高い空を悠々と飛んでいくのが見えた。どこか遠くの方からパンザマストが鳴り響いていて、1日の終わりを告げている。

「あー肩凝った。1日がかりだな」

 からりと引き戸が開く軽い音がして、そんなことをぼやきながら零くんがベランダに姿を現す。お疲れ様、と声をかけると彼はゆるりと笑った。そのまま私の隣にきて、手すりもたれるように頬杖をつく。びゅううと強い風が吹いて私たちふたりの髪をくしゃりとかき回す。

「そういえば色。ちょっと聞きたいことがあったんだけど」
「どうかした?」

 零くんがふと思い出したように私に話しかける。ちらりと視線をそちらに向ければ、彼はすうっと遠くの方を見ている。私も彼にならって視線を戻した。

「俺と初めて会った時、言ったよな。俺の目が初めて見えた色で、綺麗な蒼い目だって」
「よく覚えてたね、そんなこと」

 私がそういえば彼は至極当たり前だとでも言いたげな表情で「忘れるわけがないさ」と言った。まあ、実は私もちゃんと覚えていたりするのだが。だってそうだろう。彼との出会いなんだ。忘れるわけがない。今までは一時的に忘れているに過ぎなかっただけだ。

「それがどうかしたの」
「その時、なんで俺の目の色が蒼だってわかったんだ?」

 なんで色がわかったのか。質問の意図がよくわからずぱちぱちと瞬きを繰り返していると、零くんはつらつらと補足してくれる。

「色が見えないお前には白と黒以外の色が見えないから比較することが出来ない。それなのに蒼をきちんと蒼と認識したんだ。赤でも黄色でもなく、蒼と」
「……うん」

 口元に軽く手を添えるようにして言葉を呟く。今まで考えたこともなかったが、そう言われると不思議である。だがまあ、記憶がほとんど戻った今なら推測できないこともない。

「あの頃はまだ記憶があったから……」
「あの頃は、って……」

 私の言葉に困惑気味の表情を浮かべる零くん。おそらくこうだろうという筋道を立て、私は口を開いた。

「私があの施設に来たきっかけは覚えてる?」
「確か……両親が交通事故で亡くなったんだったか?」
「そう。実はね、あの事故が起こるまで私は普通の子どもだったんだ。人並に笑って泣いて……色だってみんなと同じように見えてた」
「!」

 今となっては遠く懐かしい日々を思い出して、私はゆるりと目を細める。優しい両親はいつだって私に微笑みかけてくれて、いつだって一緒だった。そんな私を見守るように、零くんはじっと黙って私の話の続きを待っている。

「だけど事故は起こった。確かあれは……私の誕生日の4日前。家族で出かけている最中に、信号無視したトラックが私たちの車に猛スピードで突っ込んできたの」

 燃え盛る車内。血まみれの両親。救急車の音。たくさんの人たちの視線。煙の臭い。悲鳴。自身の乱れる呼吸音。炎を消そうとする消防隊員の水の音。両親の名を呼ぶ自身の声。目を閉じればありありと思い出せる。

「私は助かったけど……両親は」

 ぐっと眉根を寄せて、私は呟く。病院で対面した亡骸は損傷が激しく、両親だと識別できるのがやっとのほど。私は泣くことも喚くこともせず、ただじっと、もう戻ってこないふたりの顔のあたりを見ていた。
  泣いて喚けば心が楽になることを知っている。だが、そんなことをしたって両親は戻ってこない。そう思うと胸にぽっかりと穴が開いてしまったような心地になるのだ。今思い返せばそれが、人生で初めて味わった喪失感である。

「両親を目の前で亡くしたショックが、自分が思っていた以上に大きかったみたい。それから徐々に視界から色が消えていって、気づいたら世界はモノクロになっていた」

 身体自体はどこを検査しても健康そのもの。医者に訊いても原因不明で、手立てのしようがないのだという。苦し気な表情で謝られたが私は特に何とも思うことなく黙って診察室の椅子に座っていた。

「それからしばらく入院した後、私は退院して施設に。そこで零くんと会ったの」

 桜が降る季節。施設の共有スペースでの彼との出会いは中々強烈だった。ぶっきらぼうな自己紹介がほとんど耳に入らないくらいには、衝撃的だったのである。

「すごくびっくりしたよ。白黒の世界で、君の目だけが強い光を放っていたんだから。しかも、見えなくなったはずの色を持った光を」
「……じゃああの時言った、"はじめて見えたあおい目"って……」
「両親の事故で色を失ってから初めて見えた色、という意味」
「そういう、ことだったのか……」

 零くんは考え事をするように目を伏せて、そろそろと視線を動かしている。自身の記憶と照らし合わせてつじつまが合うか確認しているのかもしれない。

「それでも、初めは自信が無かった。だから周りの子たちに聞いたの。そうしたら『変わった目よね、真っ青で』って言われて。そこで改めて蒼色だって確信したんだけどね」

 納得してくれたかな?と私が小首をかしげてそちらを見やれば、彼はまだ納得していない様子。

「まだ何か?」
「さっき、『あの時は記憶があった』と言っていたが、あれは……」

 彼の言葉に先ほどの自身の発言を思い出す。そうだな、その話もまだしてなかった。

「施設にいた頃は、両親との記憶があった。でも組織に入ってから昔の記憶はほとんど消えてしまって……」
「まさか、それって……組織に記憶を?」

 酷く傷ついたような顔で零くんは私を見る。私が答えることなく小さく目を伏せると、彼はぐっと眉根を寄せて痛みに耐えるように苦しそうな表情をする。

「そんな顔しないで。今は記憶も色覚もあるんだから。零くんがそんな顔をする必要は無いよ」
「……ああ。そう、だな」

 私が出来るだけ明るい声で言うと、零くんもつられるように笑った。だがその顔はどこかぎこちない。無理矢理笑顔を張り付けただけに見える。胸の奥がちくりと傷んだ。

 彼にはこう言ったが……本当は違うのだ。私が記憶を失った原因は別にある。
 私の記憶を消した犯人は紛れもなく、あの白いこどもだ。

 あの子は私が色が見えなくなる直前に夢の中に現れるようになり、たびたび姿を現しては私から様々なものを奪っていった。記憶に痛覚、それから感情さえも。恐らく色覚を奪ったのもあの子なのではないかと私は思っている。
 何かを私から消し去る時、こどもは決まってこう言っていた。『これももう、要らないよね』と。そして私は毎回、その子どもに問いかけられた夢ごと綺麗さっぱりわすれてしまっていた。この問いかけだって、子どもが消えたことでようやく思い出したくらいである。

 子どもの正体は大体検討がついていた。今となっては確かめようがないが、きっとこうしたほうがいいだろうという私自身の考えを実行して消えたのだから、おそらくそれは正解だったのだろう。
 「さびしかった」と涙を流すその姿は、まるで幼い頃の私そっくりだったのだから。

「色? どうかしたか」
「ううん、なんでもない」

 不思議そうに尋ねる零くんに私は首を振って取り繕う。あの子の話は、なんとなく私の胸の中にしまっておきたい。そう思ったのだ。いずれ話せるようになったら、その時に話せばいい。

 ふと気が付くと、太陽はすっかり地平線の向こうへ沈んでしまっていた。辺りはぼんやりと闇に包まれ、昼間と比べて少し気温も下がっている。目下の建物にはぽつぽつと光が点り始めていた。

「少し冷えてきたし、そろそろ戻ろうか。話の続きは部屋の中でも出来る」
「うん」

 私は小さく笑みを漏らす。病院でほとんど毎日会っていたが、それでも話足りない。そりゃそうだ。私たちにとって20年の空白はあまりにも大きい。
 でもそれなら、埋まるまでずっと傍に居ればいい。それだけの話だ。

「今日は色の退院祝いだし、俺が腕を振るおう」
「!」

 私は瞳を輝かせれば、零くんはにっこりと微笑む。

 暗い夜空にぽっかりと浮かんだ少し欠けた月。その傍に寄り添うように、流星がひとつ零れた。
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