零くんに連れられるまま先生の部屋を出る。私が知らない間に退院手続きやら何やらを大体彼が済ましてくれたようで、ちょっぴり申し訳ない気分だ。何もかもおんぶにだっこではいけないとわかっているのだが、私がやろうと思う前に彼が手際よくさっさと済ませてしまっているのである。いずれこのお礼は必ず、という言葉は入院してから何回言ったかわからない。
エントランスを抜け、屋外駐車場に出ると外はすっかりいい天気だった。雲一つない快晴。日差しが眩しくて少し目を細めると、隣にいた零くんがどこか嬉しそうに口元だけで微笑んだ。
そのまま彼についていくと、彼は一台の車に近づいていく。昔から見慣れていた彼の車だ。あの時は別に何とも思っていなかったが、色を得た今こうやって改めてみるとなんだか不思議な心地がする。真っ白な車体は傷ひとつ無く、太陽の光を受けて自信満々に光り輝いて見えた。周りに止まっている車と比べて背は低いが、その分風を切って走る姿が似合いそうだ。そんな風に思いながらぼんやり車を見ていると、いつのまにか運転席側にまわっていた零くんがにやりと笑って言う。
「背中、押してあげましょうか?」
「……」
私はむっと唇を尖らせて、さっさと助手席に乗り込んだ。その様子を見て彼も運転席へ乗り込む。
駐車場を出た車はそのまま滑らかに大通りを進んでいく。私はといえば、窓の外の景色にすっかり夢中だった。病室の窓から見える風景ですら飽きずに毎日眺めていた私にとって、次々と移り変わる車窓からの景色はとても刺激的で興味深いものなのだ。たとえ見たことがある風景でも、色彩があるのとないのとでは全くもって印象は変わる。あんなに無味乾燥だと思っていた町がこんなにもカラフルに色づいていたなんて。
「せわしないな」
窓の外の風景に目を輝かせて落ち着きのない私を見て、運転席の零くんは小さく笑う。私は窓の外に目を向けたまま言葉を返した。
「世界がきらきらして、すごく楽しいんだ」
赤信号に捕まったのだろう。滑らかに止まった車の前を横切るように横断歩道の上をたくさんの人が渡っていく。その人たちを追いかけるように視線を滑らせていると、零くんが色、とぽつりと呟いた。
「今度ドライブにでも行こうか」
「ドライブ?」
ぱっと思わず零くんの方に顔を向ける。彼も私の方を見ていたようで視線がぶつかった。彼の蒼の双眸は、色を取り戻した後も変わらない輝きを放っている。
「ああ。ふたりでいろんな景色を見に行きたい」
「行きたいけど……忙しいでしょ? おまわりさん」
私の言葉に彼は一瞬きょとんとした顔をするが、それはすぐに微笑みに変わる。優しく相手を慰めるような、やれやれとでも言いそうな、そんな微笑みだ。
「馬鹿。色のために意地でも休みをもぎ取ってくるよ」
「そう? なら、楽しみにしてる」
やがて信号は青に変わり、私は再び視線を車窓に戻した。
***
程なくして到着したのは高層マンション。ここが今日からふたりで住むことになる家だ。入院中に部屋のチラシを一緒に見ながらああだこうだと話していたのが懐かしい。屋内駐車場に車をとめて、ロビーへ足を踏み入れる。
完成してからそれほど年数も経っていないらしく、まだどこか新しい匂いが残っているのが印象的だと思った。装飾品は高級そうな雰囲気を醸し出しているが派手過ぎないため落ち着いた印象を受ける。思わずしぱしぱと瞬きを繰り返していると零くんが行くぞと急かしたので慌ててついていった。
マンションのほとんど最上階といってもいいほどの高さに、私たちの住む部屋はある。部屋を決める際に私が唯一出した『空が綺麗に見える場所がいい』という要望を汲んでくれた結果なのだろう。その証拠に、部屋の外の廊下から見た景色ですら絶景といっても過言ではなかった。思わず見とれていたら、零くんは部屋の鍵を取り出しながら「驚くのはまだ早いぞ」と言う。悪戯に引っかかるのを今か今かと待つ子供のような笑みを浮かべて。
「開けてみて」
そう言って彼は私にカードキーを手渡す。そっと差し込めば解錠する音。ちらりと彼の様子を窺えばにこにこと微笑むばかりだ。入っていいのだろうか。おそるおそるドアを開けて室内へ入る。
部屋の中は以前一緒に暮らしていた部屋に似てシンプルで、所々に未開封の段ボールが積みあがっていた。ひとり分とは思えないくらいの数である。訊けば、そのうちのいくつかは私の荷物なんだそうだ。入院している間に先生や志保や新一くんの協力の元で私の部屋から色々運んできたらしい。何故それを本人不在でやるかね。
それからふたりで実際に部屋を見てまわった。部屋に入ってすぐのところに見えるキッチン。カウンターを挟んだ先にあるリビングダイニング。お風呂場。洗面所。どこもかしこもピカピカで真新しく、これから生活が始まるんだと胸が躍る心地すらする。最後に案内されたのは私の部屋。ドアを開き部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、思わず息を飲んだ。
扉とほぼ対角の位置にある大きな窓。そこから見える、目が痛くなるほど鮮やかな青空。
咄嗟に窓の外に身を乗り出さん勢いで駆け寄る。高さがあるおかげか建物は空をほとんど邪魔することなく大人しくしていた。驚くほど空が近い。先ほどの「驚くのはまだ早いぞ」という言葉は本当だったようだ。これは確かにすごい。
「気に入ったか?」
気づけば零くんは私の後ろに立っていた。振り返って興奮を隠すことなくぶんぶんと頷けば、彼はそれはよかった、とホッとしたように笑う。
「まるで夢みたい」
「大げさだなあ」