叶うならば

※共同生活を始めてしばらくしたころのお話※


 色の仕事は相変わらず迷いが無くて手際がいい。そのため予定よりもずっと早く済んでしまうことが度々あった。
 今日もそうだ。

「お疲れ様です」
「……ママ」

 相も変わらず血をまとった少女(今日はまだマシな方だが)に近づきながら、労いの言葉と羽織っていたジャケットをかける。それに気づいた少女はぱっとこちらに顔を向けた。

「例の物は」

 俺の言葉を聞き、色は左手に持っていたUSBをひょいと渡す。今日の任務はこれを入手することだったのだ。色から受け取り軽く確認する。所々血で汚れているが、中身に支障はないだろう。

「さて、帰りましょうか。誰かに見つかっても面倒ですし」

 USBをポケットにしまい、俺は比較的明るい声色で言う。色はナイフをしまいながら黙って頷いた。

 人目につかないように建物を脱出し、車に乗り込む。今日はこの任務で終了だったため後は家に帰るだけだ。色のシートベルトを確認し、車を発進させる。
 まだ日付が変わっていないがだいぶ深い時間帯だ。車通りは少なく、周りに面した店の明かりもぽつぽつと点っているのみである。

 しばらく走っていると赤信号に捕まってしまった。
 車を滑らかに停止させ、ちらりと助手席側の窓の外を見る。商店街はこんな時間にもかかわらず随分にぎわっていた。なんだろうと思って入り口の方を見れば、「たなばたまつり」の横断幕。
 ……ああ、なるほど。そういえば今日は七夕だったか。

 助手席に座っている色は背もたれに体重を預け、首を回して窓の外に視線を向けていた。その表情はいつもと変わった様子はない。

 そこでふとある考えが浮かんだ。人が多いここは難しいかもしれないが、あそこなら。思わず口角が上がる。

 そうと決まれば早い。俺はいつも帰宅する道とは逆の方向にハンドルを切る。しばらく走らせていると街灯も車通りもぐっと減り、辺りはすっかり暗闇に支配されていた。主な光源はこの車のヘッドライトくらいのものだろう。

 人気がすっかり失せた山道を通り抜けると、ようやく目的地に到着した。山の上にある広々とした公園のような場所。昼間ならば多くの明るい声が響き渡っているであろうこの場所も、こんな時間では人っ子ひとりいやしない。車を停止させエンジンを切る。急に見たことも無い場所に連れてこられて状況を飲み込めていないような様子の色はきょろきょろと車外を見回していた。

「少し用があるんです。ついて来てくれますか?」

 俺がそう言えば、色は素直に頷いた。
 ドアを開いて車を降りれば色も黙って外へ出る。そろそろと近づいてきた色の不思議そうな視線を感じて俺は静かに顔を上げた。つられるように色も空を見上げたようである。

 ――そこに広がっていたのは、息を飲むほど美しく広がる満天の星空だった。

「今日は7月7日……七夕だったのを先ほど思い出しまして。ここに来たんです」
「星を、見るために」
「ええ。たまにはいいでしょう? こういうのも」

 そう言って隣を見れば、色は俺の視線に気づくことなく空を見上げていた。

 普段は全く光を映さないその暗い瞳に、点々と星の光が映っている。
 それが、本当に夜空を切り取ったように見えて、俺は意図せず目が離せなくなってしまった。
 まばたきを忘れ、僅かに息が詰まる感覚。20年前の夜に"あの子"と初めて会話をしたあの時と似た心地に俺は支配されていた。

 しばらくそうして色の横顔を見ていると、流石に視線に気づいてしまったらしい。ちらりと瞳をこちらに向け、それから俺の方に顔を向けた。

「どうかしたの」
「いえ、すみません。なんでもないです」

 取り繕ったように笑みを浮かべれば色は小さく、そう、と呟く。そしてまた空を見上げた。俺も静かに空を見上げる。雲一つなく晴れ渡った空。絶好の七夕日和だなとぼんやり思った。

 しかし、こんなに落ち着いて星を見るのなんて何年ぶりだろう。ここ数年星を見ることなんてほとんど無かった。都会から少し離れているから街灯も少なく、肉眼でもしっかりとその輝きを捕えることが出来る。

 しばらく黙ってふたりで空を見上げていると、ほろりと、何の前触れも無く星が一筋零れた。

「「あ」」

 ふたりの声が重なる。思わずぱっと隣を見れば、色も同じように俺のことを見上げていた。くすりと思わず笑ったのは俺の方。

「被りましたね」
「ママも見たの」
「ええ。流れ星を見られるなんて運がいいですね」

 そうしている間に色がまた「あ」と声を漏らした。空を見れば、今まさに流れ星がまたひとつ。どうやら今日はとことんついているらしい。

「そういえば色、知ってますか? 流れ星に願いをかけるとその願いは叶うそうですよ」

 ふと思い出したことを口にする。色はなんでもないような声色で、そうなんだ、と言った。ひらりとまた星が流れる。
 星に願いを、なんて正直ガラじゃないが、強いて言うなら……そうだな。

「願い事、出来ました?」

 頭の中で願い事を唱え、隣を見て少し悪戯っぽく言えば、色は小さく頷いた。まさか本当にするとは思っていなかった俺は少し意外に思いながら尋ねる。

「因みにどんな?」
「……内緒」

 まあ、そう簡単にいくわけないか。

「そうですか。それは残念だ」
「ママは」
「うん?」
「ママはしたの。願い事」

 色からの問いかけに、俺はそうだなあと考えながら顔を空に向ける。
 願いと聞いて真っ先に浮かぶのは"あの子"のこと。20年も前に姿を消した、彼女のこと。あの日から一度だって忘れたことはない。

 自然と上がる口角を隠すこともせず、俺はそっと言った。

「……内緒です」

 ――叶うならば、どうか。 もう一度会えたら、なんて。


***


 仕事を終えてそのまま帰宅するのかと思えば、どこか知らない場所に連れてこられた。今までママがこんなことをしたことは無い。
 その真意を測りかねていると、用があるからついてくるように言われる。それ私がいないとダメなヤツだろうか。別に用事が終わるまで車内で待っててもいいんだけどな。そう思いつつも車を降りて大人しくママについていく。

 ふとママが立ち止まって空を見上げた。後を追うように私も顔を上げる。

 ――そこに広がるのは、真っ黒い布に輝くビーズをちりばめた様に広がる満天の星空。

「今日は7月7日……七夕だったのを先ほど思い出しまして。ここに来たんです」
「星を、見るために」
「ええ。たまにはいいでしょう? こういうのも」

 血生臭い仕事の帰りに天体観測とは随分ミスマッチな気もするが、悪くはない。
 今まで仕事に追われるばかりでロクに空を見上げたことなんか無かったから、随分新鮮に感じられた。星たちはよく見れば大きさや光量が異なっている。確かそのひとつひとつに名前があるんだったか。そういった知識には疎いから、生憎ひとつも名前を覚えちゃいないが。

 ふと視線を感じた気がして、ちらりと隣に視線を向ければママがこちらを見ていた。その輝く両目はこの星空なんかよりも輝いて感じられる。

「どうかしたの」
「いえ、すみません。なんでもないです」

 へらりとママが笑う。折角来たんなら私を見ないで空を見ればいいのに。私よりも高機能なその眼は、星の輝きの美しさに十分浸ることが出来るはず。……これが宝の持ち腐れというやつか。

 再び空へ視線を向ける。しばらくぼうっと空を眺めていると、不意に一筋の光が空を横切った。

「「あ」」

 意図せずふたりの声が重なる。隣に顔を向ければ、ママも同じように私のことを見下していた。ふっと優しく微笑む。

「被りましたね」
「ママも見たの」
「ええ。流れ星を見られるなんて運がいいですね」

 そういえば流れ星は普段から見られるものではないのだったか。それならば確かに運がいいのかもしれない。
ふと、ママの背後にも光の筋がひとつ。思わず「あ」と声が漏れた。するとママが思い出したかのように口を開く。

「そういえば色、知ってますか? 流れ星に願いをかけるとその願いは叶うそうですよ」

 そうなんだ、と相槌を打つ。『星に願いを』とはそういうところから来ていたのか。
 またひとつ星が流れる。

 願い事なんて別に無いが、強いて言うならば……そうだな。
 頭に思い浮かべるのは、蒼い瞳の"彼"のこと。名前の音しか知らない、20年も昔の"彼"のこと。あの日から一度だって忘れたことはない。

 ――叶うならば、どうか。 幸せになって欲しい、なんて。

「願い事、出来ました?」

 頭の中で願いを唱えたところで、少し悪戯っぽくママは言う。私が小さく頷けば、意外そうに目を丸くした。

「因みにどんな?」
「……内緒」
「そうですか。それは残念だ」

 眉を下げて微笑みながら肩をすくめる。私の答えに何を期待していたのだろう。それならばと私は口を開く。

「ママは」
「うん?」
「ママはしたの。願い事」

 私に訊いたからには自分もしてるんだろう。多分だけど。そう思いながら尋ねれば、ママはそうだなあと呟いて空を見上げた。そしてフッと口角を上げると、とろけるような優しい笑みを浮かべて言う。

「……内緒です」
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