アタシはそれで満足さ

※本編63話中の時間軸※


 指定された時刻になったのを確かめてから扉をノックする。どうぞと呼びかけがあり、俺はドアノブに手をかけた。

「よく来たな、ゼロ」

 診察室に入る俺を見るなり、ぱっと表情を明るくさせる。色に先生と呼ばれていた組織随一の腕を持つ元闇医者で、今は自身の経営する病院で色の主治医として働いていた。この病院は傍から見れば普通の病院と変わりないが、警察関係者もよく利用するためセキュリティが他に比べて頑丈なのが特徴的である。
 座れよと言われたため、彼女が座っている椅子の正面……患者が座る丸い椅子に腰かけるながら俺は言った。

「何の用だ。できれば手短に頼みたいんだが」
「ほンとーにお忙しいところ悪ィな。ちッと、お前に渡したいもンがあッてよ」
「渡したいもの?」

 なんだろう。こいつが俺に渡したいものなんてちっとも思いつかないんだが。そう思っていると彼女は「ちょッと待ッてなァ」と言いながら立ち上がって部屋の奥へ消えた。ガサゴソと何かを探るような音が聞こえてくる。

「組織が壊滅したらなァ、返そうと思ッてたもンがあんだよ」
「返す……?」

 渡したいものも思いつかないのに、返す物なんて全く心当たりが無い。何かこいつに貸したことがあったっけか。あれやこれやと記憶を引っ張り出している間に彼女は部屋から戻ってきた。

「ほら。こいつだよ」

 戻ってきた彼女が手にしていたものを目にした俺の目が徐々に見開かれていく。半開きの口からほろり、と、言葉が溢れた。

「……こ、れは」

 彼女が手にしていたのは、白い箱だった。
 手のひらよりも余るくらいの大きさの白い箱は表面が布で覆われており、正面には同じ色の房がついている。

 ……ああ、なるほど。
 "返す"ってそういうことか。

 俺は彼女の言ったことを急速に理解した。と同時に、胸の内に言いようのない感情の濁流が押し寄せる。
 それが顔に出ていたのかは知らないが、彼女は静かに口元だけで小さく笑った。

「あいつの後処理の担当、アタシだったンだ」

 そう言いながら彼女は椅子に座る。そのまま箱を太ももの上に乗せて、まるで犬猫でも撫でるかのようにそっと箱に触れた。

「大変だッたンだぜ? 上にバレねェようにこいつを隠すの。提出しなきゃなンねぇ書類に書く死体の数誤魔化したりとか、色々記録をねつ造したりとかさぁ。ほンと、バレたら終わるッて思いながらやッてたンだ」

 彼女は目を細めながら箱を見やる。その表情はまるであの頃を懐かしむかのようだった。

「でも、迷いはなかッた」

 彼女の穏やかな声を、俺は黙って聞いている。適切に部屋の温度を管理するために動く空調設備の音がやけに大きく聞こえるほど、室内は静かだった。

「こいつの亡骸を見た時から、いつか絶対ゼロに返すッて決めてたからなァ」

 そして彼女はそっと箱を両手に持ち、こちらに差し出した。

「ッてなわけでほら、やるよ。遅れはしたが、ちゃんと弔ってやンな」

 俺は渡されるがままにそれを受け取る。さらりとした手触りのそれは意外なほど軽くて、小さくて、現実味がない。もう治ったと思った心の傷がまたじくじくと痛みはじめる。当時よりも痛く感じるのはやはり、あの時程気を張っていないからだろうか。それとも、歳を取ったせいだろうか。目の前にいるのは、この箱の中に眠る人物と俺の関係を知る数少ない友人で。だからいつもよりずっと、感傷的になってしまう。それもあるかもしれない。そんな俺の心境を彼女もわかっているのか余計な口を挟もうとしなかった。その対応が今はとてもありがたい。

「すまない」

 なんとか言葉を振り絞って出てきたのは、そんな言葉だった。

「辛いことを、させた」
「いいよ。もう終わッたことだし……むしろ、こうなッて当然なンだよ」

 彼女は目を伏せ、ぽつりと言う。

「こいつが死ンだのは、アタシの所為なんだから」

 え?と俺が訊き返すよりも前に彼女が口を開く。

「アタシがもッと早く情報漏洩に気付けていたら。その時アタシが、もッとうまく情報を操作できていれば。こいつはこうならなくて済んだ。そうだろ」

 まるで痛みに耐えるかのようにぐっと眉根が寄せられる。直前まで飲んでいたのか、苦いコーヒーの匂いが鼻を掠めた。

「だから、こいつの後処理を上から頼まれた時に思ッたんだ。……『ああ、これがアタシへの罰なんだ』ッて」
「……」

 彼女の告白に、俺は正直どう返したらいいのかわからなかった。慰めるなんてそんな軽率なこと出来るわけがない。ましてや、この俺なんかに。重い雰囲気になったところで「でもまァ」と仕切り直すように言った。その表情は数秒前より幾分か落ち着いているように感じられる。

「それは当時の話さね。今となッちゃアタシが引き受けてよかッたッて方がデカい」

 彼女はそう言いながら足を組み替え、デスクに頬杖をつく。

「だッてアタシが引き受けたおかげで、こいつもこうしてゼロの元に帰ってこれたンだからな」
「……お前、」
「ゼロのとこに帰ってこられて、あいつもきッと喜んでるぜ。多分だけど。……その手伝いが出来たってンなら、アタシはそれで満足さ」

 そう言いながら彼女は微笑む。高校時代にも、組織内でも滅多に見たことのない優しい笑みだった。俺は訊ねる。

「ヒロ……スコッチとは組織内で面識はあったんだっけか」
「まあな。最初に会った時にすッげー驚かれたよ。お前とおンなじ顔してて、こッちが笑いそうなくらいだッた」

 その当時を思い出しているのか、彼女の笑みがとたんに子供っぽいものに変わる。

「ただお前に会ッた後に数回会ったくらいだから、そこまで頻繁に話したわけじゃねェけどな。内容もほとンどが組織の業務連絡だったし。まあ、アタシとゼロが協力関係にあるのは知ってたみてェだから、『ゼロをよろしく頼む』ってこっそり言われたことはあったけどよ」

 はーやれやれ、と大げさな溜息をつく。

「ほんとーにお前らは変わンねえよな、高校の時からずッとそうだ」
「そういうお前もな」
「そうかァ?」

 彼女は思い当たるフシが無いのか、不思議そうな顔をしている。ああ、そうだよ。お前だってあの頃とおんなじだ。『初めての友達ができて嬉しい』って言いながら俺たちとバカやって笑ってた、あの頃と。
 ……だってそうじゃなきゃ、組織の目をかいくぐってこんなことしたりしないだろ。

 俺は改めてしっかりと彼女に頭を下げた。

「ありがとう。これでやっとあいつの墓を作ってやれる」
「……いいよ。言ッたろ? これがアタシの罪滅ぼしなンだ」

 さあて!と彼女は明るく言いながらぱんと手を叩いた。

「湿っぽい話はこれくれーにして、これからの話をしようぜ」
「これからの話?」
「ああ。色の退院の日が決まったンだ」
「!」

 それからスケジュール調整の話をして、何時に迎えに来るかの約束をしたところで彼女の次の診察の時間になってしまった。箱を抱えて立ち上がる俺に、彼女は話しかける。

「ゼロ」
「なんだ」
「今度こそ大事なモン、手離すんじゃねェぞ」

 彼女の真剣な表情に一瞬面食らいつつも、俺は抱えた白い箱をしっかりと抱えながら答える。

「ああ、わかってる」
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